■赤福餅(あかふくもち)

三重県伊勢市の和菓子屋赤福の商品。

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赤福餅

●概要

江戸時代の1707年(宝永4年)に皇大神宮(伊勢神宮内宮)前、五十鈴川のほとりで販売されたものが始まりと言い伝えられている。「赤福」の名は1895年(明治28年)の『神都名勝誌』では、餡を入れた餅を大福と呼ぶ対比として、赤い餡をつけた餅であるから赤福と称したと推察している。1929年(昭和4年)の『宇治山田市史』ではこの説を採用し、その他の説はこじつけであるとしているが、赤福のホームページではまごころ(赤心)をつくすことで素直に他人の幸せを喜ぶことが出来る(慶福)という意味の「赤心慶福」(せきしんけいふく)に由来するとしている。名前の「赤」にちなんで包装も商品名のロゴも赤いが菓子自体の色は厳密には小豆色であり赤ではない。

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赤福もち製造風景

餅を漉し餡でくるんだもので、漉し餡には三つの筋が付き、五十鈴川の川の流れを表しているとされる。餅は傾けて持ち帰ると崩れることがあるほど非常にやわらかい。当初は、砂糖が貴重品であったために塩味の餡であった。1727年、江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗が砂糖の原料となるサトウキビの栽培を奨励し、砂糖の生産高が増えたことから、赤福も次第に黒砂糖餡を使うようになった。 1911年(明治44年)、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が神宮参拝の折、赤福餅を注文した。赤福は、甘みと灰汁の強い黒砂糖餡では、「皇后陛下のお口に合わないのではないか」と案じ、白砂糖餡の特製品を献上した結果、無事好評を博したという。この結果、一般販売にも白砂糖餡を使うようになり、現行の赤福餅が完成した。赤福では、昭憲皇太后の注文を受けた5月19日を「ほまれの日」と定め、包装紙にも「ほまれの赤福」と称するようになった。 しばらくの間は、黒砂糖餡を「赤福」、白砂糖餡を「ほまれの赤福」として販売していたが、その後後者に統一された。なお消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件発覚後、営業再開した新パッケージでは、「ほまれの」と言う文字は削除された。

「ええじゃないか」のテレビCMと「赤太郎」というキャラクターで知られ、中京・近畿圏のJR線主要駅や近鉄沿線の特急停車駅、サービスエリア、百貨店、空港売店などで、広範囲に発売されている(遠くは岡山県でも販売された)。この販売エリアは伊勢神宮の信仰が特に強い地域とほぼ等しいという説もあり興味深い。基本的に直営店と在庫を管理する営業所の近辺に限られる。

他に、全国の百貨店等で開催される物産展でも、大変な人気があると言われている。

茶店風の本店が伊勢神宮内宮前のおかげ横丁にあり、そこでは例年、夏場に「赤福氷」という、抹茶氷に赤福餅を入れたもの、冬場は赤福の餅と餡を使った「ぜんざい」が供されている。この「赤福氷」と「赤福ぜんざい」は、本店の他に、伊勢志摩地区・名古屋地区の一部の直営店でも、季節限定品として供されている。

赤福餅の箱の中には、「伊勢だより」というその日にちなんだ文章と絵の入った紙片が入っており、500種類ほどある。なお2008年2月6日の営業再開時から3月末までは「伊勢だより」に替えて、不祥事のお詫びと営業再開についての挨拶文が入れられていたが、4月1日より「伊勢だより」が再び入れられるようになった。またこの「伊勢だより」には社長名も入れられていたが、不祥事後の営業が再開されてからは社長名は入れられていない。

包装紙の上面には伊勢神宮の神殿と内宮前の宇治橋が、底側には赤福にちなんだ俳句が記されている。

保存料を使わない生菓子であり、本来の消費期限は夏期は製造年月日を含め2日間、冬期は3日間である。

2008年度は、2月6日の販売再開時から5月16日までの間と、同年10月11日から翌年2009年5月17日までが冬季用の消費期限設定に、2008年5月17日より10月10日までの間は、夏季用の消費期限が設定された。包装紙の底側の俳句は、冬季用は正岡子規の句が、夏季用は山口誓子の句が記された。また折箱や銘々箱の帯封は、冬季用が臙脂色、夏季用が水色となっている。

原材料表記も「砂糖・小豆(北海道産)・餅米(国産)」と書かれていることは共通であるが、冬季用は「糖類加工品(大豆を含む)」を使用している旨が追記されているのに対し、夏季用は表記の原材料のみの使用のため、追記は除外されている。

