2016年5月6日(金)の夜7時から両国にある劇場シアターX(シアターカイ)で行われた演劇「ROSE(ローズ)」を観に行ってきました。この日本語版「ROSE(ローズ)」をプロデュースし自らローズ役を演じていらっしゃるのが東京演劇サンサンブル所属の志賀澤子さんです。そして、英語版「ROSE(ローズ)」を和訳されたのが堀真理子さんです。

この原作を書いたのは日本では殆ど知られていない1938年アメリカ生まれのユダヤ系劇作家マーティン・シャーマン(Martin Sherman)です。WIKIPEDIAからの情報によるとマーティン・シャーマン自身も同性愛者でナチスによる同性愛者迫害について書いた作品「BENT」が1979年にピューリッツァー賞を獲得し、1980年にはアメリカ在住の劇作家によって組織化されたギルド「Dramatists Guild of America」(商工会議所のようなもの)が主催するコンクールで「Hull-Warriner Award」という賞も獲得したとのことです。そして、今回シアターXで公演された作品「ROSE(ローズ)」は、どうやらマーティン・シャーマンの祖母が語る彼女自身の昔話をモデルにし書かれたとあります。恐らく、私が思うには、そのマーティン・シャーマンは「ROSE(ローズ)」に登場するドロンという孫息子(ロス在住の同性愛者役)のことではないかとということです。ユダヤ教に興味がおありの方、キリスト教徒の方におススメしたい作品ですので次回6月3日(金)夜7時公演に是非一度お立ち寄り下さい。



とにかく、ステージは観客から2メートル程しか離れておらず志賀澤子さんが演じるローズの世界に瞬間的に引き込まれていくような雰囲気に包まれていました。日本人である志賀澤子さんがウクライナで生まれホロコーストを経験し波乱万丈な人生を生き抜いたユダヤ人女性にしか見えず、そのユダヤ人女性が語る昔話を聞きながら私自身が見たり経験したことと照らし合わせながら色々なことを考えていました。

やはり常にユダヤ教徒が暮らす場所で災難が降りかかる原因を考えてみましたが、それはユダヤ教徒が神から憐れみを受けていないからではなく、実はそれが神の御旨であり災難が起こることによってユダヤ教徒が世界中にディアスポラとして離散し異教徒と結婚をし子孫を残す為ではないかと思いました。ユダヤ教には国外で宣教活動をする宣教師という仕事が存在しない代わりに異教徒と結婚することによって信者を増やす方法を主な宣教活動の一部としています。だから、ホロコーストから帰還したユダヤ教徒たちが集まってイスラエルに移り住み、これでユダヤ教徒の生活にも平和が訪れると期待していた矢先に再びパレスチナ問題が起こり、イスラエルでの日々の生活の中でいつアラブ人に殺されるか分からない安心して生活できない環境から抜け出す為に彼らは再び世界各地へ離散し始めました。ユダヤ教徒というのは祖国がなく心の片隅で寂しさを感じていたとしても異国で自分の居場所を探しながら生き抜く真の強さを「選ばれた民」として神から与えられているのかも知れません。

ローズが生まれたのは1920年、ロシアでポグロムによるユダヤ人迫害が起こる以前のこと。ウクライナのユダヤ人家庭に生まれユダヤ教徒して育てられたにも関わらずそれほどユダヤ教について相当無頓着であり、オマケに兄を追ってポーランドへ移り住んだ途端にユセルというユダヤ系ポーランド人男性と恋に落ちて婚前交渉の末に生まれたのが娘のエステル。その次に再婚したユダヤ系アメリカ人サニーとの間に生まれたアブネルの息子の息子(ローズの孫)が同性愛者のドロンであるといった風に彼女の壮絶な人生の物語のオチが旧約聖書に出てくるソドムとゴモラのような結末になっており、それが不信仰者に対する当然の報いと思われてしまっても仕方がないでしょう。それこそ不信仰であった罰として旧約聖書の箴言1章30節~33節に「わたしの忠告を好まず、わたしの叱責を、ことどとく侮ったからである。それで、彼らは自分の行いの実を食らい、自分のたくらみに飽きるであろう。わきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることなく、安らかである。」とあるように自ら仕掛けたワナに填まったナンチャってユダヤ人ローズの人生は神に哀れんでもらえる訳もなく波乱万丈であるのが当然とキリスト教徒である私は少々ローズをバカにするかのように考えていました・・・、そんなユダヤ人女性がいるからイエス・キリストがわざわざ神殿のまで出向いて「不信仰者のオマエら、何だこのやろ~!」と言ってニューフェイスのイエス・キリストに卓袱台ひっくり返されるんですよと。しかし、そうは言ってみても今とは時代が異なるし、婚前交渉の末に生まれた当時3歳の娘エステルがナチス兵によって殺されたことは天罰が下ったのだという表現は不適切であってエステルには罪がない訳ですからこれは反ユダヤ主義による人種差別とジェノサイド(民族浄化の為の大量虐殺)による非ユダヤ人側の罪であることは確かです。あの当時は信仰深いユダヤ教徒も信仰なきユダヤ教徒も同じように迫害され殺された訳ですから・・・。



