11月になってじわり増加に転じはじめたコロナ。ここに至って、報道の場でもすっかり「第3波」という表現が定着しつつあるが、本当にそれで良いのだろうか?長い2波が量的に拡大しているのか、2波とは全く違うウイルス株がどこからか入ってきて、別の波を引き起こしているのか。このどちらかであるかは、きちんと見極めて第何波なのかを命名しなければ、対応のあり方を間違うなどの、大きな問題を引き起こすことになると思うのだが。

 もっとも、医学の世界でも、こういったウイルスの感染拡大の波を、どこで1波・2波と区別する、厳密な定義は無いらしい。ウイルスに特に大きな変異が起こっていなくても、一旦治まった感染が、再び勢いを増しても増加グラフが波形を描いていれば、確かに別の新たな波が来たといえるのかもしれない。ただ、そんな量的な増減だけで2波・3波といって良いものだろうか。もっと疫学的に厳密な区分けをすべきでは無いだろうか。

 現在の疫学研究の水準からいえば、ウイルスのDNAを調べて、流行しているウイルスの種別を厳密に区別して、シロウトにも流行の波をの中身をわかりやすくすべきだろう。2波の時のウイルスと、現在増加しつつある患者から検出されるウイルスが、どのような関係にあるのかを調べれば、第2派の時のウイルスが変異したものか(もしくは変異していないものがそのまま流行っているのか)、2波のウイルス株とは全く異なるものが海外から入ってきていて3波を起こしているかは、すぐにわかるはず。そして前者と後者では、今後の対応のあり方が大きく異なってくる。

 

[長い2波であった場合]

 現在はやっているウイルス株が、2波で流行っていたものそのものか、そこから変異したものなのかである場合は、あくまで「長い2波」と呼ぶべきだろう。長い2波であった場合、そこからわかることは、①夏場の感染沈静化は、あくまで高温多湿な気候で抑えられていたもので、②第2波のウイルスは容易には弱毒化しなかった。③よって、今回のコロナウイルスは、容易に弱毒化しないしつこいもので、ワクチンの準備が十分に整うまでは、国内での移動を徹底して制限するしか対処法はない、ということになる。

 

[第3波であった場合]

 もし秋あたりに海外から入ってきた、第2波系統とは別のウイルス株が、11月時点での再拡大を引き起こしているなら、これは紛れもない第3波と呼ぶべきだろう。こういった性質の3波であれば、原因は海外からの流入を止め切れていないということに尽きる。10月から緩和しはじめていた入国制限緩和を早急に見直し、ある程度国内での移動制限は緩和したまま様子を見ることができる。

 このように、どちらであるかによって、コロナウイルスそのものをどう見るかという見方も変わってくるし、対処方法の方向性もまるで違ってくるはずだ。この定義をハッキリさせていない医学界の責任は大きいと思う。そして、この点をハッキリさせない医学界の対応に、もっと批判的な論評を加えて、正確な判断を引き出すのはマスコミの役目だ。医学界・マスコミともに、果たすべき役割を果たしていないことに、正直怒りを感じる。

 大事な判断をいい加減にしたままハッキリさせない医学界。曖昧な用語を、そのまま垂れ流すマスコミ。まだその辺の無責任さを正すのに遅くは無い。一刻も早く、責任のある定義と報道を行って欲しい。

 今まで海外からの感染者流入の波は2回あった。

 第1波は、1月から2月上旬にかけての中国からの観光客。これに対する渡航拒否措置は遅かったが、そこまで大量の感染者を出さずに済んだ。
 第2波は、3月に入ってからの欧米からの帰国者。ここで大規模な予算措置をかけた対応を取らなかったのが、現在の惨状を招いている。東京はもう都市封鎖してもおかしくない状況だ。第1波が思ったほどの事ではなかったので油断したのか。
 第3波は、これから起こる。3月31日、新たに感染症危険情報レベルが3に引き上げられる49ヶ国に渡航していた邦人が続々帰ってくるからだ。ここでの対応を誤れば、第2波の時と同じような大規模な感染拡大が起こる。現状の感染者と合わせて、更に急激な感染者拡大を引き起こす。