なお2008年5月17日より、包装紙に記載される製造年月日(「謹製」と表示)と消費期限の年月日の表示も、これまでの西暦表示から、元号表示に変更された。

上記の消費期限の設定や配達日数の関係もあり、地方配送は例年、気温の高い6~10月の間以外のみ対応している。

なお2008年度は10月8日より、伊勢志摩地区の直営店(本店・内宮前支店・五十鈴川店・二見支店・鳥羽支店・伊勢市駅売店・宇治山田駅売店)と宅配係の直通電話にて、10月11日発送(12日到着)分以降の受付が行われた。また2009年3月6日からは、赤福のホームページでの宅配の受付(3月7日発送(3月8日到着)分より)も行われた。ただし発送ができるのは、12個入りの中折箱のみであった。そして2008年度の宅配の受付は、2009年5月15日(5月16日発送(5月17日到着)分)まで行われた。

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赤福中折箱

●主な商品と2008年2月現在の価格

小折箱 8個入 700円

中折箱 12個入 1,000円

大折箱 20個入 1,700円(2008年2月の販売再開直後に取り扱いを中止。その後2009年11月18日より取り扱いが再開された。)

銘々箱(2個入)220円

三個パック(3個入)280円

店頭飲食のみ

盆(3個入1盆とほうじ茶) 280円(ほうじ茶は併設されているイカ焼き等を提供する店の客にも振舞われている)

赤福氷(あかふくこおり) 500円 夏季(5~9月頃) のみ

赤福ぜんざい 500円 冬季(10~4月頃) のみ

2008年度は「赤福氷」が、5月30日に五十鈴川店と鳥羽支店で、6月は4日に内宮前支店・二見プラザ店と、ジェイアール名古屋タカシマヤと松坂屋名古屋本店の直営店「赤福茶屋」で、18日に本店向かいの別店舗で販売を開始し、いずれも9月~10月頃まで販売された(終了日は店舗により異なる)。

また「赤福ぜんざい」については、10月18日より内宮前支店・五十鈴川店・鳥羽支店・二見プラザ店と、上記名古屋市内の直営「赤福茶屋」2店で、11月8日に本店向かいの別店舗で販売を開始し、いずれも2009年4月頃まで販売された(終了日は店舗により異なる)。

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赤福氷。抹茶シロップのかき氷である。

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かき氷の中に赤福の餡と餅が別々に入っている。

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中折箱 12個入

●朔日餅(ついたちもち)

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毎月(1月を除く)1日にその月にちなんで発売される餅。

朔日参り(朔とは元来は太陰太陽暦である和暦の旧暦における新月でもある月の1日のこと)の参拝客へのもてなし用に1978年に発売開始した。 開始当時は、店で食べるのみであったが、後に持ち帰り用が発売されるようになり、現在では、本店及び四日市市・名古屋市・大阪市・神戸市にある百貨店内の直営店で予約販売をするようになった。

本店では午前4時45分から発売開始するが、買い求める人が長蛇の列を作り悪質な場所取りや近隣への騒音が問題になってきたため、整理券を午前3時30分から配付するようにした。ところが、まもなく整理券待ちの長蛇の列が発生するようになった。

整理券を受け取った時間待ちの客を目当てに、周辺のおはらい町やおかげ横丁にはこの日のみ早朝営業する店舗があるほか、朝市なども深夜から行われるようになった。

2007年度は、10月の営業停止処分により、11月・12月分は中止となった。その後2008年度は再開第一号として、8月1日に八朔粟餅が伊勢市内の本店にて販売された。なお2008年12月27日に赤福は、翌年2009年3月1日以降、各月の朔日餅の販売を本格的に再開する予定である、とのプレスリリースを発表した。そして翌年2009年3月1日より、各月の朔日餅の販売が本格的に再開された。

朔日餅の例

立春大吉餅(2月)

各月の内容は次のとおり

2月:立春大吉餅、大豆・黒豆入り。節分の豆まきにちなむ。
3月:よもぎ餅
4月:桜餅
5月:柏餅
6月:麦手餅、餅麦で黒餡(黒砂糖の餡)を包む。
7月:竹流し、青竹に入った水羊羹。赤福の餡を使う。
8月:八朔粟餅、見た目は赤福餅に似ているが、餡は黒餡、餅は粟入り。
9月:萩の餅(おはぎ)
10月:栗餅(栗餡)
11月:ゑびす餅、11月のえびす講にちなむ。金と銀の小判に見立てた2色の餅。
12月:雪餅、もろこし粉の餅生地に氷餅を散らし、地面に降った雪に見立てる。

