娑婆世界 | プラクティス

娑婆世界

 元気ですか~!?

 元気があれば何でも出来る。

 という訳で、今回は「娑婆」の話。


 仏教では、この世の俗世間のことを娑婆と言います。

 もともとは、「忍耐」を意味するサンスクリット語「saha」が由来です。

 この世は、内に煩悩があり、外は苦しみを耐え忍ばなければならない俗世であることから、この自由のない世界のことを「娑婆世界」と命名したのです。

 ところ変わって江戸時代の遊郭では、吉原を「極楽」に見立て、吉原の外を「娑婆」と言うようになったのです。が、拘束されている女郎達の立場からすれば、「娑婆(吉原の外)」は自由な世界にあたるため、本来の意味とは正反対の意味として使われるようになったのです。

 言っていることわかります?

 よく刑務所などから見た自由な世間のことを「娑婆」と言いますよね。

 でも、本来は刑務所が「忍耐」が必要な「娑婆」なのです。で、刑務所からみた世間は「極楽」になるはずなのです(心情的にはそうですよね)。

 「娑婆」から出ても「娑婆」なのに「娑婆」に憧れる訳です。

 でも、隣の芝は青く見えても、隣に行ってみれば、その隣が青く見えの繰り返し。

 待てよ、と言うことは…。

 どこに行っても「娑婆」なんじゃん! 「極楽」なんてありゃしない!

 と、聡明なお釈迦様はハタと閃いた訳です。

 わかります?

 つまり、極楽浄土は、物理的に土地を移動して到達できるところにはなく、抽象度を上げた、心、脳の中にあることを発見したのです。

 これは、数字のゼロの発見どころじゃないすごい発見でした。


  次回「満員電車でコノヤロー」に続きます。


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