 それでは、失敗を繰り返さないために何が必要か。
 第2波での失敗の最大の要因は、帰国者の2週間の待機要請への強制力が無きに等しかったことだ。「帰国したら、公共交通機関を使わずに家に帰って待機して下さい。」成田や関空に降り立った帰国者が、タクシーや徒歩で帰宅できると思っているのだろうか。役人の発想は、都会に住んでいる金持ちの立場しか想像できていない。地方在住者の立場が、すっぽり抜け落ちている事を痛感する。空港近くのホテルに2週間待機できるのは、よほどの富裕層のみ。また、ホテルによる待機拒否もあるという。ホテルの気持ちも分かる。ここは、政府が経費を投じて2週間の隔離場所を確保してないのが、どう考えてもおかしい。政府がいくつかのホテルを借り上げて隔離場所として使用するなどの措置をとらないのがおかしいのだ。電車に乗って自宅に帰る貧乏留学生を批難するのは、おかど違いだ。もちろんホテルを借り上げて使用するなら、従業員のために、防護服を支給するなどの経費支弁は当然。ホテルの確保が難しければ、せっかく作ったオリンピックの選手村などを使えばいい。空港からの選手村への人員輸送は、失業状態になっている観光バスドライバーを雇って輸送すれば、失業対策にもなる。輸送人員のための防護服や、車内の防護措置・消毒のために使う予算が、そこまで莫大になるとは思えない。都市封鎖で失う経済的損失と比べたら、絶対に安いはずだ。
 本当に無策な政府の帰国者の隔離政策に、怒りを覚える。このままでは、4月中に悲惨な事態が発生するだろう。

https://www.asahi.com/articles/DA3S14424744.html?iref=pc_ss_date

 首相は改憲が選挙の争点といいますが。2015年解釈改憲による安保法制が何をもたらしたか、きちんと検証しないまま改憲を口にするのは論外だと思います。
 2015年安保法制で、自衛隊の海外での一部集団的自衛権行使により、日本も危険な任務を担うことによって、日本の発言力が増すとか。アメリカに言われるまま増額してきた「思いやり予算」の軽減(危険任務を担うことによるバーター)とか、景気の良いことをいっていましたが、トランプ政権の出現によって、そういった夢のような話は全て吹っ飛びましたよね。日本の危険負担増を対米交渉の材料にするどころか、逆にトランプ大統領に日米同盟は不公平だからといって負担増要求のカードを切られる始末。
 2015年解釈改憲・安保法制、日本の独立性を取り戻すだとか、日本の基地負担を減らすとかいうことには、何の役にも立ちませんでした。対中防衛に関して、アメリカの戦略が変わるとか日中関係におけるアメリカのコミットメントが変わるとか、そういう事も全く説明出来てませんよね(アメリカの態度は時に応じて変化を見せてはいますが、安保法制があったからこそこういう変化が有ったといえることは何もなく、個別的自衛権を前提とした法制のままでも問題ないと思える事ばかり)。
 改憲を議論したいなら、まずは2015年解釈改憲・安保法制が何をもたらしたのかを、きちんと総括してから臨むべきでしょう(4年も経って、まだ成果は出てませんてのはあり得ないですね)。成果があったというなら、なぜさらに9条改憲に進む必要があるのか?成果がないから、もっとダイナミックに9条改憲してアメリカに対する従属度を強めたいのか?改憲が争点だと言う前に、国民に説明すべき重要な事柄が、すっぽり抜け落ちてます。説明すべき事を説明せずして、改憲を争点にするなるなんて、あり得ないことでしょう。
https://www.sankei.com/politics/news/190707/plt1907070007-n1.html

 新元号発表フィーバーが、やや落ち着いてきた。それでもまだ月末にかけて、「平成最後の○○」とか、月が変われば「令和最初の○○」みたいなものが、ゾロゾロでてくるに違いない。

