毎日、毎日、ブログ書かなきゃブログ書きたいと、ホントに思っていました
こちらパピプ家元気に頑張ってます‼️
そう書きたいと思っていました
でも ピョンとプーチとコータローとニャン太郎と花子の飼育員は、朝から晩というより、もうここ最近は朝から朝まで忙しくて、1日が秒感覚で過ぎていく毎日でした
ようやく書けた久しぶりの投稿で こんなことを書かなきゃいけないとは まさかまさか思いませんでしたが
10月26日 夜
ピョンが 永眠いたしました
13歳5ヶ月と20日でした
ドッグランで遊んでくれた犬の皆さま
一緒にお散歩してくれた犬の皆さま
可愛がってくれたママやパパ
おやつをくれたママやパパ
ブログやインスタで仲良くしてくださった皆さま
本当にありがとうございました
ピョンは本当に頑張りました❗️
本当に本当に頑張りました‼️
悲しくて寂しいです
ピョンに使っていたお世話の時間と労力が無くなり、ものすごくポッカリしています
狭い家だけどそれでも死角はあるから、どの位置にいてもピョンを見やすいように、ほぼ正方形な形の我が家のほんとおへそ、ど真ん中がピョンの定位置でした
ワンワンと鳴くことはもうここ半年くらい出来なくなっていて、ホン!みたいな高い声がギリ出ていたかな... でもそれも夏頃から出来なくなって、何か要求があっても声では知らせられないから、極力ピョンをいつでも視界に入れておく、そんな生活でした
日中、お散歩から帰ってから ピョンもプーチもぐ〜っすりと音も無く眠る時間があったので その時間は 和室に移動させて、プーチと一緒に寝ていました リビングだとコータローに邪魔されたり、オモチャの音もテレビの音も うるさいからね でもそれ以外...24時間中20時間はリビングにいたんじゃないかな
そんなピョンを、バタバタ部屋の中を行き来しながら『ピョーン』とか『やっほ』とかひと撫でして過ぎたり、『暑くない?』とか『お水のむ?』『そろそろオシッコか』『今行くよちょっと待って』『え〜今度はなんだ?』とか、とにかく起きてればずっと話しかけていました
それが無くなっちゃって、ピョンの居た場所 ぜんぜん大きなスペースじゃないはずなのに、ガラ〜ンとしています
私もそしてとーさんも、いつもの癖で何かしながらもちょいちょいピョンの位置に目をやってしまっています。 でもそこにピョンはいなくて、その部分の床が見えてることに慣れなくて、そしてそれが嫌でたまりません
かといってじゃあ、しばらくここに何か置いとこうかと思っても、たぶんそれはただただ邪魔すぎてイライラするだけで
ピョンだったから良かったんだよ
ここです 一昨日の夜中に撮った写真ですが、手前にとーさんの足が写っています
ここ最近 夜中はすっかり交代制になっていて 2時頃まではとーさんがリビングにいてこんな風に寝ていました 写真のようにこっちが足だったり、ピョンが調子悪そうな時はこっちを頭にして寝てました
私は お二階でコータローを寝かしつけたあと そのまま3〜4時間くらい一緒に寝て(ここで寝とかないと朝まで寝れない時が多々ある) 2時3時にとーさんと交代、私は起きたままなんやかんや残りの家事をやりながら 朝を迎える、時間があったら朝方少しだけまた寝る そんな生活でした
