ロベルトバッジョ | スローライフそして今出来る事

スローライフそして今出来る事

   日々の出来事や感じるままに進めていきます

人間的にも当然

プレイヤーとしても

大好きな元イタリア代表選手


スローライフそして今出来る事

大の親日家でもある

彼のサッカー人生は

怪我との戦いでもあった


その度に

不死鳥の如くピッチに立ち

「もう彼はダメだ」って言われ

最後は

「彼ならまたピッチに帰って来る」

って言わせ人々を魅了した

イタリアの至宝


ロベルトバッジョ


彼が一躍有名になったのは

まさかのPKを外し優勝を逃した

94年WCアメリカ大会

予選で不審のイタリアを

彼のゴールで決勝まで

導いたが決勝でそれもPK戦で

敗れる


98年WCフランス大会前にも

持病の膝を壊し

危ぶまれたが復活し

当時デルピェーロの控えで

参加するがデルピェーロー

より結果を残し

人々に印象を残す


02年WC日韓大会に自身

4回目の参加を目指すが

選考前にまた膝を壊し

膝にメスを入れる

皆がバッジョはもう代表は無理だ

と言われる中

奇跡の復活そして

復活したリーグ戦でゴールを決め

バッジョ待望論が巻き起こる

しかし

彼が日韓WCの舞台に立つ事は無かった


彼はWCの度に国民やメディアに支持され

バッジョを代表にって声が上がるが

なぜか監督に嫌われる

代表的なのがリッピ監督である

彼はインテル時代のバッジョに露骨な

イジメ? 対応?をした

練習の食事でも監督の許可がないと食事をさせない

露骨なイジメ

それはなぜか

リッピはロベルト・バッジオとの最初のミーティングで

バッジオにスパイになるように依頼していた

というバッジオ自身の証言がある。

それはスパイを監督が選手に依頼した

とても信じられない事実

それを彼は断ったことから始まった

それは露骨に試合でメンバーを外し

時にはアップまで命じるが使わない

しかし彼が凄いのは、そんな仕打ちを受けながらでも

時に交代で出場すると

逆転ゴールを決めるのだ。結果を出す

それもそのゴールが人々に感動を勇気を与える

テレビで見ていても感動で涙が出てしまう

後にも先にも一人のプレイヤーでこれ程感動させられた

プレイヤーはいない

彼は最後ブレシアでプレーをする

その時に今の代表でプレーする

トニーやピルロがいた。彼らはバッジョにパスをもらい

パスを出しバッジョに成長させられたと思う

「勝利のため」と「国民に勇気を与える」こんな選手は

後にも先にも出てこないと思う

事実上の引退試合になった

2004年5月16日サンシーロ

苦しくも彼が4シーズン不遇の時を送ったスタジアムが

現役最後の舞台となった。

左腕のキャプテンマークの「必勝」の文字

アウエーのスタジアムに巻き起こる

スタンディングオベーション

スタジアム全体が不遇の天才に惜しみない拍手を送る

右手に必勝と書かれたキャプテンマーク持ち

高々と掲げて声援に応える姿が忘れられない


勇気と感動をありがとう

今でも貴方を忘れない


追記

バッジョを救い

中田英俊を見出した

マッツオーネ監督

ありがとう


参考

ロベルトバッジョ自伝

「時の扉」


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