四国横断、名所巡りと海の幸の旅(7)~唐人駄場と唐人石の謎~ | 凝り性 勝之進のこだわり日記

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★Livin' On A Prayer★Once upon a time Not so long ago・・・ 
 

続いては、足摺岬、金剛福寺を経由して

四国一のパワースポット唐人駄場・唐人石

へ向かいます。

◆足摺岬は、日本を代表する景勝地の一つで、
展望台から見ると、とても眺めがよく、
解放感たっぷりです。


当日は、台風の影響で荒波が押し寄せ、
砕ける白波と、海の翠と白亜の灯台の

コントラストが非常に綺麗でした。
 

これで、台風放送で足摺岬の映像が出て来たら、
「あそこに行ったよ」と言えるようになりました。

◆足摺岬のたもとには、金剛福寺があります。
四国88か所霊場の38番札所です。


弘法大師(空海)が唐から日本に来る時に
東に向かって投げた金剛杵が
 

このあたりに落ちたとされており、

境内のあちこちに金剛杵が飾ってあります。

弘法大師も、ここまで歩いてやって来るのは
相当大変だったと思います。
 

境内は結構広く、建物も立派ですし、
本堂を取り囲む数多くの仏像や

巨大な亀石なども、なかなか

見ごたえがあります。

 

 

個人的には、門の近くの池で咲いていた

水連の花が綺麗だったのが印象的でした。

◆続いて、いよいよ「唐人駄場遺跡(とうじんだば)」と
「唐人石(とうじんいわ)」に参ります。

不思議な名前ですが、唐人は異人、
駄場は、平らな土地という意味で、
知らない異人がやってきて
平らにした土地、とされています。

実際、唐人駄場遺跡周辺からは、

縄文時代早期(紀元前5000年頃)から

弥生時代にかけての石器や土器が

数多く出土しており、このあたりに
原始人が住んでいたことは確実です。

その原始人にとって「唐人」とは、

南から船でやってきた異民族だったのでしょうか?
はたまた空からやってきた宇宙人だったのでしょうか?
謎はつきませんが、まずは写真を見て頂きましょう。

★唐人駄場

 



森の中に、忽然と円形の原っぱが出現します。
ところどころに石が配置してあり、

周りには円形に石が点在しています。
 

まさに日本版ストーンヘンジですが、
イギリスのような人工建造物的な感じはなく、
単に草が生えている原っぱに石がゴロゴロ

といったかんじでした。

後で知ったのですが、この原っぱには、

中小の石が17条の筋となって

綺麗に並んでいたのですが、
 

今から40年前に、何を思い立ったのか

高知県が多くの石を取り除いてしまった

のだそうです。
 

自ら「遺跡」と呼んでおきながら、邪魔だから

撤去したという感覚が理解できませんね。
 

石を撤去して、原っぱをイベントにでも

使うつもりだったのかもしれませんが、
アクセスが悪すぎて、結局、

何にも使えていない状況です。
残念な話です。

◆唐人駄場の近くには唐人石があります。
これが撮ってきた写真です。

 


 

人が写っていないので伝わりにくいですが、
10メートルくらいのサイズの石が

まさに天から降ってきたかのように
折り重なっています。


勝之進は、迫力満点の巨石の間に入って

写真を撮り、パワーを充填してきました。

ただ、唐人石を見に行った時は、
台風がかなり接近しており、
 

シャワーを最強にしたような雨風が吹き付け、
足元も泥だらけという状態でしたので、、
 

入口から一番近くの南サークルしか
見ることができず、亀石、鬼の包丁石、
千畳敷岩、鏡岩、東サークルの

実物はみられませんでした。
残念。

それでも、南サークルの巨石を

目の当たりにできて、気が済みました。


もちろん、周辺に土産物屋は

一切ありませんので、念のため。

◆普通のブログならここで終わるのですが、
勝之進のブログはもう少し続きます。

唐人駄場と唐人石は、なんで

こんなところにあるのかについて

考えてみました。

そこで、地図を広げて中国・四国地方の
地図を出してください。

【A】 唐人駄場(東経132度98分)、

金剛福寺(東経133度01分)から、
真っ直ぐ北に線を引いてみてください。

すると、なんと不思議なことに、


【B】 瀬戸内海・大三島にある

一の宮・大山祇神社

(おおやまづみじんじゃ:東経133度00分)

【C】 久井の岩塊

(くいのがんかい:北緯34度53分, 東経133度07分)

【D】 隠岐の一の宮・由良比女神社

(ゆらひめじんじゃ:東経132度98分)
が見事に一直線に並んでいることが分かります。

久井の岩塊から真東に行くと、

【E】 伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう:北緯34度46分)
岩上神社・神籠石(ひもろぎいし:北緯34度44分)があり、

さらに東に行くと
【F】 伊勢神宮(34度45分)があります。

これを地図上にプロットすると、こんな感じになります。
IMG_20170826_103240463.jpg

ADFは、ほぼ正三角形です。

全国の一の宮が、ある一定の線上に

規則的に並んでいることは知られていますが、
 

今回、新たに足摺岬から北へ向かう

133度ラインと大正三角形も見つかりました。
この配置は偶然とは思えません。

空からやってきた「誰か」が
意識的に正三角形を作るために

ココに目印を置いたのでしょうか?

◆また、唐人石はどうやって

積まれたのでしょうか。

行ってみるとわかりますが、
足摺岬から唐人駄場に行くには、車で山道を
20分くらい登らなければなりません。

縄文時代の技術では、山の下からここまで
石を持ち上げ、山の斜面に据え付けるのは

不可能です。

その謎を解くヒントは、先ほど述べた

東経133度線上にある「久井の岩塊」

にあります。

これはお借りした写真です。


巨大な岩が、川の流れのように

連なって転がっています。

この奇観はどのようにして

できたのでしょうか。


答えは次の通りです。

 

①まず、地中深くでできた深成岩である

花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)の岩盤が
地殻変動で隆起して地表に現れます。


②その後、気温の変化と風雨によって

石に割れ目ができ、さらに長い間、

風雨を受けて割れ目が広がり、

 

遂には割れて山の斜面を転がり落ち、
低い土地まで落ちて溜まります。

③落ちた石は最初は尖っていますが、

さらに何千年もの間、再び風雨に晒されて
丸みを帯びていき、現在の姿になった

 

とされています。

これを地学では「岩流」といい、

難しくいうと、
 

「固く角張った巨礫からなる多量の岩塊が
斜面の最大傾斜方向あるいは谷に沿って
流下したような状態で積み重なってできた地形」

をいいます。

勝之進は、唐人石も同様に、山の上まで

押し上げられていた岩盤が崩れて、

山の斜面を転がり落ちて溜まった岩流が

 

再度の地殻変動で押し上げられて

できたと考えています。

 

つまり人工的に積まれたのではない

ということです。

「原始人が灯台目的に積んだ」とする説も

あるようですが、それは、

海面が上昇して船からよく見えるように

なっただけではないかと思います。
 

ということで、唐人石は、岩流と地殻隆起

によるもの、というのが勝之進の説です。

 

本当は、「唐人駄場がUFOの着陸場所で

宇宙人が三角点を打った」という説の方が

ロマンがあって楽しいですが、

さすがに無理がありますよねぇ(笑)。

 

勿論、唐人駄場に石を丸く並べたのと

亀石の先頭を削ったのは、原始人だと

と思われます。

 

以上、四国足摺のパワスポ話でした。

 

(続く)

     でもやっぱり正三角形になっているのは不思議だ。。。勝之進