海女について | 鳥羽市観光協会だより

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三重県鳥羽市の鳥羽市観光協会スタッフがおとどどけする、最新のイベント情報や、鳥羽の旬の情報を提供するブログです。

答えは『海女』のなかにある。

 

海に潜って貝を採る・・・。

人類がおそらく最初に行ったであろう食料採取。

 

最古の文献としては、3世紀ごろ書かれた中国の『魏志倭人伝』。魏志倭人伝とは日本史で習った「邪馬台国」に卑弥呼がいたという記載がされている文献である。そのなかに、倭人が海に潜りアワビを採るという紹介がなされている。

 

伊勢志摩地方の海女が出てくる書物としては万葉集が最古のもの。「伊勢の海女の朝な夕なに潜(かず)くといふ 鮑の貝の片思いにして」

 

鳥羽市の白浜遺跡からは大量のアワビの殻といっしょに、鹿の角で作られたアワビオコシと呼ばれる骨格器が出土されている。今から約2000年前の遺跡だと言われている。

 

鳥羽の人は、何千年も昔から、素潜りで、アワビやサザエを採ってきた。そして、これだけ文明の発達した現代においても、変わらず、その漁法にこだわっている。

 

なぜ、海女という職業に女性が多いのかは諸説ある。女性は皮下脂肪が厚く寒さに強いとか、漁法の発展により、男性はより遠く、より深いところで、効率の良い獲物を求めていったためとかがよく言われる。

 

三好達治の詩『郷愁』にこういう一節がある。
『海よ、僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある』
これは日本語の『海』という漢字の中に『母』という文字が含まれており、フランス語で『母』を意味する『mere』(メール)の中に『海』を意味する『mer』(メール)が含まれていることを示している。当然、フランス語で『海』は女性名詞で『ラ・メール』と言う。

さらに日本語では、『海』は『産み』から来ている。海は全ての生命の源、そういう意味で、世界中の言葉で『海』と『母』は似た表現になるのかも知れない。海女が女性なのも何か関係があるかもしれない。

 

現代社会が直面している数ある課題に対して、我々現代人は海女から多くのことを学ぶべきである。多くの示唆を含み、解決の糸口が見つかるかもしれない。

『海女』の中にその答えが存在する。

 

「日本一海女の多いまち 鳥羽市」として世界中に、このメッセージを贈ります。

 

 

1、持続可能な社会

素もぐりであること。この原始的な漁法をいまだ続けている。自分たちの体力への配慮は自然界への配慮と重なっている。獲っていい時期、獲っていい種、獲っていい日、獲っていい大きさ、各地区の漁協がすべて決定している。このことでも乱獲を防いでいる。常日頃から海に潜っている海女は微妙な海底の変化にも気が付き、『海の自然保護官』の役割も果たしている。伊勢志摩の海が豊かなのも、海女という存在が大きく機能しているからに他ならない。このような偶然とも、必然ともとれる仕組みの中で、自然との共存、資源の保護により、持続可能な社会を実現させている。

  

 

2、世代を超えた女性のコミュニティ

海女小屋は海女が漁の前後で体を温め、休憩をするところ。数名のグループで使用し、情報交換の場として機能している。漁のコツ、地域でのルール、子育てのことについて相談できるしくみが存在する。新しく村に入ってきた女性も、年齢を超えたつながりを得ることで、女性の居場所づくりにもつながり、地域の共同体としての意識がこの海女小屋で形成され、受け継がれている。

 

 

3、複業という考え方

海女は毎日、海女漁をしているわけではない。しかも、季節によって、ヒジキ、ワカメ、アラメ、テングサなど。ナマコを獲る地区もある。子育てもしながら、田んぼも作り、畑も耕し、民宿でも働き、海女は働き者である。『副業』という考え方から、『複業』という考え方へ。女性の生き方に対して、一つの提案がそこには存在するのかもしれない。そういう意味では『海女』とは職業のことではなく、『生き方』のことであるとも言える。女性の働き方として、現代に多くの示唆を与えている。

 

 

最後に、海女はとにかく、明るい。そして、よく笑う。海女小屋では、獲物が獲れても、獲れなくても、常に笑い声が絶えない。危険な作業であるにも関わらず、海女には、苦労を笑い飛ばしてしまう力がある。それぞれの家庭に戻れば、悩みも、困りごとも千差万別であろう。しかし、海女はよく笑う。海女が『海』という大いなる力から学んだ知恵なのか。世界中が今、海女から学ぶべき最大の教訓はそんなことかもしれない。