●おかげ横丁

詳細はおかげ横丁を参照。 「赤福」が『約300年間変わらず商いを続けてこられたのもお伊勢さんのおかげ』との感謝の気持ちを込めて立ち上げた、現代の鳥居前町。伊勢の代表的な建築様式を取り入れた町並みに、四十あまりの伊勢名物の店舗が軒を並べており、おみやげ購入やつまみ食いを楽しめる無料のミニテーマパーク(一部有料の資料館あり)となっている。

●企業としての赤福

株式会社 赤福
種類 株式会社
本社所在地 日本
〒516-0025
三重県伊勢市宇治中之切町26番地
設立 1954年
事業内容 和菓子の製造・販売
代表者 濱田 典保(代表取締役社長)
資本金 7,700万円
リンク http://www.akafuku.co.jp/

現在の代表取締役社長は11代目の濱田典保。2005年10月より現職。

企業としても、伊勢市における影響力は大きく、先代社長で元会長の濱田益嗣(ますたね)は伊勢商工会議所会頭を兼ねていた(会長は2007年10月31日付、会頭は同じく10月18日付で辞職)。伝統企業の国際組織であるエノキアン協会会員企業(他には清酒大手の月桂冠などが加盟している)。

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赤福本店

●関連企業

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赤福(右)と五十鈴茶屋(中央)の各五十鈴川支店

伊勢福 - 「おかげ横丁」企画運営
マスヤ - 米菓製造・販売
伊勢萬 - 酒造・販売
伊勢壽 - レストラン。中華料理店「陶陶」、イタリア料理店「ロッソアンティーコ(ROSSO ANTICO)」など
濱田カンパニー - 菓子箱製造・販売
濱田総業 - 「五十鈴茶屋」運営、商標・不動産管理
五十鈴茶屋 - 和菓子専門店。季節に合わせた和菓子を販売。
もめん屋藍 - 松阪木綿専門店
伊勢ガードシステム - 警備保障業務

●類似の製品

〇名福餅

名福餅(めいふくもち)は、名古屋市の朝倉商店が製造販売する商品である。名神高速道路多賀SA上り線、尾張一宮PA下り線などで販売されている。3個入りから販売されており、3個入りで250円。やはり「餅と漉し餡の組み合わせ」の菓子として売ってあり、形状も赤福餅と同様である。

〇六十五万石

六十五万石(ろくじゅうごまんごく)は、名古屋市でかつて販売されていた赤福と形状が能く似ていた菓子。

〇伊賀福

伊賀福(いがふく)は、名阪国道下り線の伊賀インターチェンジ横にある伊賀ドライブインの独自商品である。やはり「餅と漉し餡の組み合わせ」の菓子として売られており、形状も赤福餅と同様である。当初、伊賀ドライブインが赤福餅の販売を希望し赤福に商品の取り扱いを求めたが、拒否されてしまった。そこで名福餅を製造販売している朝倉商店に餅の製造を依頼し、伊賀福が誕生する。発売は2002年12月28日からと歴史は浅い。価格は8個580円、12個840円。伊賀ドライブインのみで購入可能である。基本的に餅自体は名福餅と同じであるが、包装紙には伊賀地方の名所(上野城・俳聖殿)、人物(松尾芭蕉・伊賀忍者)が描かれている。

〇栗福餅

栗福餅(くりふくもち)は、岐阜市の伸光製菓株式会社が製造販売する餅である。赤福餅と似ているが餡に栗餡を用いている。

〇伊予福

伊予福(讃岐福)(いよふく(さぬきふく))は、愛媛県新居浜市の菓子舗ハタダが1989年より四国一円で販売していた和菓子、販売地域の旧国名をつけて伊予福、讃岐福として販売された、赤福とは形状、味とも非常によく似たもので、2005年に一時製造中止になったが、現在福もちとして販売されている。

〇伊勢遷宮福餅

伊勢遷宮福餅(いせせんぐうふくもち)は、三重県四日市市の企業が製造販売する餅菓子。例によって「餅と漉し餡の組み合わせ」だが、餡の形状は中央が高くなり、中華まんの形に似ている。発売開始時期は不明だが、2008年3月に伊勢自動車道の安濃SA(上り)で販売されていたことが確認されている。