これはピョンのためだけで無くて、プーチも夏頃から夜間ちょこちょこトイレなど動くようになって、でも足腰が弱っているのでたまに立ち上がれなくてもがいていたり、立ったはいいが後脚がナックリングで進めなくなっていたりすることがあるので、リビング交代制にするのが手っ取り早いから、そうしていました
でもプーチはハウスさせれば 滑って転ぶだとかのアクシデントは起きないし、トイレなんかの用があったらプーチは吠えて知らせてくれるので、今となってはもうリビングに常駐してなくても大丈夫なんだけど
一昨日夜も昨夜も今夜も とーさんは同じルーティンでここに寝ていました そして私も同じルーティンです 今夜も3時に、私と交代で寝室に上がって行きました そしてつい先ほど6時半にまだ起きてきて、仕事に出かけて行きました💦
生前のピョンのことを少し書きます
長くなりますごめんなさい
9月の初め頃までは 二輪の車椅子で 楽しんでいました
この写真は、二輪の車椅子利用の最後の頃のものです 前脚すこし擦ってますね あんなに太かったピョンの前脚はかなり細くなりました 上半身を支える力はこの時はもう無かったです
本当ならもうとっくに、四輪の車椅子にするべき状態でしたが、四輪の車椅子では 走ることやボールを拾うことが出来にくくて、何度かチャレンジしてみたけどピョンが楽しそうじゃなくて、『これイヤなんだけど』と言ってるのが顔を見ただけで分かったので、それを慣らすために費やす時間すらもったいなくて、四輪は潔くあきらめました
メーカーさんにも申し訳ないと思いましたし、メーカーさんの推奨するマニュアルに従って正しく使うほうがピョンの骨や筋肉のバランスを保持するのには良いに決まってるんだけど、でも私はピョンの『今 楽しい』ほうを選びました
お散歩や移動は完全カートにして 広場や歩きやすいところで 二輪の車椅子に乗せて 上半身はハーネスで吊り上げるようにして 歩いたり走ったりボールを追いかけてみたり、私がプーチやコータローに手を取られている時は、犬仲間が同じようにサポートしてピョンを遊ばせてくれました 本当に お友達みんなには感謝しかありません
ちーちゃんままと
麦くんままと
ココララままと
チモツキままと
そのかのままと
こうやって車椅子に乗せて動かすと前脚をちゃんとパタパタさせて、きっと本犬は、自分で歩いたり走ってるつもりになれていたと思います
本当にみんなに助けてもらいながら、ピョンは毎日公園散歩とボール遊びを楽しみました
それでもだんだんと 前脚の動きも落ちてきて、パタパタが止まって地面に擦るようになってしまったので、9月半ばからは二輪の車椅子も ほぼ使わなくなりました 車椅子はもういーや車に置いて行こう、そう諦めをつけた時、ちょっと辛くて公園の駐車場で泣いたのを覚えています。ピョンにぎゅうっとして『大丈夫、乗らなくてもボール遊びはできる』って言いました
広場で寝そべりながら ピョンはせっせとボール遊びをしました
排泄は私が抱っこして、ちょっとマッサージしたり圧迫したりで オシッコもウンチもちゃんと出来ていました
食欲も旺盛 ヤギミもオヤツも お出かけも大好き‼️
でもときどき呼吸が苦しそうでした
苦しい時はやっぱり表情が変わりました、これは少し苦しい時の顔です↓
『10月の日曜日は休みがない』と とーさんが言っていて、だから9月の日曜日はまだまだ暑さが残っていたけど 日光などを選びながら毎週必死になってお出かけして...
