仙台藩領内には7ケ所の教会がありました。
うち3ケ所は、一ノ関村・三ノ関村・石積村(いずれも現富谷町内)で、
3村の信徒合計は350余人にのぼり、それぞれの代表者には
位の高い、もしくは武士と思われる苗字があり
かなりの勢力があったことがわかります。
支倉常長の実父の領地が富谷町内にあったことから
黒川郡のキリシタン信仰は支倉氏の影響が大きかったと思われます。
1611年にルイス・ソテロが政宗公に呼ばれて仙台にやってきて
政宗公直々に伝道の許しをもらい布教を始めました。
しかしソテロは、2年後には常長の遣欧使節とともにヨーロッパへ旅立ちます。
その3年後に禁教令が出たため、東北地方の伝道は上(宣教師)からではなく
下(信者)から始まったといってもいいかもしれません。
西南地方の信者が追放され奥州に逃れて移り住み
密かに信仰を守りながら、熱烈に布教したのです。
禁教令のキリシタンは、正しくは「潜伏キリシタン」といいます。
明治になって禁教令が廃止されたあとも、正式なカトリックに入ることなく
独自の信仰形態を代々受け継いできた人たちを「カクレキリシタン」といい
総称して「隠れキリシタン」といわれているようです。
つまり、本来のキリスト教が、弾圧によって民間信仰化していったいきさつがあるのです。
青葉区愛子(あやし)で8/15に行われる「盗人神(ぬすっとがみ)」また「唖神(おっつがみ)-おし」という祭もその流れでしょう。
(祭りの間中、絶対に口をきいてはならぬ、途中人に見つかってはならぬ、音をたててはならぬという、まるで自分たちの存在をかき消すかのような信仰。そしてこの奇祭の行われる8/15はマリア様が昇天した日とされる。)
富谷町西成田の旧家では、正月に門松の正面に藁で作った十字架を飾る習慣や、
正月20日にヨモギの灸をするとき胸で十字をきるなどの風習があったそうです。
つづく