ステッキ買い | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

明治の元勲松方正義の三男松方幸次郎(1865~1950)

は、アメリカのエール大学で学び、1891年正義の

第一次松方内閣において首相の秘書官となり、

1896年川崎造船所の初代社長となった。


社長となった松方は、造船の最先端技術を導入し、

更には海外情勢にも常に注意を払い、オーストリア

の皇太子がセルビアの青年に暗殺された時には、

「これは世界大戦に発展する」

と予想した。そして、

「世界造船界の一、二位の英国と独逸が戦えば、

船腹は絶対不足する。

鉄鋼など原材料を直ぐに手当てして、船台をフル

操業させろ」

と言い、社員の

「どんな船を造るのか」

と言う疑問には、

「頭を使え。どんな注文にも応じられるストック

ボートを造るんだ」

と、茶筒を縦半分に切ったような基本船体を量産し、

船主からの注文に応じて「整形」する方法を採用し、

1919年(大正8年)の一年間だけで35隻を進水

させ、うち25隻は海外へ売却した。


また、米騒動に端を発した1919年の大規模な

労働争議では、

「十時間労働を八時間労働に短縮し、給与は

従来の通りとする」

と、日本企業初の八時間労働の始まりとなった。


経営者としての松方の他に、彼には美術収集家

としての顔があり、「松方コレクション」が有名で

ある。


1921年10月13日の日付けのパリの画商

ルネ・ジャンベルの『ある画商の日記』の一節

には、

「マツカタという日本人が突如ヨーロッパに侵入。

画商の店を空っぽにしてしまった」

とある。


彼の買い方は一点ずつ買うのではなく、手にした

ステッキで画廊の壁の絵をぐるりと指して、

「全部でいくらかね」

という、伝説の゛ステッキ買い″である。


また、1921年に、印象派の巨匠モネの家を

訪ねた時、邸内の絵を全部買いたいと言って

モネを怒らせた。然し、その理由を、

「私の為に買うのではない。フランスまで来られ

ない日本の若い画家たちの為に本物の油絵を

見せてやりたいのだ」

と説明し、モネを納得させた。


その後、大正時代には日本にはまだ美術館が

なかったので、

「国がやらないなら、オイドンがやる」

と、壮大な美術館を設計したが、第一次大戦

不況で挫折した。

金儲けを社会還元の為の手段と考えると何時の

時代でも通じることなのではないでしょうか。




2.みみずく

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1.吉祥果

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