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昨年、クリスマスホリデーをコッツウォルズ地方で

過ごしていた時のこと。



日本で学生時代から長くお互いをよく知る親友

からのメールが入っているのに気がついて。



ちょっとびっくりしました。



彼女はとても忙しくて、携帯から送るメールでも

めったに送ってくることはありません。



お互いの誕生日の時にメールのやり取りがあるか、

私が一時帰国した時に会えるかどうかの連絡を

取り合うだけ。



珍しいこともあるものだなあと思って、メールを

読み進めてみると。。。



いつもは短文なのに、「落ち着いて読んでくださいね」

から始る長文。


最初は何が書いてあるのか飲み込めませんでした。



人がショックを受ける時はそうなのですね。



何度か読み直して、初めて彼女が病気であること。



これから治療を受けることと今後の予定が書かれていて。



「え?そんなことってあるの?」と。。。



思わず、涙がこぼれて。



最後に彼女に日本で会った時、奇跡的にお互い

時間が合って、会えて。



限られた時間の中でのとてつもなく深い時間を

過ごせたことをクリスマスカードを書きながら

改めて思い出したばかりだったのに。。。と。



彼女に何と返事をしていいのか分からず。。。



正直な気持ちを伝えました。



驚いたのが、日本ではまだ明け方の早い時間に

入院中の彼女からすぐに返事が来たこと。



とても穏やかで、全てを受け入れて、スクっと

立っている、そんな強さ、そして温かなエネルギーも

感じる、優しさの溢れるメールでした。



逆に彼女に「心配をかけて、ごめんね」

と言われて。



「でも心配しなくて大丈夫」

「周りの家族がサポートをしてくれて」

「病気になったことで心配をかけているのは

申し訳ないけど、たくさんの奇跡が起きて

とても幸せだから」。



最後に「クリスマスを楽しんでね」と。



でも彼女のことを思うと何とも言えない気持ちに

覆われて。



「彼女が大変な時に能天気に楽しんでいいの?」

という気持ちがどこかにありました。



それからずっと彼女のことはいつもどこかで

思っています。



ただ、お互いのことを大事に思っているからこそ

お互いの幸せもいつも願っているということ、それを

強く感じるようになりました。



彼女と会うと気心が知れているというのは

こういうことなのか!を感じます。



近況さえ伝えることなく、これこそ話す必要があることに

一気にダイブして、そこからグイグイと話が進む。



最後は「これからもお互い成長していこうね」と

次の再会を楽しみに別れて。



私が私らしく生きること。



そして彼女が彼女らしく生きること。



離れていてもお互いがそうであることこそ、大事なのだと。



「私を思いっきり生きて、幸せだよ」のメッセージが

私の彼女へのラブレターでもあります。



彼女が読んでいても、読んでいなくても。



私も彼女が彼女を思いっきり生きて、幸せでいることを

今日も想い、次の再会を楽しみにしているのです。





金曜日、朝から明るい日になりました。



風はとても冷たくて、キーンと肌に寒さが

伝わりますが、この青空と太陽、光り輝く緑を

目にするとそれすら心地よく感じました。


最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。