今日から4月 各地でいろいろな入学式や入社式が行われてニュースで流れております。
今日の新聞に倉本聡さんが北海道の富良野市での開校していた富良野塾がこの3月をもって入熟生の募集を締め切り2010年に閉塾することが報道されておりました。
倉本ファンの私としてはとても残念なのですが、年齢のこともありまた現代の若者たちとのイメージのギャップもあり続けていくことが困難となったようです。
さて 卒業式シーズンも終わりましたが、女子大生の袴姿がナントナク眩しく見えるのはなぜなのでしょうか・・・・・
卒業式のテーマ曲といえば「仰げば尊し」ですね・・・・
なのに 最近まで SMAPが出演している最近のCMで、卒業式バージョンがありますが、私には全くわからず涙も出ません、香取慎吾君が犬を抱いて泣いているのですが、何も伝わってこないのです。
この曲で子供たちは泣くのでしょうか・・・・・・
この曲は秩父市立影森中学校の校長だった小嶋登先生と、教諭の坂本浩美先生が生徒たちのために作った「手作り作品」だそうで「旅立ちの日に」という曲なのだそうです。
最近の卒業式はこの曲が一番多く歌われているのだそうです。
私には やはり 卒業式には「蛍の光」と「仰げば尊し」のこの2曲がなければ私の中では卒業式とは言えないのです。
といいながら「仰げば尊し」で一番泣いたのが「ビルマの竪琴」竹山道雄著の本を読んだ時なのです。
古い本なので最近の人は読んでいないと思いますが・・・・・
隊長が音楽学校を出たばかりの若い音楽家で、兵隊さんたちに熱心に合唱を教えておりました。
兵隊さんたちはこの音楽のおかげで苦しい時も慰めになり団結を強めていたのです。
ある村に滞在していた時、村人が突然一人もいなくなり隊長は敵に包囲されたことを知ります。
隊長は隊員たちには敵に悟られないために歌いながら戦闘態勢を固める指令を出します。
夕暮れになったとき「ホーム・ホーム・スイート・スイート・ホーム」と歌っている声が聞こえてきたのです。日本の歌だと思っていた「はにゅうの宿」です。
そして敵も味方もなく一緒になって合唱をしたのです。
日本の敗戦から三日後のことだったのです。そしてこの隊は武器を捨てたのでした。
しかし 三角山の岩山の向こうにまだ敗戦を知らない日本軍が戦闘を続けている部隊がありました。
隊長は水島上等兵に斥候として全滅する前に投降するように説得する命令を出します。
しかしいつまでたっても水島上等兵は帰っては来ませんでした。隊員たちは、彼は死んだのではないかと思うようになったのです。
水島上等兵は三角山の戦いの後ムドンへ向かっていました。道々で無数の日本兵の死体と出会い愕然としてしまいます。
自分だけ帰国することに心痛め、日本兵の霊を慰めるために僧となってこの地にとどまり、脱走兵となることを覚悟して白骨を葬って巡礼の旅を続けていたのです。
ビルマ(現ミャンマー)は小乗仏教の国なので沢山の僧が托鉢して歩いています。
そんなあるとき、捕虜となっていた隊が橋の修理に駆り出されていたとき、一人の僧が手に托鉢をもち肩に青いインコを乗せて橋の向こうから歩いてきました。
水島上等兵だったのです。
いよいよ隊の全員が日本へ帰るというとき、外の棚の向こうに一人の僧が立っておりました。
隊のみんなで「一緒に日本へ帰ろう」呼びましたが、彼は何も言わず竪琴を取り出し弾き出したのです
仰げば尊し わが師の恩
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
いまこそ別れめ いざさらば
いまこそ別れめ いざさらば
いまこそ別れめ いざさらば
これが 私が一番感動した「仰げば尊し」なのです。
安西節雄
今日の新聞に倉本聡さんが北海道の富良野市での開校していた富良野塾がこの3月をもって入熟生の募集を締め切り2010年に閉塾することが報道されておりました。
倉本ファンの私としてはとても残念なのですが、年齢のこともありまた現代の若者たちとのイメージのギャップもあり続けていくことが困難となったようです。
さて 卒業式シーズンも終わりましたが、女子大生の袴姿がナントナク眩しく見えるのはなぜなのでしょうか・・・・・
卒業式のテーマ曲といえば「仰げば尊し」ですね・・・・
なのに 最近まで SMAPが出演している最近のCMで、卒業式バージョンがありますが、私には全くわからず涙も出ません、香取慎吾君が犬を抱いて泣いているのですが、何も伝わってこないのです。
この曲で子供たちは泣くのでしょうか・・・・・・
この曲は秩父市立影森中学校の校長だった小嶋登先生と、教諭の坂本浩美先生が生徒たちのために作った「手作り作品」だそうで「旅立ちの日に」という曲なのだそうです。
最近の卒業式はこの曲が一番多く歌われているのだそうです。
私には やはり 卒業式には「蛍の光」と「仰げば尊し」のこの2曲がなければ私の中では卒業式とは言えないのです。
といいながら「仰げば尊し」で一番泣いたのが「ビルマの竪琴」竹山道雄著の本を読んだ時なのです。
古い本なので最近の人は読んでいないと思いますが・・・・・
隊長が音楽学校を出たばかりの若い音楽家で、兵隊さんたちに熱心に合唱を教えておりました。
兵隊さんたちはこの音楽のおかげで苦しい時も慰めになり団結を強めていたのです。
ある村に滞在していた時、村人が突然一人もいなくなり隊長は敵に包囲されたことを知ります。
隊長は隊員たちには敵に悟られないために歌いながら戦闘態勢を固める指令を出します。
夕暮れになったとき「ホーム・ホーム・スイート・スイート・ホーム」と歌っている声が聞こえてきたのです。日本の歌だと思っていた「はにゅうの宿」です。
そして敵も味方もなく一緒になって合唱をしたのです。
日本の敗戦から三日後のことだったのです。そしてこの隊は武器を捨てたのでした。
しかし 三角山の岩山の向こうにまだ敗戦を知らない日本軍が戦闘を続けている部隊がありました。
隊長は水島上等兵に斥候として全滅する前に投降するように説得する命令を出します。
しかしいつまでたっても水島上等兵は帰っては来ませんでした。隊員たちは、彼は死んだのではないかと思うようになったのです。
水島上等兵は三角山の戦いの後ムドンへ向かっていました。道々で無数の日本兵の死体と出会い愕然としてしまいます。
自分だけ帰国することに心痛め、日本兵の霊を慰めるために僧となってこの地にとどまり、脱走兵となることを覚悟して白骨を葬って巡礼の旅を続けていたのです。
ビルマ(現ミャンマー)は小乗仏教の国なので沢山の僧が托鉢して歩いています。
そんなあるとき、捕虜となっていた隊が橋の修理に駆り出されていたとき、一人の僧が手に托鉢をもち肩に青いインコを乗せて橋の向こうから歩いてきました。
水島上等兵だったのです。
いよいよ隊の全員が日本へ帰るというとき、外の棚の向こうに一人の僧が立っておりました。
隊のみんなで「一緒に日本へ帰ろう」呼びましたが、彼は何も言わず竪琴を取り出し弾き出したのです
仰げば尊し わが師の恩
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
いまこそ別れめ いざさらば
いまこそ別れめ いざさらば
いまこそ別れめ いざさらば
これが 私が一番感動した「仰げば尊し」なのです。
安西節雄