心理療法の一つにゲシュタルト療法というものがあります。

フレデリック・S・パールズらによって創られた心理療法です。

ゲシュタルト療法とは「いま・ここ」を中心に据え、「気づき」というものを大事するという特徴があります。


そのゲシュタルト療法を創った、パールズが「ゲシュタルトの祈り」というものを残していますので、それをご紹介したいと思います。


ゲシュタルトの祈り

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。  

これを読んで、もしかしたら「少し冷たいのでは?」といった印象を受ける方もいらっしゃるかもしれませんね。

そうかもしれません、なにかサバサバしてるような印象もありますね。


しかしながら、見方を少し変えると意味合いが変わってくる感じがします。

個人的感想になりますが、ぼくはこの「ゲシュタルトの祈り」がとにかく全てにおいての全肯定に感じます。

否定的な雰囲気が一切ない。

例えば「人が人に何かを要求するとき」、その状況を深く考察していくと、そこには大小様々あれど、相手への否定の要素を含んでいるような気がします。

少し乱暴な言い方になるかもしれませんが、人に何かを要求する場合

「あなたのここがダメ。だからこうしてくれ。そうすればわたしが満足するから。」

というニュアンスが含まれるようにも思います。


その点、「ゲシュタルトの祈り」にはそれがありません。「私は私、あなたはあなた」という線引きが明確になされています。これはアドラー心理学における「課題の分離」にも通じる部分かもしれないですね。

この押し付け感の無さこそが、ゲシュタルトの祈りの中に感じる肯定感なのだと思います。


「あなたが何をしていても、あなたはあなたです。あなた自身の進みたい方向へ進んでいいんですよ。」


そう伝えてくれているような安心感を感じます。

そんな安心感を与えられるような人間になりたいですね。




via 特性因子研究所
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