悲しみの余命宣告 | 33歳で肺がんになった関西サラリーマンの闘病記

悲しみの余命宣告

3月12日 無事昼前に母親と退院

       病院食とは違い、外食の天丼は美味しかったなあぺこ


3月13日~22日 実家で10日間ゆっくり療養

            ドセタキセルの便秘できつかった。354354


3月23日~ 会社へ復帰、溜まっていたメールを処理。

         予想より少なくてよかった。


そして運命の当日


3月26日 15:00~

 胸、腹のCT検査を受けた

 その後、主治医の結果説明がはじまった。

 私と主治医と仲のいい看護師さんの3人。

 看護師さんに呼ばれたとき、涙目だったのでなにかヤバイ予感はした!!


<結果>

1. 3月に入院して実施した胸膜癒着が効いたのか

   左肺の胸水の増加はあまり見られない → OK

2. 右肺の胸水が増加している → ×

3. 腹水が発生している → ×

    最近、妙に頻尿だったのはこのせいなのかもしれない。

    のどは渇くし、1時間毎くらいにトイレに駆け込んでいたから。

4. 肝臓への転移が多発している。 →超×



4ヶ月間抗がん剤治療をやってなかったからか

血液検査での肝臓の数値も異常値で

肝臓への転移が予想以上に進行していて


主治医から余命宣告!!


勝手に言ってくれるな!!聞きたくもないよ!!

この余命宣告を受け、頭が真っ白。


主治医の話はほとんど飲み込めない。

でも涙は不思議とこの時は出なかった。


今後のとるべき道

 1.新たな抗がん剤治療をするのか、治療はしないで緩和ケアに移るか。

  つまり、抗がん剤治療して、がんと積極的に闘うのか

  緩和ケアで、がんと積極的には闘わず、痛みや精神面をケアしてもらいながら残りの人生を生きるか?



 2.抗がん剤をするとしたら、どちらかを選択して、今お世話になっている会社近くの病院で治療するか地元に帰って治療するか?

  ジェムザール+ナベルビン

  アリムタ


3月27日

 「大切な話がある」と言って実家に帰り、夕食時に両親に昨日の主治医からの話をした。

さすがに両親の精神的負担を考えて、余命期間は言えなかった。


俺「いままで37年間育ててくれてありがとう。感謝してます。」

俺、両親とも号泣。

母親は、パートをやめて俺の残りの人生に付き添ってくれると言ってくれた。

ありがたい。迷惑をおかけします。


俺は、29日に上司に説明したが、会社は休職して残りの人生を地元で治療したいと考えている。

まさに今、ブログ書きながら、どちらの抗がん剤治療を選択するかを悩んでいる。




今後の予定

4月2日 友達との最後の?飲み会

4月3日 彼女に会って”今後の2人の大切な話”

       永遠の別れ話になるのかな。。。。。泣泣

       結婚も考えて、頑張ってきたんだけどな。。。。

       彼女を幸せにしてあげたかった。。。。

       彼女には幸せになってもらいたい。



このブログを読んでくれてるみなさん、ありがとね。

携帯からの更新になるか、PCからの更新になるかわからないけど

体力の許す限り更新したいと思います。


更新されなくなったら幸せに旅立ったと思ってくださいね。