朝倉彫塑館とその建物について
僕が最初に「朝倉彫塑館」へ行ったのは、もう20年以上前のことでしょうか。その後、何度か「谷中」の街歩きに誘われて参加したり、「谷中、根津、千駄木」、いわゆる「谷根千」散策でも来たことがあります。芸大出身の友人が「谷根千」のまちづくりの拠点「谷中学校」に関係していた関係もあり、よく案内してもらいました。その度に、この「朝倉彫塑館」を見学しました。谷中墓地の桜の季節も終わりかけた頃、再び見学してきました。
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この「朝倉彫塑館」の見学の楽しみは、彫刻家朝倉文夫の作品を展示してあるアトリエ棟の他に、数寄屋造りの住居棟、そしてそれらに囲まれた中庭をも、併せて見学できることです。朝倉彫塑館は、彫塑家朝倉文夫(1883~1964) が、住居兼アトリエとして自ら設計・監督を行い、8回におよぶ増改築の後、昭和3年から7年の歳月をかけて新築し、昭和10年に現在の形となりました。これらの住居・アトリエ・東屋・旧アトリエが国の「登録有形文化財」に指定されています。
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正面、門を入るとそこは真っ黒い外壁がそびえ立っています。この特徴的な黒い色は、防水用にコールタールを塗り付けたそうです。アトリエ棟は鉄筋コンクリート造3階建てで、制作中の彫刻が壁面の角のラインによって影響を受けないようにすべてアールが付けられています。3階部分まで吹き抜けになっている天井までの高さは8.5m、床面積は175㎡。床下(7.3m)には電動昇降制作台が格納されています。ここでは「大隈重信像」「墓守」「時の流れ」「九代目團十郎像」などの彫塑作品を常設展示しています。
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書斎は、天井までの高さが約4mもあります。南側の窓を広く開けて、三方の壁には天井まで和洋の書籍が並んでいて、圧倒されるものがあります。洋書のほとんどは、朝倉の恩師である岩村透の蔵書だそうですが、朝倉の遺品やコレクションも展示してあります。
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朝倉彫塑館で最も特徴的な空間は、コンクリート造のアトリエ棟と、数寄屋造りの住居棟に囲まれた中庭です。「五典の水庭」と呼ばれる中庭は、朝倉が自己反省の場として構成したものだそうで、地下の湧水を利用し、儒教の五常の教えを造形化した「仁」「義」「礼「智」「信」の五つの巨石が配されています。1月の白梅に始り12月の山茶花で終わるまで、四季折々に白い花を咲かせる木が植えられています。
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数寄屋造りの住居棟は、玄関を入ると書生室があり、北側に中庭に並んで居間、茶室、納戸、寝室とつながっています。すべての部屋は竹をモチーフにしてつくられています。床の間の床柱や、階段の手すりは自然木や竹が多く使われていて、その曲線はなんとも言えない雰囲気を醸し出しています。また、ペンキを塗った床柱もあり、それもまた数寄屋の精神かなと思いました。
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アトリエ棟の玄関から階段を上ると、東洋蘭の温室として使用していた部屋があります。現在は、猫を題材とした作品が展示してあります。「たま」「吊された猫」など、無類の愛猫家であった朝倉ならではの猫の豊かな表情が見られました。猫好きの方は一見の価値があります。また、3階には「朝陽の間」と名付けられた日本間があり、来客のための応接の場として使用されていたそうです。
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屋上は、朝倉が彫塑塾を開校していたとき、園芸の授業のため使用していたそうです。現在は、四季折々の花が咲く花壇になっているようですが、その日は屋上には出られませんでした。考えてみれば、この「屋上庭園」は、コルビジュエの「サヴォア邸」が1931年ですから、ほぼ同時期、世界的に見ても早いと言えます。
それにしても昭和初期の彫刻家のアトリエと住居、今ではとても考えられない生活がそこにはあります。そしてそれがすべて自分の考えで、しかも第一級のセンスで創られているのを目の当たりにするという驚きがこの建物群にはあります。JR線日暮里駅から歩いても5分ぐらいのところにあります。ぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。