十勝村梨実のブログ 
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新庄智恵子さまからエールが送られてきました 25.05.11

『鏡王女物語』の副主人公藤原鎌足の形成に大いに助けられた新庄智恵子さん(『謡曲の中の九州王朝』新泉社 の著者)から、本の感想文が届きました。

御年93歳になられているとはとても思われぬ内容でした。こちらも、まだまだ新庄さんに比べるとまだまだひよっこのようなもので、老けこむわけにはいかないな、という思いを新たにしているところです。

長文ですので、その中の『鏡王女物語』についてのところのみ紹介させていただきます。



十勝村梨実のブログ -新庄智恵子さんのレター

『鏡王女物語』の終わりにあたって 25.04.06


● これで、『鏡王女物語』はおわりです。
この物語に作者が試みたのは、次のような「七世紀の古代史の謎」の謎解きです。

『隋書』に出てくる「阿毎多利思北孤」王とは誰か、という日本古代史最大の謎を始め数々の謎が七世紀にはあります。
それらの謎は、幾何の問題を解くときに補助線を引くことによりスラッと解けるように、「筑紫に王朝があった」という補助線を引くと苦も無く解けます。
この『鏡王女物語』には、以下のような「七世紀の古代史の謎」の謎解きが盛り込まれています。

①多利思北孤とは・その太子「利歌彌多弗利」とは誰か・筑紫君薩野馬とは・薩野馬の唐からの帰国理由は・筑紫と大和との関係は・九州年号とはどこの王朝の年号か・法隆寺釈迦三尊の光背銘に見える鬼前天后とは。


②鏡王とは誰か・その出自は・天智天皇が鏡王を見舞ったのはなぜか・高松塚古墳の被葬者は誰か。


③鏡王女の出自は・天智天皇との関係は・鎌足との関係は。


④額田王の出自は・額田の「ひめみこ」は、なぜ「王」なのか・鏡王女と額田王とは姉妹なのか・・大海人皇子との相聞歌の関係は・額田王の意味不明の歌の解釈は。


⑤鎌足の出自は・下賜妻への歓喜の歌のわけは・鎌足の長男定恵を若くして僧籍に入れた理由・定恵が暗殺された理由・鎌足の次男不比等の異常な出世の理由・不比等が若くして日本の舵取りができたのはなぜ・鎌足が大織冠を受けた理由は。


⑥天智天皇の「君が目が欲り」の歌の状況は・水時計の設計は誰が。


⑦持統紀に頻出する「吉野」の地は。
⑧斉明天皇の急死の裏の理由は・筑後に曲水の宴が出来る施設がある理由。


⑨乙巳の変は何故起きたか、何処で起きたのか、長柄豊崎宮とは。


⑩筑紫と近畿の地名の類似の不思議さ・唐津の「鏡」と出雲の「鏡」。


⑪その他・万葉集一番歌の解釈 ・5世紀、日本が新羅を治めきれなかった理由 ・日本紀について ・日本書紀にある「からす文」の解釈 ・大分君とは。

●以上の謎解きに、

古田武彦さんの著作、『牛場割れた九州王朝』・『古代史の十字路 万葉批判』・『人麿の運命』・『壬申大乱』、

新庄智恵子さんの『謡曲の中の九州王朝』、

内倉武久さんの『太宰府は日本の首都だった』、

中西進さんの『万葉集』

などを参考にさせてもらいました。有難うございました。

●この「十勝村梨実」のハンドルネームは、作者中村通敏をアナグラムで作ったもので、もう一人の分身「棟上寅七」とおなじです。

挿絵の「ノリキオ」は、本名「川村」で、それを分解してペンネームとしています。現在画学生として修業中です。尚、4月13日から5月1にちまで、豊島区の東長崎駅近くのターナーギャラリーで若手四人展を開くそうです。


●ところで、このブログを通して読もうとしても面倒だ、ということに気付き、CD版にまとめました。


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長らくのご愛読ありがとうございました。「十勝村梨実」はこれで退場です。

『鏡王女物語』 推薦文 上城 誠

まだ見ぬあなた(・・・)に                  上城 誠




中村通敏さん、それともインターネット上の「棟上寅七の古代史本批評」と題したブログで辛口のコメントを発信し続けている棟上寅七さんと呼ぶべきでしょうか。どちらにしても、氏は「学問」に対して極めて誠実な研究者です。

それは『「奴」をどう読むか』(古代に真実を求めて・第十二集)、『短里によって史料批判をする場合の問題点について』(古田史学会報・一〇二号)等にみれるように、そして氏が主宰する「新しい歴史教科書(古代史)研究会」のホームページで発表する研究論文を読んでも、ただちに判ることです。

そこには、誠実な「学問の方法」が実践されています。例えば“使用する史料・資料を吟味し、客観性のある信頼しうるものにのみ依拠して立論する。自己の思い込み、あるいは自説に都合の良い資料のみを用いた解釈をしない”等々です。

誠実さとは「学問の方法」に対する氏の厳格さの発露なのでしょう。



そんな中村さんが『鏡王女が歌で綴る動乱の七世紀』という小説を上梓される。唐と倭国との一大決戦「白村江の戦い」を中心に据え、近畿大王家と、その主人たる九州王朝との関わりを解きあかす壮大な歴史絵巻を、あたかもNHKの大河ドラマのように鮮やかに私達の眼前に描き出して見せたのです。

小説というジャンルを活用して、論文では触れ得ない禁断の領域に歩を進めたのです。

鏡王女という可愛らしい万葉歌人が物語り、また(うた)(かた)る、読者をして自分の言葉で誰かに話し語りたくなる、そんな歌物語として完成させたのです。

その想像力と創造力の広大さには、中村さんの創作された万葉風短歌ともども驚嘆の二字しかありません。



 「歴史事象は物語られて初めて歴史になる」と云う人もいます。

 中村さんの書かれたこの小説が多くの読者によって語られ、語りつがれ、その遠くない未来「太宰府政庁跡」「水城」「大野城跡」「筑紫小郡明日香の地」で、「九州王朝」を議論しあっている第二、第三の棟上寅七・寅子の姿に連なっていくことを、私は信じています。 (多元的古代研究会会員)







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