〇大漁福餅

大漁福餅(たいりょうふくもち)は、三重県四日市市の株式会社三重だいいちが販売している餅菓子。赤福よりも小柄なあんころ餅で、酸素吸収剤を入れ包装されているのが特徴。「鳥羽銘菓」を謳っているが、包装紙には鳥羽の景勝ではなく近隣名所となる伊勢神宮と、同じく二見浦の夫婦岩のイラストをあしらっている。

●出典

『宇治山田市史 上巻 第六庶業篇 第四節名産 赤福餅 』(宇治山田市役所編、昭和4年1月20日発行、昭和63年復刻、国書刊行会発行、p.623)

「ほまれの赤福」誕生

http://www.akafuku.co.jp/akafukuknows/pop_up/pop_up01.html

平成19年10月12日 農林水産省 株式会社赤福が販売した商品(商品名「赤福餅」)における不適正表示に対する措置について

http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/kansa/071012.html

伊勢名物「赤福餅」、製造年月日を偽装表示の疑い Yomiuri Online 読売新聞 2007年10月12日

赤福、34年前から製造日偽装=最大14日改ざん-農水省が是正指示 時事通信社 2007年10月12日

赤福改ざん、40年前から――「まき直し」「先付け」など 『日本経済新聞』、2007年10月23日

"偽装" 偽装の再建?  ― 赤福の営業再開問題 『伊勢新聞』

「競争上、赤福の利益に害」 農政局が黒塗り“公開” 『中日新聞』 2007年12月21日

営業禁止解除は2月に 赤福、改修完了未報告で  『中日新聞』、2008年1月22日

赤福再開、21店に限定方針 当面、本店と直営のみ  『中日新聞』、2008年1月24日

赤福本社工場、保健所が立ち入り検査 改修工事完了で  『朝日新聞』、2008年1月28日

『朝日新聞』三重県版 「【とことんインタビュー】 赤福社長 浜田典保さん(46) 2009年02月06日」

赤福、6日に営業再開 本店など伊勢の直営3店で 『中日新聞』、2008年2月1日

商品案内 株式会社マスヤ、「おにぎりせんべいは、赤福餅の残りでつくっているとの「うわさ」は本当ですか?。」の項目を参照

http://www.masuya.co.jp/syohin/qa/index.html

赤福プレスリリース

http://www.akafuku.co.jp/release/20071018_01/index.html

●リンク

赤福

http://www.akafuku.co.jp/index.html


■あねかえし

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米粉とよもぎを練り混ぜて作った生地に、餡をくるんだ和菓子。岐阜県飛騨地方南部の下呂市萩原地区を中心とする限られた地域で、伝統的に作られている。新緑の季節の5・6月に限定した菓子である。

「あねる」とはこの地方の方言で「練る」ことで、「あねて」「ひっくり返し」ながら生地をつくることから「あねかえし」という名前が生まれた。


■あぶり餅(あぶりもち)

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きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺し、炭火であぶったあと白味噌のタレをぬった餅菓子または、串にさしてあぶったおかきや煎餅のこと。

京都市北区の今宮神社や同右京区嵯峨の清凉寺、石川県金沢市金沢五社の神明宮などにある和菓子屋が有名。

特に今宮神社の店は、平安時代頃からある日本最古の和菓子屋とされ、今宮神社参道で応仁の乱や飢饉のとき庶民に振舞ったといういわれがある。またあぶり餅で使われる竹串は今宮神社に奉納された斎串(いぐし)で、今宮神社で毎年4月の第2日曜に行われるやすらい祭の鬼の持つ花傘の下に入ると御利益があるのをたとえとし、食べることで病気・厄除けの御利益があるとされ親しまれている。


■粟餅(あわもち)

粟をついて作った餅のことである。食事として、また菓子として食される。

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粟餅の切り餅

●製法

粟には古代より主食の代用とされたうるち粟と、粘り気のあるもち粟があり、粟餅はもち粟をついて作る。作り方は各所によって差があり、もち粟のみで作るところもあれば、もち粟ともち米を等分に混ぜて作るところもある。粟ともち米を混ぜる場合、両者は別々に洗い、もち粟はそのままざるに上げ、もち米は一晩水につけたのち、混ぜ合わせて蒸し、一緒につきあげる。

