今の目標 | みそのブログ

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私の今の目標は娘が二十歳になるまで生きること。

がんを宣告され、本当に血の気が引いた。血の気が引くとはこのことかと、実感した。どんな時でも食欲と睡眠欲だけは消えなかった私が、一日食べれなかった。夫や親に泣きついた。怖い、どうしよう、私死んじゃうのかな。パニックになった。怖い怖い怖い。まず頭の中は、そればかり。

そして、多分多くのひとがするように、情報収集をした。素人なりに乳がんの本をいくつか買い、病理検査の結果の意味を学んだ。がんに効く○○などの本も読んだ。
闘うにはまず敵を知らねば。

自分の状態はどうもあまり楽観視できないみたいだ。では、がんがこれ以上進行しないためには、治癒に向かうためには、今どうすれば良いか。

まず、一刻もはやく専門医で治療を開始すること。
一度は頭真白でパニックになり、帰宅した私だったが、思いかえしてすぐ、クリニックに電話し、「いますぐに、紹介状書いてください。とりに行きますから」とトンボ帰り。組織を大きくとった生検の結果が出揃う前だったが、大きい病院でMRIなど他にできる検査を、とにかく一刻もはやく受けて、一刻もはやく治療開始したい。
即日、紹介状を昭和大学病院あてに書いてもらった。
素人のネット検索で癌研有明は?といったら、昭和のほうが近いし、良い先生をしっているからと、紹介してくれた。後でわかったことだが、昭和大学病院は、乳がん治療では癌研を超える評価を得ていた(日経2012/1/7)

結果、宣告された日から約二週間で化学治療開始できた。かなり早いほうだったと思う。
昭和はブレストセンターといわれる乳腺外科を抱え、腫瘍センターという化学治療専門の病室で点滴をうける。乳がん患者ばかりで心強い。もちろん総合病院なので他の科も充実してる。旗の台で降りたことはなかったが、このあたりは大きな建物もなく、病院の町という感じだ。

そして次に、これまでの自分の食生活には大きな問題があったことに気付いた。特に添加物やアルコールの過剰摂取。私は自他共に認めるビール好きで、仕事のない日は昼でも飲んだりしていた。家族の食事には気を使ったが自分自身は加工品を気にすることなく日常的に使用していた。胃腸には何故か自信があり、ゴミ箱のように食べ残しや古いものでも食べていた。

これらをやめ、極力玄米菜食。その日食べるものをその日に買うことにした。調味料も、減塩にし、極力使わないように。ゲルソン療法や星野式などを参考にし、毎日にんじんジュースを飲んでいる。

生活改善には、母が精神的にも実動的にも、大きく助けてくれた。私の泣きの電話で、父の赴任先の九州から横浜の実家に帰り、私のために一緒に手料理を作り、子守をし、イライラして当たる私にも、何も言わず優しく受け止めてくれた。

私には、不安が襲ってくると、時々考える想像がある。
それはもし、私の子供ががんだったらという想像だ。すると、心からこう思える。ああ、よかった、私ががんで。子供達が健康で本当によかった!私ががんで本当によかった、神様ありがとう!って。
私をがんにした神様(そんなものがいるかはわからないが)に感謝する有様。実際には私の病気と子の健康は何の関係もない。不謹慎かもしれない。でもなんとなく気持ちが楽になる。もう子が健康ならそれだけでいいと達観できる。

ただ逆を思うと、実際に娘ががんになった母の気持ちはいかほどか。
また、娘が長じて大人になり、大病した時、私がいなかったら、どれだけ心細いか。(それくらい、今の私は母に支えられている。)

だから私の本当の目標は、娘が私の歳になるくらいまで、あと30年くらい生きたいのだ。でも、それは贅沢すぎるかな?だからせめてまず、成人して自立できる目処がたつまで、としとこうと思う。





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