↓広げよう正しい歴史を!(10/12ブログからお読みいただけると幸いです)
韓国は『なぜ』反日か?

上記サイトから引用↓


パラオはアジア諸国ではありませんが。


●パラオでの話●
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない
状況になった。仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。

その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
●終わり●


「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の
人々を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したと思われます。
ここにもやはり今失いかけてる日本の心「武士道」があります。


パラオ共和国も台湾などと同様に親日傾向が強く、今も「日本人と一緒に戦った」
ではなく「日本人として戦った」と言う。(ちなみにパラオと台湾は国交もある)
日本は第一次世界大戦後、国際連盟からパラオの委任統治を求められたため
たくさんの移民を送り、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残したのがパラオです。

パラオは1994年にアメリカから独立した時、日本の国旗である日章旗を
モデルにした月章旗を作り、自国の国旗にした。
ただ、パラオの国旗の月は日本の太陽と違い、中心から微妙にズレている。
これは謙虚にも「同じでは日本に失礼だから」と、わざと中心をはずしたそうです。


ちなみにパラオの国定教科書では全462ページのうち36ページが
日本統治時代にあてられ、章には「日の丸の旗のもとに」というタイトルが
つけられている。どの統治国にも日本は教育に厳しかったが、それらの教えも
ルールも単純な賛美や糾弾ではなく客観的に事実が教えられている。


日本の統治が終わった時にはパラオでも米国による反日教育が行われたが、
年長者に「そんな話はない」とあっさり否定され、浸透しなかった。
パラオ人の『8割』はその姓名のどちらかに『日本式の名前』を付けているといわれている。
このように台湾よりもさらに日本を愛する傾向が強いのがパラオのようです。


・パラオのタミイ・レメンゲサウ大統領
単に日本の常任理事国入りを支持
するだけでなく、国連改革案の共同提案国にまでなってくれた上に、
「最後まで日本を支持したい」と表明。さらに靖国参拝にも
「すべての人のために祈るのは正しいこと」と支持を表明。


・日本から3000km離れた南国・パラオでは議員や大統領までもが
日本の教科書問題に非常に協力的で、国会の議題にまでしてくれている。
パラオのスティーブ・ウメタロウを始めとする議員たちが中心となって
「日本に真の歴史を」と働きかけ、また、パラオ共和国を独立へと導いた
クニオ・ナカムラ前大統領も「新しい歴史教科書をつくる会」に賛同する
署名もしていて、署名文書に以下のコメントが添えられていた。
★パラオ クニオ・ナカムラ前大統領
 「日本国民と日本人が『どの民族も例外なく持っている自国の正史を
 回復すべく』努力している活動を支持する。
 この活動が実を結ぶことは日本の未来の世代をして、偉大なる自国の歴史、
 伝統、文化に目を見開かせることに積極的な貢献をなすだろう。」


パラオには中国や朝鮮の影響や反日教育はない。
だからパラオは「昔の日本」を曲げることなく覚えているのです。