いじめ、小学校で過去最多 暴力行為は1万件超す


 平成25年度に全国の小・中・高校と特別支援学校で認知されたいじめの件数は18万5860件で、前年度より1万2千件余り減少したものの、依然として多くのいじめが確認されている現状が、16日発表された文部科学省の問題行動調査で分かった。特に小学校では約1400件増加し過去最多を記録。文科省が各教育委員会に対策強化を求めている。都道府県別でみると8府県で増加した。

 調査結果によると、いじめ認知件数は小学校で11万8805件(前年度11万7384件)▽中学校5万5248件(同6万3634件)▽高校1万1039件(同1万6274件)▽特別支援学校768件(同817件)-で、小学校だけが増加した。いじめが原因の自殺者は中学校7人(同5人)、高校2人(同1人)の計9人で、前年度から3人増えた。高校のうち93件は今回から集計が始まった通信制課程での件数。

 増加した都道府県は、京都府が2万8118件で前年度より約1万8千件増加。宮城県も1万7624件で約7千件増えた。

 具体的な内容(複数回答)では、「冷やかしやからかい」が64%と大半を占めた。次いで「遊ぶふりをして蹴られる」などの暴力が23%、「無視や仲間外れ」が20%。「危険なことをさせられる」などは1割未満だった。

 一方、暴力行為の認知件数は5万9345件と、前年度より3509件増加。特に小学生による暴力行為は1万件を超え、過去最多となった。



http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/141016/lif14101618020008-n1.html




昨年の秋、「いじめ防止対策推進法」が制定されたが、こんな法案は絵に描いた餅だと制定当初から分かっていた。アホか、とすら思っていた。なぜならこの法律には「罰則」がないからだ。「罰」もない法案に実効性など、ない。教室で飽きるほど繰り返される「いじめは許さない」というお題目が、法規範になったというだけのこと。規範意識のなき者に、法規範を遵守させようとするならば、それは「罰則」による強制力に依るしかない。たとえば「脱法ハーブ」規制をしようとして、「以下の薬草をドラッグと認定する」「認定された薬草を所持使用してはならない」と規定しただけで抑止効果が1ミクロンも生じない事は誰でも分かるだろう。


だから、法律が制定されても、いじめはなくならないどころか、むしろ認知件数が増えただけというだけになる。しかし、認知件数が増えたのは良いことだ。最悪なのは、認知もされないことだからだ。

私の知る学校の教室内でも、いじめが横行している。ターゲットは主に一人に集中している。
いじめの理由は「先生に挨拶をするから」「先生にいい顔するからムカツク」ということらしい。クラスの優等生が首謀者となって悪口を言い、どちらかといえば勉強の出来ない粗暴な性癖のある子が追従し、集団で追い込む。あるいは、粗暴な者が難癖を付けて暴力を振るう。これが毎日繰り返されるらしい。これはある名門と言われる進学校での出来事だ。中学受験を前に、「ストレス解消」と称し、この学校のこの学年は毎年必ず弱者がいじめのターゲットになるのが「伝統」なのだと、人づてに聞いたこともある。

先日は体育の時間中、いつものいじめ集団が彼を取り囲んでいたと思ったら、サッとその集団が離れ、中央に彼が倒れていて、泣いていた。先生が彼に尋ねると「自分で倒れて、足をひねった」と言う。別の級友がそっと「本当に自分で倒れたの?」と聞くと、「本当は、足を引っかけられて倒された」。クラスメイトは誰もが自分で倒れたとは思っていない。彼はいつもいじめられているからだ。毎日最低一回は、教室の隅で、このようなことが行われている。

でも、先生に「チク」ると、自分がターゲットになるから、言わない。こうして誰もがいじめの事実を知っていながら、先生だけは「知らない振り」をするという典型的ないじめの実態がここでも展開されることになる。
先生受けの良いこの子は、その先生に守られることもない。むしろ先生は見て見ぬ振りの「加害者」に荷担している。その学校の先生方は、いじめは「必要悪」だと考えていると、私は確信している。いじめの首謀者である優等生は、その後、大抵トップクラスの難関中学に合格するからだ。
ちなみにこのクラスの教室には、「人権宣言」と称して、多くの権利がずらずらと並んでいる中に堂々と「いじめを受けない権利」と書いた標語が貼ってある。4月の最初に、担任から人権について蕩々と教育されたそうだ。それを聞いた瞬間から、この担任はダメだと思ったが、案の定だ。



私はとても聞いていられず、担任に、「ある子が先生の見ていないところで毎日いじめられている」と言った事がある。担任は把握していた。一度首謀者を厳しく叱責したとも言っていたが、それは私も知っている。それだけではいじめは止まないから、私が伝えたのだ。
しかし担任が把握していると言った以上、私がこれ以上強く出ることは立場上できない。後は担任と、その子の保護者の問題だ。それに、私の子もかつてターゲットになっていたので、自分の子に影響が及ぶ事は避けたい。その他大人の事情と計算により、「今は」口出ししていない。

