2013年1月24日 午前11時59分
ママは息を引き取りました。
それは、オモチャのゼンマイの切れかけ・電池の切れ際の様でした。
ずっと手を握り、顔が見えるよう目線の先へ回り、耳元で励まし…
ゆっくりゆっくりと血圧が下がり、呼吸もゆっくり、脈も下がり…
首の脈が触れなくなった時、呼吸もゆっくりと止まりました。
初診に行ってから約11ヶ月
余命2ヶ月~半年って言われてたけど…
頑張ったね。
もう辛いコトも怖いコトもないよ。
けど…どんな状態でもいいから生きていてほしかった。
18日から個室に移り四六時中一緒に過ごし、ツラい状態なのに長く生きる選択をしたいと言っていたママ。
知も同じ気持ちだった。
ママは身体も心もツラいだろうけど、このまま個室で1ヶ月、春までと長引いて莫大な個室料払っても、ママの意識がなかろうと、生きていてくれるだけで支えられている。
ママとずっと一緒にいたかった。
色んな人のブログで見たように
「今までありがとう」なんて簡単に割りきれない。
終わったコトにできない。
点滴など片付けてキレイにしてくれた後、亡くなったママの身体を看護師さんと拭いてあげて、浴衣を着せ、化粧をした。
さっきまで呼吸していたママ。
お風呂や洗髪好きだったもんね。
拭いていたママの身体はガンと闘った跡でいっぱいだった。
…ほとんど抜け落ちてまた、生えてきた髪
…痩せ細った身体
…ポートの跡
…抗がん剤の点滴をし、黒くなった血管
…採血をして鬱血した腕
…むくんだ手足
…年輪のように抗がん剤をした頃に白い線が入った爪
…大腸の加圧により膨らんだお腹
…血小板が少くなりDICだったから交通事故にあって無数のガラスを浴びたように内出血が上半身にたくさんあった
ホント頑張ったね。
もっと2人で頑張りたかったね
大好きよ。ママ。
頑張ってくれてありがとう。
今でも何でママが?って思う。
1週間ぶりの自宅で、1週間ぶりのご飯を食べてみようと思う。