父が中皮腫になった

父が中皮腫になった

2015年10月下旬 右胸水で入院
2015年11月上旬 中皮腫と判明(ステージ1)
2015年 12月中旬 温熱化学灌流手術実施
2016年 1月上旬 退院 帰宅
2016年 4月上旬 腹水貯留で再入院
2016年 4月中旬 帰宅
2016年 5月中旬 自宅にて他界

中皮腫を宣告され、苦しまれている方たちに、少しでも多く有益な情報をお伝えできればと思っています。
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父が亡くなってから一年が経ち、日曜日に父の一周忌を行いました。父のいない日常にも慣れ、家族誰もがすっかり日常を取り戻しました。母も今は元気に過ごしています。
 
気持ち的にはすっかり立ち直ったつもりではいるのですが、なぜか父がよく夢に出ます。通常は夢を見ても目覚めると夢の内容をほとんど覚えていないのですが、不思議なことに父が出た夢のことはどれも詳細に覚えています。
 
夢での私は父が生きていると思い込んでいて、父と普通に会話を交わしています。本当にくだらない夢も多く、私のおはぎを父に食べられてしまい父に文句を言っているという夢などもあります(笑) それを母に話すと、「じゃあお父さんおはぎ食べたいのかもしれないね」といっておはぎを仏壇に供えます。父が亡くなって1ヶ月ほど経ったとき、父は私の夢で「病気はもう大丈夫だよ。食欲もすっかり戻ったよ」といってモリモリごはんを食べていました。父は最後の3週間ほどは水と点滴しかとれず、すっかりやせ細って便も残っていませんでした。それが夢ではすっかり肉づきが良くなり、笑顔でごはんを食べています。私も夢の中で「それは良かった!」といって一緒にごはんを食べています。母はそれを、「お父さんは天国に着いてごはんを食べているんだよ」と話していました。
 
私は父がなくなるまで、宗教とか霊とかいったものは胡散臭く、そのようなものを信じている人はちょっと変なんじゃないかと思っていました。今でも特定の宗教などを信じているわけではありませんが、かつてほどの拒否感はありません。父が何度も夢枕に現れ、その夢を克明に覚えていることが私にとっては非常に不思議な感覚で、理屈を超えた何かを感じます。自分が思っている以上に大きな喪失感が残っていて、夢での体験を変に神聖視しているだけかもしれませんが。
 
 
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埼玉医大にて診療の順番を待つ父と母

 

 

中皮腫と診断されてから、父がまともに過ごせたのは3ヶ月ほどでした。「まとも」の意味は、ごはんがおいしく食べられて、自分の足で移動できるということです。ガンが進行し腹水が貯留するようになると、腹水によって栄養分が流出するため体力は急激に衰え、食欲はすっかりなくなります。食事はしなくても腹水はすごい勢いで出続けるため単に絶食をする以上に痩せ方が急でした。痛み止めの薬と痰を止める薬、そして睡眠薬を毎日飲むようになりました。ただ、薬を飲み込むのは辛く、1粒の薬を飲むのに10分以上かかることもありました。肺活量が著しく減っているため、ちょっとしたことで呼吸が乱れて苦しくなります。

 

今でも父のことを思い出すと、「もっといろいろしてあげたかった」と思うことは少なくありません。父はうなぎが好きでしたが、一度もうなぎ屋へ連れて行ったことはありませんでした。最近有名な鰻屋へ行った時に、「こんなに美味しいうなぎなら父を連れてくれば良かった」と思いました。また、葬儀の時に棺に手紙を書いて入れるのですが、死んでからではなく生きているうちに感謝の手紙や言葉をかけて上げるべきだと思い後悔しました。家族旅行の計画も治療が一段落してからと思っているうちに病気が進行して結局は実現しませんでした。

 

病気が進行してくると家族もできるだけのことをしてあげようとします。しかし、食欲や体力が衰えてから何かをしてあげようとしても何もしてあげられなくなります。「こんなことならもっと早いうちにいろいろしてあげるべきだった…」と思うことも少なくありません。

 

どうか患者さんを支えるご家族の皆様には、後悔のないように伝えるべきこと、できることは積極的にやってもらえればと思います。