しかしさて10月になってみても、気付けば結局とーさんは毎週日曜日に家にいて『ん?あれ?』と思ったけど....だってほらたまには自分の好きに日曜日を使いたい時もあるじゃないですか
だけど今となっては、『よく分かんないけど結局休みで良かった』と思っています
10月は雨の日曜日が1回あったけど、残りの3回の日曜日は、お出かけができました
これは22日 この前の日曜日です 最後のお出かけとなりましたが、道の駅もてぎに行きました
お蕎麦も食べてアイスも食べました
まさか最後になるなんて思わなかったけど
そして最後の週は、またグッと呼吸が辛そうになってきて、大きく口を開けるので、お顔の下に敷いてるタオルはヨダレですぐビチョビチョになり1日に何枚も交換しました トイレやご飯の時に体を動かす時にも 抱き方や支える位置を気をつけないと、チアノーゼっぽくなってしまって これはマズイと思いました
病院に行ったところ やはりかなり呼吸不全が進んでいるとのことでした
この病気による筋無力症が呼吸器まわりに到達していて、完全にそのせいでの不全か、もしくは、肺や心臓に雑音はなかった様だけれど気管支炎や肺炎なども起き始めていてそれも併せて苦しくなっているか、レントゲンで体を動かすのも本犬には相当しんどいだろうとの判断でレントゲンは撮りませんでしたが、推測の診断で私ももう十分でした
そろそろ酸素ボンベやレンタル酸素室を用意しようかと言うと、かかりつけ医は酸素室にはちょっと難色を示しました 重度の呼吸不全には酸素室利用もまたリスクがあるそうです そういった説明を受けてまぁ納得して、とにかく呼吸を楽にしてあげようと、ステロイドを処方してもらいました
対症療法的な目的で処方されていたビタミン剤なんかももう少し前からピョンは拒否していたので、その薬がどれぐらい飲めるかなぁと心配もしたけど、ピョンは処方された薬を、朝・晩・朝・晩、飲むべき量をちゃんと飲みました 5日分出された薬の、2日分をしっかり飲み終えました
最後の数時間少しは呼吸が楽に慣れていたかな、そうだと良いな、せめて
そして最期は隣でうたた寝していたとーさんも気付かないうちに、旅立ちました
私が寝かしつけに上がってからの3〜4時間、次のピョンプーチのトイレの時間まで、犬猫人間、全員が眠れる時間があります まぁとーさんだけ起きてて映画とか見てる時もあるけど、でもほんと寝れる時に寝なきゃスタイルなので、大概は寝ます
それでもとーさんいつもなら、犬たちの動きにちゃんと気付いて起きて対応してました。声が出ないピョンだったけど、よほどの時はカッカッカッという息づかいとか、布団をこするような音ととかで知らせてくれました
だから本当にピョンは、静かに静かに深く眠りに付いたのだと思います
私が側にいれなくてごめんねごめんねと、最初は思いましたが、ピョンは、私の29歳の誕生日プレゼントに、とーさんが選んで連れてきたコです 本当にとーさんが大好きだったから、とーさんの隣でとーさんと一緒に...を選んだのかもしれません
私が最後にかけた言葉はいつもと同じ『じゃあねピョンちゃん、またおかーさん降りてくるからね、おとーさん居るから大丈夫ね、ねんこしてなね〜』です 本当にいつもと同じ じゃあね が ずっとのじゃあねになりました
後悔はないと言ったら嘘です でもピョンは本当に頑張っていたから、ピョンがせっかくやりきった犬生だから、頑張った頑張ったあっぱれあっぱれという気持ちでいなきゃなって思っています
頑張りました❗️
本当に頑張りました❗️
『思い出すピョンちゃんは笑ってるピョンちゃんばっかり』お友達みんなが言ってくれました
本当にいつも笑っていました
犬の笑顔は、単に口を開けて呼吸してるからそう見えるだとか 暑いから口開いてるんだとか言う人もいるけど、違うよね、それだけじゃない 少なくてもピョンのはそうじゃない、本当に笑ってたよ
亡くなった日も 午前中は普通にお散歩して、そしてこれが私のアルバムに収まる、私が撮った、最後のひとり撮りのピョンも笑ってた↓↓
本当に可愛かった
本当に良い子だった
ピョンは、幸せだった‼️
絶対に、幸せだった‼️
つらつらと書いてしまいました
おしまいの仕方が分からなくなりましたが、ひとまずこのへんで終わりにします
読んでいただき、ありがとうございました。
また書こう、最後の日のお散歩も、お散歩卒業式も、そして葬儀のことも
精一杯生きていたピョンのこと...
お友達との思い出も...
fundogsでの思い出も...
家族の思い出も....
ゆっくり振り返りながら、心の整理をさせてください もし気が向いたらまた覗いてください 細かい文章は読まなくて良いです、写真だけでもパラパラ〜っと見てもらえたらそれだけで十分です
皆様、本当にありがとうございました‼️