 強制されない限り基本的に西暦を使っている立場としては、本当にどうでもいい話ではあるが、割と身近なトピックの中で、年号がやたらに強調されて気になるものが一つある。ライダーシリーズである。何年か前に、「昭和ライダーvs.平成ライダー」といった映画も作られ、仮面ライダーはどういうわけだか、当たり前のように年号でシリーズが区切られている。ということは、改元以後の作品は「令和ライダー」と呼称されるようになるのだろうか。気になってみてネットで検索してみたら、もう4月1日には「令和ライダー」はトレンド入りするキーワードになっていた。ちなみに、今放送されている仮面ライダージオウが平成と令和のどちらに分類されるかは、公式にはまだ定まっていないようだ。本シリーズに登場する未来のライダー忍・クイズ・キカイは、令和ライダーということに?キカイは、もっと先の未来の話だから令和でもないかも知れないが。この時王は、平成ライダーシリーズの総まとめという位置づけを、かなり強く意識しているので、最後の平成ライダーと、後にいわれるようになるかもしれないし、最終話の展開が、以後の作品との繋がりを強く暗示したものになれば、橋渡し的作品として、いつまでもどちらにも分類しがたい作品と見なされた状態が続くかもしれない。

 ただ、こういった分類は、製作側が公式に決めた設定ではあるけれども、作風が今年で大きく切り替わり、時代を画するような変化が生じるかというと、正直、そういったことは考えにくい。平成ライダーシリーズの作風が、今後も続いていくだろうということは、多くのファンがなんとなく共有しているだろうし、来年以降も、現有の作風を期待してファンはモニターの前に座るだろう。

 そもそも昭和ライダーと平成ライダーの違いというのは、前者が事実上の石ノ森章太郎原作作品であるのに対し、後者はテロップでは石ノ森章太郎原作とは出てくるけれども、東映が独自の新機軸をたてて、ライダーらしい作品に仕上げたものという、はっきりとした違いがある。時間的に、BLACK RXとクウガの間に10年くらいのブランクがあいたことも、両者の違いを明確に意識させる要因となっている。また、前者は分かりやすい悪の組織が存在し、硬派なヒーローがそれに立ち向かうという構図はほぼ共通している。一方、後者は敵が見えにくい。敵は巨大企業だったり、政治家だったり、宇宙生命体だったり、学校の理事長だったり、元々一般人が何らかの特殊能力を手に入れて巨悪に仕上がっていくものもある。ライダー同士で殺し合うお話もあるという、一見多様だが、それらしいパターンが確立している。この両者を、別のカテゴリーで区切るのは正しいが、年号が切り替わったから作風が変わったということではなく、石ノ森の関与の度合いが決定的に違うことによる部分が大きい。後者の基軸を、今後も受け継いで行くであろうライダーシリーズが、新機軸の「令和ライダー」になりきれないだろうというのも、容易に想像がつく。

 同じニチアサ時間帯に放送されている「スーパー戦隊シリーズ」をみれば、昭和も平成も令和もないという事は、もっと明白だろう。ライダーのように10年のブランクで区切られることもなく、昭和から一貫してやっているこのシリーズは、昭和戦隊・平成戦隊と区切られることはない。原作も最初のゴレンジャーとジャッカー電撃隊のみが石ノ森作品で、後は東映が独自に作っているといっていい。作品の基軸も、何度か変更が試みられたが、くどいくらいのパターンは容易に変えがたく、強いていえば、現在のリュウソウジャーまで、一貫して「昭和戦隊」が続いているといえる。

 昭和のヒーロー臭さを継承している戦隊シリーズと、その辺を払拭したライダーシリーズの間に、温度差があるのもよく知られたことだ。こういうと、戦隊シリーズには昭和らしさ、平成ライダーには平成らしさがあると、言えるのかもしれない。ただ、これが単純に年号で切り替わっているかというと、やはり違うだろう。昭和戦隊と平成ライダーの区切りも、どこに明確に境が有るわけでも無く、戦後の時代変化は確実に有るけれども見えにくくゆっくりと進んでいる。平成ライダーにも、もうしばらく平成ライダーであってくれるよう願いたい。革命や大戦で、大きく時代が区切られて、大衆娯楽作品のあり方が180度変わるようなことがない平和な戦後の時代、実にけっこうではないか。

