東京都西多摩郡瑞穂町に位置するハウス群は「ジャパマハイツ」といわれる。この地域は、村上龍の小説の「限りなく透明に近いブルー」の舞台だ。現在は、小説に書かれている世界はないだろう。(あったら恐ろしい)数年前まで友人とルームシェアして住んでた。

なにより、賃貸物件でこんなに自由度の高い物件はないだろう!ってくらい自由。

内装だってペンキ塗ったり、釘で棚打ったり、音だって爆音。苦情なんて一度もない。
部屋は中心にリビングがあり放射状に部屋がある。自分にとってプライベートも確保できて、
改めて間取りのシンプルかつ、実用的で機能的な間取りにほれぼれした。

周りの住民も音楽や芸術関係者が多い。家賃は少々高めだけど、居住面積を考えるとこんなものかなと思ったりするけど、築平均で50年くらいの物件だからもうちょっと安くても、、、と考えてしまうけど。

一般に2LDKタイプまたは3LDKタイプで平家の一軒家。将校タイプの2階建てもある。駐車場も1~3台は停められて庭もありテラスだってついている。しかし老朽化ですきま風あり、虫とも共存。湿度が高くカビが生えるし冬は寒く、夏は蒸し熱すぎる。

ウェキより引用:

「ハウス」とは、福生市にある米空軍横田基地周辺にあった(元)米軍住宅である。JR八高線と平行する国道16号に約2000戸あったとされる。朝鮮戦争やベトナム戦争の時に住宅不足のために建てられた。米軍住宅の場合は一種の治外法権地帯であり、ドラッグ・パーティーや乱交パーティーが開かれていたと言われる。戦争後「ハウス」は安く借りられる広々とした一軒家として、芸術思考の若者を引きつけた。乱交パーティーの文化はそのまま残ったと言われる。

上記の頃は、日本にヒッピーカルチャーの影響が強い時期。アメリカ文化が日本にやってくる。いち早くキャッチしたのが、狭山アメリカ村の稲荷山公園(旧ジョンソン基地跡地公園=ハイドパーク)に住んだ人達だろう。

基地返還後は一般人に開放され、家屋のデザインと家賃の安さが当時の若者に人気だった。1960年代から1970年代にかけて多くのミュージシャンが居住、独自の音楽コミュニティが形成された。細野晴臣、小坂忠、麻田浩、はっぴぃえんどなどが有名。

「happy snap shot diary」写真家 野上マサヒロ氏の写真集をみると、その時代の生活感などがリアルに見えてくる。

私は、現在も福生のハウスに住んでいる。

朽ちた外観、内観。フローリングのヤレタ味は加工技術では出せない。

ハウス話は沢山あるので後々小出しにしてみます。

現代の米軍ハウスのイメージを掴むのにはここが一番かな☆
http://we-love-fussa.com/index-house.html

tomotintin9のブログ
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