柱は魂の発射台だった! | 三太・ケンチク・日記

柱は魂の発射台だった!

昨晩は読みふけりましたよ、面白くて、面白くて・・・
なにをって、 決まってるじゃないですか、
ヤリイカ、あっ、違った、ユリイカの11月号
特集*藤森照信・建築快楽主義 です!
ほとんど読んじゃった、斜め読みですけど!

なにしろ表紙の写真が凄いんだ、これが!
今年の6月に完成した「高過庵」、地上6.5mの所に床を組んだという、
高過ぎる床の住宅から「高過庵」と名付けられたもの。
誰しも、少年時代、ターザン小屋、樹木の上にツリーハウスを作ってみたいという願望があったと思うんですが、それが見事にここに結集、出来上がった。デビュー作の神長官守矢史料館のすぐそば、藤森さんの諏訪の実家の畑に作られた。

赤瀬川原平、南伸坊、伊東豊雄、石山修武、等々、の文章が面白い。
増田彰久の白黒写真がさすが、素晴らしい。
自筆年譜や主要著作解題、全建築作品解説も価値がある。

藤森は元々東北大から東大の大学院に入った村松貞次郎の弟子。「明治の東京計画」で博士号を取り、東大生産技術研究所で教職についた歴史家です。が、路上観察学会建築探偵などでメディアを賑わし、いつの間にか、あれよあれよという間に、建築の設計もやるようになってしたったというツワモノ!自邸であるタンポポハウスや、赤瀬川原平の家ニラハウス、天竜市の秋野不矩美術館、等々を設計。そうそう元首相の細川さんの湯河原の工房、不東庵工房も設計してますね。

藤森の人間性について、南伸坊は次のように言う。
天衣無縫である。明朗闊達である。ユーモラスである。食欲旺盛である。」と!
なにしろピカピカの一年生の時に、自分の好きな所に座りなさいと先生が言ったら、並んでいる机の前の椅子に座ってのではなく、なんと窓そのものにお尻を乗せて座った、という人ですから。

ユリイカ11月号、藤森ファンは必見、お宝ですよ。