 しかし今回全く争点化もされてないし政府も言及しないが。
 今回の安保法制の動機、財界からのリクエストが下支えしていることは俎上に乗せられているが、もう一つ、外務省サイドからの「日本の安保理常任理事国入り」への悲願というのが、政府の動きを強く下支えしてきたのではないか。
 官僚グループの中でも、自衛隊は退職者含めて賛否両論で、半分腰が引けていると見ることも出来るのに。外務省は現役官僚が発言することがないので分かりにくいが、退職してコメンテーターとかやっている面々は、軒並み賛成、というか強く推進している。常任理事国入りは外務省の悲願だが、集団的自衛権を行使しない国で常任理事国入りは難しい。ゆえに、どんなに限定をつけられても良いから集団的自衛権を、ということで、推進のシナリオを書いているのは外務省なのでは。
 法案の立法理由説明で、中東・東シナ海・南シナ海の具体的事例を聞いても、どれも抽象的で本気度が感じられないのは、実は政府にとってその辺の事はダシというかどうでもよく、常任理事国入りが強烈な裏テーマだったのではないかと思えてきた。本来は、無理筋を押してまで、そういったものを目指すべきなのかというのは、国民的議論の俎上に乗せるべきだったのではないのかと、ふと思う。ただ、関連性が見えにくいので、争点化は難しいのかもしれないが。


 実際、日本がアメリカに対して無用とも思える譲歩を行う際には、必ず常任理事国入りの話がセットになっているし。4月に安倍首相がアメリカに行って安保法案成立を「公約」してきたが、やはりその時、大統領から常任理事国入り支持の発言を引き出している。
 また、中国の方でも反日デモが活発化したのは、05年に日本が常任理事国入りしようとしたのを、中国側が阻止しようとしたことが発端だ。アジアで唯一の常任理事国としての立場が揺るいでしまうことは、中国にとっては、日本人が考えるよりも重大事。

 日中の間に浮いている紛争の島は、尖閣諸島だけでなく、それよりももっと大きな難物は、「常任理事国入り」という島なのでは。

 外務省がこれに躍起となることによって生じる軋轢・デメリットは、思った以上に大きい。こういったデメリットを踏まえた上で、現在の対米政策(今回の安保法案などその一例かもしれない)が、国民にとって引き合うものなのか、考えるべきだと思う。

 個人的には、現在の5ヶ国による過剰な特権を軸にする秩序維持が、機能不全に陥っているという認識だが、常任理事国を増やすことによって解決するのではなく、拒否権そのものを無くし、安保理を十数カ国程度の非常任理事国で構成するように改革すべきではないかと思う。もちろんこれで国連の紛争解決能力が、劇的にアップするとは思えないが。

9月14日も月曜日だというのに、委員会採決間近という事もあって、数万の人が国会前に集まったという。
 大江健三郎とか、著名人がスピーチする集会が終わった後、警察の護送車がゾロゾロでてきて、集会参加者を分断する騒ぎがあったらしい。
 下の写真、1,2枚目は現地の人から直接送られてきた写真。




 3枚目は主催者HPで公開されていたものだが。もはや護送車は身動き取れなくなっているのに、バンバンアイドリングして、排気ガスをまき散らして嫌がらせ。日本のデモなんて、国会議事堂の中に流れ込むわけでもなく、海外のデモに比べればカワイイもんだが、警察はいったい何を怖れているのか?こんな事をして、デモ参加者が減るとでも思ってるのだろうか。発想がたいへん陰湿です。

 日本の市民運動とかで、ハンストやらダイ・インなるものは、私は全く支持しない。ダイ・インは意味不明。ハンストなんて、焼身自殺するくらいの覚悟がないとダメ、といった批判は、運動内では常にあることだが。
 しかし、SEALDsとかがやってる運動に、道路にはみ出したとか、点字ブロックを踏んでるとか、そういったレベルの批判で鬼の首を取ったような態の大人たちの多いこと、そしてその幼稚な事よ。彼ら、わざわざ道路使用許可を取って道路をオキュパイしてるわけ。健常者も視覚障害者も含めて、交通を遮断して座り込むことを目的とした手法なんだから。邪魔だとかいうのは、その辺を通行する人と警察と、運動家の間で話し合って調整することだから、ネットだけで様子を見てる人間が、とやかくいう事ではない。

