代官山の「ヒルサイドフォーラム」 | 三太・ケンチク・日記

代官山の「ヒルサイドフォーラム」

代官山の「ヒルサイドフォーラム」で、クリスト&ジャンヌ=クロードザ・ゲート(門)、ニューヨーク、セントラルパークのためのプロジェクト」にあわせて、クリストの作品を展示している、ということを聞きつけて、さっそく行きました。が、しかし、行った日がちょうど休館日で、またまたの大失態。残念でしたが、しっかり調べていかない方が悪い。実は、しっかりと会期の最初と最後は調べていたんですが、休みの日があるというところまでは調べていない、見落としてました。ということで、本日、リターンマッチ、雨の中を行って来ました。

展示内容は、ドローイングが2点、「梱包されたライヒスターク」と「ザ・ゲート(門)、ニューヨーク、セントラルパークのためのプロジェクト」でした。他に、これまでの主なプロジェクトの写真が数点、展示してありました。展示されていたのは、ヒルサイドテラスのF館、喫茶室の奥の吹き抜けになっている展示スペース、ル・コルビュジェの「フォトゥイユ・グラン・コンフォール」(Fauteuil grand confort)1928年、が4つ置いてある周囲の壁に展示してありました。観客は僕だけ、他には誰もいませんでした。

さて、このヒルサイドテラス、開発者の朝倉家と設計者槇文彦幸福な出会いがあり、1969年の第一期から延々36年の長きに渡って、同じ設計者の手によってつくり続けられ、たぐいまれなる都市環境を醸し出しています。住居を核に店舗、レストラン、オフィス、ホール、ギャラリーなどの諸施設と、それらをとりまく豊かな外部空間は、独特の品位と高い密度をもった街並みを形成しています。駅からちょっと離れてはいますが、逆にそれが幸いして、駅前の喧噪から逃れて、道幅の広い旧山手通りに面し、独特の代官山のシンボルとしての都市環境をつくり出しています。

第一期は「代官山の集合住宅」といって、現在のA館、B館のみでしたが、その後、駐車場を挟んで、C館、D館と続き、隣接のデンマーク大使館も、槇さんが設計することになりました。C館とD館の間には、昔からの築山があり祠があります。D館の奥、半地下のようなところで、朝倉家は、つい最近までお米屋さんをやっていたんですが、最近はやめたようです。また、その後、道路を挟んだ反対側にF館、G館ができたわけです。僕は、36年前、A館、B館ができた頃から、「代官山の集合住宅」には、よく行きました。C館の奥には、今でもありますが「トムズサンドイッチ」があります。「TINTIN」のものがなんでも揃う「タンタンボックス」というお店もあります。「クリスマスカンパニー」というギフトショップもよく利用しました。少し離れて246方面には、「ヒルサイドウエスト」があります。

槇文彦さんは、1928年生まれですから、77歳にもなるんですね。東大の建築を出てハーバードへ行くんですね。それからワシントン大学やハーバード大学の準教授をやって、1965年に自分の事務所を設立するんですね。その前に「名古屋大学講堂」や「千葉大学講堂」で、建築学会賞を取っちゃう、凄いですね。確か竹中工務店の先々代、竹中籐右衛門さんの甥だとか聞きましたが、まあ、良家のご出身ということでして。それから事務所を設立するんですが、デビュー作は、「立正大学熊谷校舎」、僕もバスに乗って見に行きましたが、これは学会賞、取ったんじゃないのかな、それからこの「代官山の集合住宅」なんですね。2001年には、「現代都市における近代建築のあり方を追求した一連の創作活動による建築界への貢献」で、日本建築学会大賞を受賞しました。

代表作はたくさんあり過ぎて困りますが、僕が好きなのは神奈川県の「秋葉台体育館」、有名なのは「幕張メッセ」や「東京都体育館」、それから「京都近代美術館」や、そうそう、青山の「スパイラル」があります。1979年から89年までは東大の建築学科の教授でしたね。いずれにせよ、あらゆる面で恵まれた建築家です。もう、こんな建築家は出ないでしょう。