●歴史

粟餅は古来より米の餅と同様に作られてきたが、江戸時代になると菓子として食べられるようになり、各地の盛り場などに店が立つようになった。これらの粟餅店は葦簀張りでその場で粟餅を炊きつきあげるものが多く、つきたての餅に人気が集まった。とくに江戸の目黒不動尊や京都の北野天満宮の門前のものが著名であった。恋川春町の「金々先生栄花夢」は、粟餅をたきつきあげるまでの間に見る一炊のうちに主人公が見る栄華の夢を当世風俗を盛り込んで描いたもので、黄表紙というジャンルがこれによって確立した。また、江戸時代末期にはつきあがりを一握りつかむと指の間でまったく同じ大きさの4つの団子にして1間ほど離れたきな粉の盆に投げ入れ、できた片端から盆に盛り、または竹の皮に包んで客に食わせるパフォーマンスで人気を博した粟餅屋の記載が「守貞漫稿」にある。このパフォーマンスは評判を呼び、歌舞伎や常磐津節の演目にもなった。とくに常磐津の演目として名高い「粟餅」(花競俄曲突 はなのほかにわかのきょくづき)は、この粟餅屋を舞台としたものである。

●現況

現在でも各地で粟餅は作られているが、食生活の変化により粟の生産が減少するにつれて粟の入手が困難になり、生産される粟も高級化を目指した品質のよいものとなっていった。そのため粟の価格が上昇し、粟餅の生産は減少し、粟餅も米の餅に比べ一般的なものではなくなっていった。いっぽうで、近年の健康志向の高まりにより雑穀全般が見直され、とくに農村部において村おこしの一環として粟餅や黍餅が地元農産物の加工品として作られ販売されるようになり、切り餅の形でスーパーや農産物直売所、道の駅などに並ぶようになった。和菓子としては、とくに京都の北野天満宮門前にある澤屋の粟餅や、伊勢市にある赤福で8月に作られる八朔粟餅などが著名である。

●参照

「事典 和菓子の世界」中山圭子 岩波書店 p13 2006年2月24日発行
「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p20 昭和33年12月25日発行
「京の和菓子」辻ミチ子 中央公論新社 pp27-28 2005年7月25日発行
「事典 和菓子の世界」中山圭子 岩波書店 p14 2006年2月24日発行
「京の和菓子」辻ミチ子 中央公論新社 p28 2005年7月25日発行


■あんころ餅(餡ころ餅、あんころもち)

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和菓子の一種。

餅を小豆でできた餡で包んだもの。餡が餅の衣になっていることから「餡衣餅(あんころももち)」と呼ばれ、それが「あんころ餅」になったという説がある。おはぎ、牡丹餅と同一視されることもあるが、中身が完全な餅であるという点でそれらとは区別されていることが多い。

関西や北陸地方(特に京都・金沢)を中心に夏の土用の入りの日にあんころ餅を食べる風習があり、別名「土用餅(どようもち)」と呼ばれる。

発祥は定かではないが、ウナギを食べるのと同様に、土用餅を食べて精を付けて夏の暑さを乗り切るためとされている。

江戸時代に、疲れた旅人が食べやすい様に一口サイズになったともいわれている。

日本各地に分布し、土産菓子としても使われることが多い。

石川県ではかつてJR北陸線の松任駅にて駅弁スタイルで販売していた。

●あんころ餅で有名な地域

倉敷市児島 - 由加山の名物


■いが饅頭(いがまんじゅう)

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日本のいくつかの地域で伝統的に生産・販売されている和菓子。いが餅とも。

●各地の饅頭の例

〇いが饅頭 - 埼玉県

埼玉県の旧川里町(現・鴻巣市)や加須市、羽生市などの北埼玉地域の名物とされている和菓子。こしあんの饅頭の周りに赤飯がまぶしてある。農林水産省主催の郷土料理百選に選ばれている。

〇いが饅頭 - 愛知県

愛知県三河地方に伝わる和菓子。雛祭りの菓子として使われる。米粉で作った餅であんを包み、赤・黄・緑の3色に着色されたもち米を色別に乗せて蒸したものが一般的。

〇いが餅 - 広島県

広島県呉市の名物となっている餅菓子。という。主に秋祭りのさい夜店や和菓子屋で販売される。しんこ餅で粒あんを包み、ピンクまたは黄緑に着色したもち米を乗せて蒸す。なお、「しんこ」とはうるち米を乾燥させ粉にしたもののこと。


