先日、突発性難聴で
片耳が聞こえづらい方と話していた時に
興味深いことを聞きました。
カフェで友だちとお茶していたら、
一緒に話している相手と
離れたところに座る人の声が、
同じ距離感で聞こえて、
なんだか不安になるそうです。
私たちの耳は元気な時には、
それぞれの距離を感じ、
聞きたい声を選び取って聞いていることを
実感したと話しておられました。
キノコ狩りにでかけると、
最初は分からなくても、
目が認識し始めると、
そこらじゅうに
キノコが生えているのが分かる、と、
友だちは言っていました。
目も見るものを識別している?!
私は今、
子どもミュージカルのために
日夜、衣装を作っていて、
昨日は立体裁断した衣装を
ひたすら縫い合わせていました。
そしたら、昨日、
息抜きに走りに行ったら、
道々のカーブが布のカーブに見えて、
自分がミシンになってその上を走って、
縫い留めているかのような
視覚作用にみまわれました。
頭の映像が、
目の前の現象と合わさって、
違うものに見えたりする。
見え方すらも選び取ったのかな?
ボディートークをベースとして、
仕事をするようになってからは、
どこかで子どもが泣く声も、
ただの泣き声ではなく、
泣く理由が聞こえます。
表面の状況より
子どもの心に寄り添いたい気持ちが、
無意識に
耳を研ぎ澄ませてしまいます。
私たちは本能的に、
自分の聞きたいものを聞き、
見たいものを見てるんだなぁ。
昨日は夜、
眠れなかったから、
結局、ネコの衣装を作り始めて、
部屋中、毛だらけになりながら
朝になりましたが、
窓の外が明るくなると、
朝の光は柔らかいなと思えました。
朝が来て、
ホッとしたからでしょう。
お正月には
圧倒的な光だと思ったのに!
自分が選び取る世界が、
美しく優しいものばかりだといいのに。
見たくないものを見てしまったり、
知りたくないことを知ろうとしたり。
でも、きっと
自分の中では、
それも選び取るのでしょうね。
事実に見えたことと、
真実がちがうこともあるから、
要注意。
今日はどんな世界と出会うだろう。
素直な心で
選び取れたらいいな。