この相関図は2016年5月6日(金)の公演で配布されたパンフレットにあった説明書きの一部ですが、それにしても主人公ローズの人生の80年間の殆どがまるで神の哀れみがなかったかのように波乱万丈で荒れ果てた人生です。実際にユダヤ教徒とはいえ、彼女自身の中に「神」という存在がなかったのかも知れません。そして、ユダヤ教徒として育ったにも関わらずユダヤ教形式の弔い方法も理解していなかったようなので彼女の人生の中に何も生きる指針となるものがなく行き当たりバッタリであったのも仕方ないような気がします。主人公ローズが兄の嫁であるハヤに「淫売女」と呼ばれたこともふまえて考えてみればユダヤ人から見ても彼女はもはやユダヤ教徒ではなかったのでしょう。それがキリスト教徒であれば「ごめんなさい!悔い改めます!」と反省し主である神の御前ではウソはつけないと自らの過ちを素直に認めますが、ローズの場合は晩年になるまでその不信仰なままで突っ走っていますからね。その不信仰者に見える彼女の人生は意図的に時代がそうさせていたのかも知れませんが・・・。



まず私が指摘していた主人公ローズがユダヤ教に対する知識に乏しいという点について説明したいと思います。ローズが最初の自己紹介の部分で「シヴァはユダヤ教のお葬式」、そして「インドの影響を受けているから」との台詞があります。しかし、「シヴァ(Shiva、שבעה)」は本当の意味は遺体を埋葬した後に「喪に服する7日間」という意味でありお葬式ではありません。「シヴァ(Shiva、שבעה)」は「」を指すそうです。そして、そのユダヤ教式に喪に服するルールがあり「基本的に靴を履かずに家の中で待機する」、「喪服を着る」、「鏡を布で覆う」、「柔らかい椅子に座ってはならない」、「低い椅子に座る」、「ロウソクを灯す」、「祈祷書を読み上げる」、「墓に戻る前に手を清める」等(How is Shiva Observedからの引用)があります。だから、ローズはベンチで「シヴァ(Shiva、שבעה)」を始めようとしていた訳です。きっと彼女の家の中に柔らかくなく低い椅子がなかったのでしょう。次のビデオは「シヴァ(Shiva、שבעה)」の仕方を簡単に説明したものです。



そして、ユダヤ教のお葬式を「レヴァヤ(Levaya、הלוויה)」と呼びます。成人式(13歳以上の男性を大人とする)を済ませているユダヤ教徒の男性が10人以上集まって行われる儀式であって、たった一人で公園のベンチで行うことは不可能です。恐らく私が思うには、ローズはユダヤ教徒でありながら「シヴァ(Shiva、שבעה)」と「レヴァヤ(Levaya、הלוויה)」の意味を取り違えていた可能性があります。



そして、最後のご紹介するのが遺体の清め方についてのビデオです。日本の病院でもこのようにして遺体を洗浄して下さっているのだろうと思いますが、ユダヤ教では遺体を洗う際にもバプテスマ(キリスト教の洗礼の意味)に似た清めの意味もあるようです。ユダヤ教では食事の前にもルールに従った方法で手を洗い、女性の月経が終わった時にもシナゴーグにあるお清め用のプール(ミクヴァ、mikvah)に入って体を洗い(ウリヤの妻がダビデ王を誘惑する為にバルコニーで水浴びしていたのは別の話)、キリスト教に改宗する際にも水で生まれ変わり、神さまの元へ行く時も水で体を清めて何についても水で清めることによってケジメをつけているような感じがします。これがネストリウス派から改宗したユダヤ教徒の秦氏の一族がそれを神道として日本に導入したと言われていますが、それとは別としてもユダヤ教ではこれほど丁寧に遺体を洗う儀式があるのであれば私もユダヤ教の改宗したいと思いました。ユダヤ教徒ですらお葬式の方法を勉強しなければ習得できない訳ですから、きっとユダヤ教徒として生まれ育ったローズが青年期を強制収容所の中で過ごした為にユダヤ教について学ぶチャンスが殆どといってもいいくらい無かったのでしょう。