■梅ヶ枝餅(うめがえもち、うめがやもち)

主に福岡県太宰府市で販売されている餅菓子の一種である。

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太宰府天満宮門前にて

●概要

小豆餡を薄い餅の生地でくるみ、梅の刻印が入った鉄板で焼く焼餅である。出来上がると軽く梅の刻印が入るようになっている。その名称は菅原道真公のエピソードに由来しており、梅の味や香りがする訳ではない。よくまんじゅうと勘違いされることがあるが、実際は餡子入りの焼餅である。

西鉄太宰府線・太宰府駅から太宰府天満宮の門前の茶店や土産物店、梅ヶ枝餅専門店などで販売されているほか、県内で行われる縁日や観光名所、駅や空港などでの出店などでも販売されている。

本家に相当する店は現在のところ不明である。一時期、どのお店も「元祖」と表示していた時があったが、まぎらわしいため「名物」と表示されるようになった。

「梅ヶ枝餅協同組合」というものが存在し、これに加盟していない店の餅は「にせ餅」と呼ばれる(太宰府に店舗を構えている店は例外なく協同組合に入っており、登録商標も取得している)。

同一の製造方法で、太宰府天満宮門前以外の福岡県内の著名な神社である筥崎宮や宮地嶽神社や宗像大社などの門前で売られている「松ヶ枝餅(まつがえもち)」もあるが、こちらは類似品であり梅ヶ枝餅と直接の関係はない。

「手焼き」といわれる鉄板で4個ずつ焼く方法が主流だが、最近は梅ヶ枝餅を自動で焼く機械も登場しており、天満宮参道の土産屋などで見かけることができる。「だご」といわれる焼く前のタネを自動で作る機械も存在する。

焼きたてをそのまま食べる場合はパリっとした香ばしい食感を楽しむことができるが土産として持ち帰る場合は水分が飛ぶのを防ぐため薄いビニールシートで包んだ後、包装する。このため持ち帰って食べる場合はどうしてもやわらかい食感になってしまう。

家庭で焼きたての食感に近づけたい場合はビニールシートをつけたまま電子レンジで20秒程度加熱し、その後ビニールシートを外してオーブントースターで1~2分焼くとパリっとした食感を味わえる。やわらかい食感がお好みの場合はビニールシートをつけたまま電子レンジで1分程度加熱するとよい。

なお梅ヶ枝餅二つでさらに餡をはさんで食べる裏メニューがある(2011年(平成23年)12月22日のNHK「ひるブラ」で紹介された)。

●歴史

菅原道真が大宰府へ権帥として左遷され悄然としていた時に、安楽寺の門前で老婆が餅を売っていた。その老婆が元気を出して欲しいと道真に餅を供し、その餅が道真の好物になった。後に道真の死後、老婆が餅に梅の枝を添えて墓前に供えたのが始まりとされている。別の説では、菅原道真が左遷直後軟禁状態で、食事もままならなかったおり、老婆が道真が軟禁されていた部屋の格子ごしに餅を差し入れする際、手では届かないため梅の枝の先に刺して差し入れたというのが由来とされており、絵巻にものこっている。


■お茶餅(おちゃもち)

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岩手に伝わる郷土食。串に刺した平たい団子に胡桃醤油を絡めたものである。 名称はうちわ餅の訛った物といわれ、原材料にお茶を使用しているわけではない。 形状的には五平餅に似るが、製法が異なり、五平餅よりかなり薄く、やわらかい。

●作り方

1 うるち粉にお湯を加えて団子状にする。
2 1を串や割り箸に3つ4つ刺し、薄くつぶし、軍配型にする。
3 2を蒸し、蒸し上がったら軽く直火であぶる。
4 3を胡桃醤油に絡める。

●販売形態

岩手県内の団子屋で売られているものがほとんど。 日持ちしないため、お土産屋などでは置かれていない。

販売エリアは、盛岡市、花巻市、北上市、一関市およびその周辺に限られる。


■川渡餅(かわたりもち)

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新潟県上越市を中心とする上越地方で縁起物として食べられる餅菓子。

つきたての餅を甘い小豆餡で包む、いわゆる「あんころ餅」だが、大きさはやや小ぶりである。現在販売されている川渡餅には漉し餡と粒餡の2種類がある。包装に特徴があり、餅を一つひとつ紙またはアルミホイルのカップ容器に入れ、一般的な餅菓子のように餅同士がくっついてしまうようには並べない。

