ベルリンでホロコースト慰霊追悼碑の除幕式 | 三太・ケンチク・日記

ベルリンでホロコースト慰霊追悼碑の除幕式

ドイツのベルリンで10日、ナチス・ドイツによるホロコーストの犠牲者を追悼する「ホロコースト慰霊追悼碑」の除幕式が行われた。墓標に見立てた2711基のコンクリート柱が立ち並ぶ追悼碑は、米国の建築家、ピーター・アイゼンマン氏が設計を担当。除幕式にはケーラー大統領や強制収容所のユダヤ人生存者らが出席した。
(ロイター) - 5月11日19時34分更新



ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺の犠牲者を慰霊するため、ドイツが建設を進めてきた大規模モニュメント「ホロコースト記念碑」がベルリンに完成しました。建設計画は東西ドイツ統一前の88年に出されたが慰霊碑の規模や慰霊対象者をめぐって意見対立が続き、戦後60年の今年、計画立案後17年、ようやく完成にこぎつけました。



正式な名称は「虐殺された欧州ユダヤ人の追悼記念碑」といいます。記念碑は、市中心部のブランデンブルク門の南、約1万9千平方メートルの広大な敷地にあり、周囲には連邦議会や首相府、高級ホテルが立ち並びます。墓標に見立てた2711基のコンクリート柱が格子状に配置されて立ち、虐殺の記録を残すため地下に資料館が併設されています。米国の建築家ピーター・アイゼンマン氏の設計で、約2800万ユーロ(約39億円)の建設費用の大半を連邦政府が支出しました。墓標を思わせる板には何も書かれていません。設計者のピーター・アイゼンマンは「一切の象徴性を放棄した」といい、訪れる人の解釈にすべてをゆだねる趣向です。石碑の間の通路は縦横に延び、人ひとりが歩けるのがやっとの幅です。誰かと連れ立っては歩けません。設計者はこの記念碑を、一人で歴史に向き合う「瞑想の場」にしたかったのではないでしょうか。


ケーラー独大統領夫妻

慰霊碑の建設は、市民団体の呼びかけをきっかけに88年、ブラント元首相や作家のギュンター・グラス氏らが建設促進同盟を旗揚げしました。当時のコール首相は「規模が壮大すぎる」と反対しました。ホロコーストの悲惨さを表現できるのかといった問題や、慰霊対象者をユダヤ人に限るのか、ユダヤ人と同じように迫害された同性愛者など犠牲者全体に拡大するかなどでも意見が分かれました。「首都に恥辱の記念碑を置くな」という反対論も根強かったようです。しかし、連邦議会が99年「統一ドイツの首都にふさわしい追悼施設が必要」とする建設案を賛成多数で可決しました。犠牲者の名前を刻まず、対象をユダヤ人に限定することにし、急ピッチで建設が進められていました。独ユダヤ人中央評議会のシュピーゲル会長は独メディアに「様々な議論があったが、市中心部にこうした記念碑は絶対に必要だった。二度と残虐な行為が起きないよう心に刻まなければならない」と語ったそうです。


設計者ピーター・アイゼンマン

我が国で「靖国問題」が騒がれるなかで、かつての帝都ベルリンの中心部に新たにホロコースト記念碑を建てたということは、決して無意味なことではありません。われわれはそこに、ドイツの良心を示そうとする意思を見てとることができると思います。
(参考:アサヒコム2005年05月10日)