高橋源一郎の「ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ」を読んだ! | 三太・ケンチク・日記

高橋源一郎の「ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ」を読んだ!


高橋源一郎の最新作、「ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ 」の本の帯には、もうひとつの「風の又三郎」や「注文の多い料理店」はどんなお話?壊れた時間の住人たちがおくる、真夜中のヒットパレード。現代の“ミヤザワケンジ”が描く24の物語。とあります。装画は「作田えつ子」となってますが、これが妙に不気味で印象的です。


24の物語と言っても、僕はそのうち題名は1/3ほどしか知りません。なにしろ子どもの頃から今の今まで、宮沢賢治なんかまともに読んだことがありませんから。じゃあどうして1/3もの題名を知っているのか?考えてみるに、ひとつには、子どもの頃にたぶん学校でだと思いますが、読んで聞かせてもらったことや、学校の校庭で夏休みに映画になったものを風で動くスクリーンで見たことなどで、題名だけはなんとなく憶えていたのでしょう。それともうひとつ、子どもが小さい頃に絵本を読んで聞かせていた中に宮沢賢治の作品が三つ、四つはあったと思います。そんなこんなで24の物語の1/3、8つほどの作品しか、僕は知らないわけです。


もうひとつ、思い出を語るとすれば、地域の方々と学生たちとの研究グループに属して活動していたことがあるんですが、ある財団の研究対象に選ばれ、地域の人たちにその恩返しをしましょうということで「黒テント」に来てもらい、関係した方々を招待しました。空き地にテントを張り、演じた出し物の題名が「注文の多い料理店」だったのですが、運営側にいたせいか、はたまたちゃんと見ていなかったせいか、まったく内容を憶えていないというていたらくです。そうそう、今思い出したけど「赤いキャバレェ」だったかな?黒テントの「赤いキャバレェ・宮澤賢治旅行記」の中の一つとして、萩京子さんが作曲したオペレッタ、宮澤賢治の「注文の多い料理店」だったのかな?なにしろ昭和60年8月頃の話でしたから。


高橋源一郎の「ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ 」は550ページもの分厚い本です。宮沢賢治の作品の題名はそのまま借用、題名から連想したのか、内容から連想したのか、いずれにしても中身はまったく違った24編の作品があります。だから「宮澤賢治」ではなくて、あくまで「ミヤザワケンジ」なのでしょう。芥川龍之介や太宰治も、他に題材をとっている例がありますが、高橋のこの作品はそれらとはまったく違うように見えます。そしてなぜか目次が、A列12編とB列12編になっています。A列とB列の違いがどうしても分かりません。レコードのA面、B面のようなものかな?


ここで、この先どう書いたらいいのか、なにしろ読み終わってもう2週間も経つんですが、なぜか書き進めません。いちいち24編の作品、ひとつひとつを取り上げても、あまり意味があるとは思えません。家人の持っている金の星社「日本の文学26」の「宮沢賢治・注文の多い料理店」を引っぱり出して、斜め読みもしてみました。解説で取り上げられているのは教訓話ばかり。例えばタイトルだけ取り上げてみると、「自然を、こわすのを、平気でいいのか」、「めいめい、かってに、でなく」、「ゆるしておけないこと」、「文明に、うたがいがある」、「せりあうから、おとしめる」、等々。宮沢賢治の作品から教訓を引き出さないではいられない、そんな感じです。



高橋源一郎は「宮沢賢治でもう一度、『日本文学盛衰史』を書いてみたいと思った」と語っています。「日本文学盛衰史 」が出版されたのが2001年、「官能小説家 」が2002年、この新作「ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ 」も、当然その延長線上にあることを目論んでいるのでしょう。高橋は、日本の近代文学の起源にさかのぼって「文学史の書き直し」を着実に続けているようです。2005年1月に出版された「性交と恋愛にまつわるいくつかの物語 」もありました。この「グレーテストヒッツ」は、短編が短編のまま並べられています。その関係はまったく不明です。文芸誌「すばる」に連載中の続編「銀河鉄道の彼方に」で、24編に隠された謎が解き明かされる仕掛けだとも言われています。とりあえず、関連があってもなくても、深読みはせずに、一編、一編、独立した作品として、教訓になろうとなるまいと、素直に読んでみることが大事なのかなという、結論とは言えないありきたりの結論に達しました。


ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ
著者:高橋源一郎 発行:集英社
2005年5月10日第1刷発行
定価:本体2800円+税