上越地方には、川渡餅を11月30日夜半から12月1日明け方にかけて食べると厄除けができるとする伝承があり、川渡餅が販売されるのもこの両日に限られる。また、昭和40年頃までは川渡餅を売るのは子供の役目とされ、「かわたりもちやーい、もちやーい」と独特な節回しで歌いながら民家の軒先を売り歩く姿が季節の風情として親しまれた。

●伝承

日本には古来より12月1日を特別な日として祝う風習がある。東日本では水神の縁日である「川浸りの朔日(かわびたりのついたち)」と呼び、西日本では1年の最後の1日を「乙子の朔日(をとごのついたち)」と呼び、いずれも餅をついて祝う。名称から推測して、川渡餅はこの前者の流れをくむものであると思われるが、上越地方の伝承では永禄4年(1561年)の川中島の戦いの際、上杉謙信が開戦に先立って士卒に餅を振る舞い士気を鼓舞した故事にちなんでいるとされる。子供が売り役とされたのも、この謙信の振る舞いにあやかり子供の心身の堅固を願う意味があった。

長崎県には同じく川渡餅と呼ぶ餅菓子があり、12月1日に神仏に供えると水難を避けるという伝承がある。また、茨城県には12月1日の朝についた餅を川に流し河童に供養する事で子供の水難避けを願う「かあぱれ餅」と呼ぶ風習が残っている。

●リンク

越後菓子処くさのや:川渡餅のページ(画像と説明がある)

http://www.kusanoya.com/kawatari.htm


■桔梗信玄餅(ききょうしんげんもち)

山梨県の製菓メーカー桔梗屋が製造・販売する土産菓子。

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桔梗信玄餅。右は開封してきな粉と黒蜜を施した状態。

発売開始は1968年(昭和43年)。2個の桔梗信玄餅を一枚の不織布の風呂敷で包んだ2個包みから25個化粧箱入りまで、数種類用意されているが、8個入りのものは布袋に入れて売られている。風呂敷を模したビニールに包まれた容器にきな粉にまぶされた小さな餅が3切れ入っており、それに付属の黒蜜をかけて食べる。

●名称の由来と起源

名称の「信玄」は戦国期の甲斐国主で、山梨県の象徴的人物と位置付けられている武田信玄に因んでいる。山梨ではお盆になると、仏前に安倍川餅を供えるという習慣があり、桔梗信玄餅はこれにヒントを得て黒蜜の独特な舌触りと、添加物を一切使用しないお餅を用いて作られた。

●受賞歴

和菓子のオリンピックと言われる全国菓子大博覧会の第19回博覧会(静岡県静岡市開催)において当時の名誉総裁・高松宮宣仁親王から名誉総裁高松宮賞を下される。第13回から名誉総裁は高松宮宣仁親王夫妻が歴任していたが、桔梗信玄餅が受賞した第19回には秩父宮妃勢津子もこの時だけ名を列し皇族3名を名誉総裁に迎えての受賞であった。

国土交通省主催のビジット・ジャパン・キャンペーン (VJC) の一環として開催された「VJC魅力ある日本のおみやげコンテスト2005」において、外国人に日本を強く意識させるものとして和菓子部門で銀賞を獲得している。これを受けて成田空港第一旅客ターミナル中央ビル4Fの「日本土産専門ショップ桜」店内でおみやげ日本代表として販売される事となった。

第5回新作観光土産品コンクール(現やまなし観光土産品コンクール)1970年(昭和45年)開催に出展し日本商工会議所会頭賞を受賞した。

●その他

新潟県上越市には上杉謙信にちなんだ「出陣餅」という菓子がある。また、福岡県福岡市博多区にも黒田如水にちなんだ如水庵の「筑紫もち」という菓子があり、いずれも戦国時代の名将に因んでいる。

賞味期限は短いが品質にこだわった「桔梗信玄餅吟造り」という上級品も販売されている。

2010年元日には創業120周年を記念して「桔梗信玄餅慶び」が限定販売された。

同じ山梨県の金精軒も信玄餅を販売している。「信玄餅」の商標は金精軒が保有している。

●参照

VJC魅力ある日本のおみやげコンテスト 審査結果(部門賞)

http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha05/01/010322_2/01.pdf

●リンク

桔梗屋

http://www.kikyouya.co.jp/

桔梗信玄餅.com

http://www.kikyoushingenmochi.com/


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