地球へ… section24 最終回 愛の惑星(プラネット) | 高校生日記…かなかな?(甲子園編を終えて、卒業まで…あと何日?)

地球へ… section24 最終回 愛の惑星(プラネット)

地球へ… section24 最終回 地球の緑の丘

どう表現していいのか…

古き時代の人類(原作時から、映画化から・・・)としては、困る最終回でした。


以下、原作・映画ネタバレ大の感想(?)に、ならないかもしれない、感想です。

古き者の記憶としてお付き合い下さい。




まず、原作『地球へ…』は、大きなトラウマ、またジレンマの作品でした。


原作ラスト、

グランドマザーが破壊され、目覚めたコンピュータ・テラを停止させた行動…、

機械により運命を作られ(狂わされた…)怒りもあったと思う。機械の支配から完全に離れる為に、

地球を縛るコンピューター・テラを停止させる行動は、理解できる。

が、

それにより、大地核変動、大災害、多くの人間、ミュウが死亡する。

そのれは、まるで地獄絵。

崩れ逝く地下都市から地上に向かう人間を助けるミュウ。

しかし、助けたが為に、共に火に焼かれるミュウ…


フィシスやら少数の者が、地上に逃れるが、辺りはマグマが吹き出る地獄絵図。

フィシスに触れ、ホンの一時の安らぎを得られた人々も生き残れるのか…

女神と呼ばれながらも、ボロボロで、無力な己に絶望するようなフィシス。

ジョミーの命令に逆らい、救出の為、地球に降下するミュウの船、

しかし、マグマ…炎の渦巻く大地に着陸できるのか…?


あの原作では、私の中では、地球人類、ミュウも、全滅でした。


キースの行動はわかる、わかるんだけど、その代償は、あまりにも大きすぎる、

あまりにも多くの人が無残にも死にました…。

理解できるが、認めたくない、そんな感情。

映画の地球へ…は、

C・テラを停止し、やはり大災害・崩壊は起きましたが、人類もミュウも、生き残り、

ミュウの宇宙船が朝日の中、降下するシーン。

平和に暮らしていくだろう…希望のラスト。


しかし、原作の反動で、綺麗事のだけの気がして、不満でもありました。(ヒネクレモノ)


今回のアニメは、その2つの反動で、あまりにも中途半端!!

地球の人類も少数で、原作ほどの迫力、悲壮感なく、


キース、ジョミーにしても、綺麗に、二人だけの間で終ってしまったような、


人類との存亡をかけた物語が、小さなテーマで終ってしまったような、 

様々な制約、時代の移り変わりの中、しかたないことだと思いますが、

壮大なる原作の魅力が失ってしまったような…。

原作最終回を読んだ後、しばらく考え込み、仲間と語り合った、思い出があります、

「助かったんだ」、「いや、全滅だろう」、

「アレは、ジョミーの生まれ変わり?」、「フィシスとブルーだよ」、「いや、トォニィの子孫?」、

「最後のイラストの意味は?」

今も、明確なる正解があるとは思いません、考えるコトの必然性、

たった一つの物語の中で、たくさんの思いがあると、

今も、納得できず、彷徨う思考があります。

まぁ、古きファンを発掘させてくれた、『地球へ…』、昔のいろんなコトを思い出しました。

今の新しいファンのありかたが、楽しかったです。

 ウン十年たっても、色あせないモノに感動でした。

 ありがとうです。