 そもそも公道や公的施設でパレードやオキュパイするのに警察の許可を取ることが、先進国の中ではかなり特殊。(韓国あたりは許可が要りそうだが。)欧米などでは、警察の許可などお構いなしに公園に人が集まってオキュパイが始まる。そしてその後に警察との調整が始まる。
 公道や公的施設に機械的に道交法や不法侵入が当てはまるかは、かなり微妙で、デモに公共性を認めている社会では、かなり寛容だ。日本でも官庁オキュパイというのはめったに起きないが、これに即時不法侵入を当てはめるということはない(だいたい当局と代表者が話し合って退去の条件や手順を調整しにかかって、穏便に解決する。)。車道も必要に応じて歩道扱いになる。警察の裁量が強すぎるといわれる日本においてですら、そういうことなのである。
 日本には、警察の裁量が全てと思い込んでいる人が多すぎる。日本の警察の裁量は大きいが、それでも状況に応じて調整が行われるのである。

 集会が道交法違反だとか言ってる人の中で、去年の台湾での「ひまわり学生運動」、香港での「雨傘運動」に喝采を浴びせていたような人がいたら、真摯にその身を恥じて欲しい。ひまわり・雨傘ともに、道交法も不法侵入もへったくれもなかったわけだから。
 SEALDsの学生なんて、しょせんは平和ボケでぬるい運動しかできんヤツらだと言うなら、ぜひ彼らに国会オキュパイを勧めてみてはどうか。私は、彼らの穏便な運動姿勢を支持しますが(ハンストとかは除く)。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=2015.09.05 zakzak by 夕刊フジ【ニッポンの新常識】安保法案反対の面々が重度の「米国依存症」という皮肉 K・ギルバート氏http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150905/dms1509051000002-n1.htm=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=

 K・ギルバートという人、一体何が言いたいのだろう。彼の論理は、突き詰めると日本人に「米国依存症はよくない!今後は単独防衛でやる!アメリカ軍は日本から出ていけ!」と言わせる内容。彼自身、この論理が、突き詰めるとそこまで行くものだと気付いているのかどうか知らないが。とりあえず、日本人にそういったことを言わせたいわけではないだろう。

 彼が一番強調したいところは、つまるところ「米国が、日本や韓国の国防に片務的な責任を負っている」というところだろう。アメリカは日本の傭兵として働いてるのに、日本は何もやってないだろう。これからもっと貢献して、双務的な状態に近づけろ、という話。なんだかアメリカ人の暗示にかかって、「日本て何もしてないんだね」とか思っている人もいるようだが、これがとんだ詐欺。日米の軍事協力は、片務的でもなんでもなく「非対称であるが対等」という形をとっているだけなのである。この辺は、かつてのブログにも少し書いたので、そちらも参照のこと。

小川和久の論理では集団的自衛権は要らないということになるのでは?

 米国の太平洋覇権のために、日本がどれだけのコストとリスクを負っていると思ってるのだろうか。米軍のアジアでの活動のために、米軍が日本に基地を置くことによって節約されるコストは、年間250億ドルと見積もられている。お金だけではない。朝鮮半島・台湾有事となれば、日本は最も危険な最前線での兵站活動を担うことにもなる。当然沖縄や横須賀などの米軍基地がある都市は、真っ先にミサイル攻撃に晒される。前線に自衛隊を送るかどうかという議論以前の問題で、日本が前線になり、自衛隊員だけでなく日本国民が前線に位置する状態となる。日米の軍事協力というのは、日本がそこまでのハイリスクを抱え込んだ上で、「非対称であるが対等」なものとして運用されてきた。いまアメリカ側が、日本が抱えているリスクは大したものではないとし、「非対称であるが対等」としてきたものを「片務的」と主張するのは、日本側のリスク負担を安く買い叩こうとしているだけのことである。日本は、こんな安っぽい値段交渉に応じて良いのだろうか?

