昨日の電子ゲームの所からの続き。

今日も、機嫌が良いので、続きを書きます。


スマートフォンでも、携帯ゲーム機でも、何でもいいや。


面白いというゲームは、基本的に同じ事の繰り返しだったりする。

小学校四年生の時に「1000回遊べるRPG」がキャッチフレーズだった


スーパーファミコンで発売された、トルネコの大冒険
ダンジョンRPGの中でも、大ヒット作品でした。


元はPCゲーム、プレイステーションにも移植されて

「ディアブロ」


あらゆるアイテムは自給自足が基本の「モンスターハンター」

ロボット物でアーケードゲームのシェアを占めている、

「ボーダーブレイク」についても共通項がある。



シナリオは全てのステージをクリア。

チュートリアルが終わってから、あとは自分自身がストーリーを築く。


必要な素材を集めて、新しい武器を買う。

あるいは、未知のアイテムや、自分なりの最強のアイテムを探すために

何度も何度も同じ事を繰り返す。



何でも、ハマっている間は面白いんだ。

ただ、その夢から覚めた時に、どうなっているかが大問題なんだ。


今まで、私は二次元と、三次元(現実)の世界を分けて考えていた事もあったし

三次元世界で、満たされない物を満たしてきた、と言う所はある。


しかし、この築かれた世界も、現実世界の中のゲームと言うカテゴリーの中の

そのタイトルの一空間なんだよな。


私もゲームについては色々とお世話になってきて

家族の云々の問題や、社会で不適応起こしていた時にも

ゲームの世界があったおかげで、かろうじて、社会生活の体を成していた形である。


しかし、ゲーム<←→>現実の世界を何度も何度も行き来して分かった事。


「本当の自分を取り巻く環境は、野ざらし、雨ざらしと同様の環境だったという事」


あんまり長く書くのもなんだから、また明日以降だな。


ハマったゲームを次のステップに持っていくためには

その経験をどう使うかが課題だ。

ゲームの世界を「ああ楽しかった」で終わりにするのか

「ゲームの世界から何を学んだか?」にして、現実世界に反映させていくのか?


今のゲームを遊んでいる世代、そして、ゲームの高度化から

少ないスタッフで作られた、スマートフォンのゲームまで

老若男女問わず、向き合う時期が来たんだと思う。


ゲームの世界は誰が作って、誰が一番の利を得ているのだろうか?


次回はそれを考えていきたいな。