 小川和久氏の国会での説明が、ネットで絶賛されていたので、動画を見てみた。


------

小川流二者択一論
「集団的自衛権を認めない」→日米安保解約→独自防衛→軍事コスト増大(23兆円)
「集団的自衛権を認める」→日米安保維持→軍事コスト安

------
 一見分かりやすいのだが、「集団的自衛権を認めなければ、日米安保を解約します」なんてことは、アメリカは一言も言ってない。従来通り、日米安保を維持して軍事コストを安く抑えれば良いではないか。


------

日米は対等か?
「日米同盟は対等に近い(非対称ではあるが)」

------

 その通り。遠くまでアメリカを助けに行くような軍事力はないし、これからももつべきではないが。アメリカにとって、アジアにおいて地勢的に重要なところに同盟国があり、基地を置ける事自体が、アメリカにとっては助かる(動画の5分あたり)。だから非対称ではあるが対等というのは、実に重要な指摘。
 岸内閣時代あたりも、この論理で日米安保は対等としてきたと思ったが。近年の自民党が、いつの間にか「不平等」であるということを言い出し、既にアメリカに提供している基地の負担価値などを低く評価し、新たに「集団的自衛権」という貢ぎ物を差し出さなければ対等でないと言いだしているのではないか。自国の負担を、勝手に貶めているのは今の自民党ではないのか。
 保守的立場にある政治家なら、「日米同盟は対等である。文句があるなら米軍は出ていってけっこう」と言ってやればいい。(アメリカの対中国戦略上、出ていくということは決して有り得ない選択だが。)もっと自国の価値を高く売りつける交渉能力を、日本政府は身につけるべきだが、自民党は真逆の方向に突っ走っている。

 小川氏の基本認識は、ある意味非常に正しい。そしてこの認識はむしろ、アメリカに対して毅然と交渉すべきだし、集団的自衛権なる貢ぎ物は要らない、という論理につながるべきもののように思える。集団的自衛権が必要であるという結論に、全然繋がってこない。
https://www.youtube.com/watch?v=KPuRV0EB0FM&feature=youtu.be

 今日の日曜討論、生で見ていて雑感。

------

「賛成・反対 激突 安保法案 専門家が討論」 戦後日本の安全保障政策の転換となる安保法案をどう考えるべきか?国会審議で焦点となっている論点をめぐって元政府関係者や憲法学者、元自衛官ら各界の論客が討論します。 伊勢崎賢治,水島朝穂,宮家邦彦,百地章,栁澤協二,山口昇,【司会】島田敏男,中川緑 ------

 解釈変更賛成派の宮家邦彦「最終的な判断を下すのは憲法学者ではなく、最高裁判所」。

 最高裁判所はこういった判断はしません、判断しないから結局内閣が判断することになってますといったビラを配ってたのは、自民党ではなかったか?解釈権は内閣にあるとか言った閣僚もいたね。そこが問題なんだよ。だから憲法学者が、大勢声をあげはじめたんだよ。最終的判断を下すのが、最高裁判所なんて、憲法学者を含む、誰しも分かってること。


 国際法、国際慣例で決まっていることなら、憲法にどんな規定があっても構わないという論理の百地章。国際法で決まっていて、憲法に規定がない領土規定は違憲なのか?の論。

 噴飯ものの論理すり替え。各国が主権を付託しているような世界連邦政府がない現状では、国際法・慣習と各国憲法の関係は、一国内の法律―条例の様な関係にはならない。結局、国際社会がどう動こうが、各国は自国の憲法を最優先の基準にする。憲法に反した条約は結べないし。国際法優先の話する人は、国連を世界政府か何かと勘違いしているのでは?領土に関する規定・条約はとくに憲法で禁止しているような事には触れないからOK、集団的自衛権は触れそうだからNG。ただそれだけのことではないか。


 結局、解釈改憲の正統性を、賛成派の誰一人として説明できなかった。つまるところ、安保法案は強行採決されれば、違憲の行政訴訟を起こされて、最高裁判所で判断ということになるのだろう。 https://twitter.com/nhk_touron/status/619446810059276288