彼に「親に言ったら?」と尋ねると、「迷惑がかかるから言えない」と言ったそうだ。それを聞いて私は、「言わない方が親にとって迷惑なんだよ!」と叫んでしまった。でも、聞くところによると、多くの子どもが、自分が学校でいじめられていることを、親には言えない、言わないらしい。もちろんこれは小学生の話だ。中学生になったらもっと言わなくなる。だから、いじめによる自殺は中学二年生が多い。



いじめは絶対になくならないことを前提に考えなければならない。それは人間に潜む本性だからだ。これを抑止する方法はただ一つ。「その者にとって、一番、嫌な事をすればよい」

たとえば生徒にとって一番嫌な事は何か。優等生であれば、親にばれて、親が恥をかかされる、あるいは親から叱責されることが一番嫌な事かもしれない。
でも、生徒にとっても、親にとっても最も困ることは、「退学」だ。いじめ即退学という校則が存在する学校にいじめはないと聞いている。私立であれば、退学も簡単だ。退学が難しければ、出席停止でも良い。何らかの「罰」を与えれば良い。
進学校であれば、「内申書」を気にするだろう。これは加害者が優等生であればあるほど、効果的だ。かつて私の子をいじめていた優等生は、私が「一暴れ」した後、私の子にこんなことを言ったらしい。「いじめないから、先生にチクらないで」。この子は親に、「あの子に手を出すとまずいから手を出すな」と言われたのだと思う。いくら勉強が出来ても、内申書に響いたら元も子もない。「一暴れ」の内容は後述する。

学校にとって一番嫌な事は何か。実は学校を動かすのが一番、難しい。とかく組織というものはすぐ保身に走るからだ。
とすれば、学校にとって嫌な事は、上部組織又は外部にある、ということになる。上部組織に働きかけるか、外部で騒動を起こすか。上部組織は、公立校であれば所轄の教育委員会だが、大津のいじめ自殺以前は、教育委員会に訴える事は無駄だった。当時私は更に上の管轄へ訴えることを検討していた。今は多少は違うかもしれない。私立校であれば学校法人の理事会あたりになるだろう。

外部とは、例えば私立校であれば保護者ネットワークだ。保護者同志で大騒ぎになり、それが外部に漏れ、悪評判が立つのを避けたい。但し、私立校の保護者というのは噂好きな反面、自分が表に立つことを好まない体裁を重んじる者が多いので、大騒ぎになる事はまず、ない。また、公立学校ではこれは無駄だ。私立校であればマスコミか。
「いじめ」ではなく、それが「犯罪行為」に該当するならば、証拠を集めて警察に行くことだ。警察に行く場合には、警察に動いてもらうだけの材料を用意すること。それは、①物的証拠(診断書、あざや怪我の写真、いじめの痕跡となる物証、ICレコーダ) ②人証(いじめの様子を具体的かつ客観的に記載したものを用意) そして必ず、③事前に学校に相談しておくこと。学校が全く対応してくれない時のみ、警察に駆け込むこと。更に必要なことは、④これは犯罪だから絶対に許さないという決意。脅しの材料として警察を使うことは厳禁だ。

私の知る限り、これ以外の方法・・・いじめ相談室等、自治体などが用意する相談室、カウンセリングは、全く役に立たない。理由は勿論、「当事者にとって、嫌なことではないから」。繰り返しになるが、いじめは、いじめの加害者と学校にとって、一番、嫌なことが起きない限り、止まないのだ。



私が試した方法の一つに、上記の中で比較的穏当で、誰でも出来うる効果的な対処法がある。私が学校で「一暴れ」した際、いじめの事実を、保護者会で公表してもらうことを学校にお願いしたのだが、この効果が抜群だった。これは、教師をしていた友人から聞いた方法だ。
以来、「あの子には手を出せない」という認識が保護者に伝わり、誰からも手出しされなくなった。ある時は傘で殴りかかろうとして、「あ、お前やると、めんどくさいんだった」と言ってぴたりと止めた子がいた(その子は結局別の子を傘で殴り続けて泣かせたらしい)。これは保護者から、「あの子だけはやめなさい」と言われたからに違いない。

但し、この方法は諸刃の剣で、「手出しできない」=「無視される」という新たないじめにつながる事になりかねない。子どもというのは、たとえいじめられても、それでも友達とのつながりを持ちたいと思うものなのだ。無視されるのが良いのか、暴力を振るわれ続けるのが良いのか。その子の受けているいじめの内容を見極めながら、そこは保護者の慎重な判断力が問われる。

またある時私は、学校関係者立ち会いの下、保護者同伴で、いじめの加害者に「二度としない」と約束させた事がある。この時、首謀者の児童の態度が非常に悪く、反省していないと感じたので、私はその場で怒りを抑えながらも「自分は、母親としてどんなに激怒しているか」ということをガツンと伝えた。脅迫罪にならない程度に一発、恫喝したのだ。以来その子は私の子に一切手出しをしなくなった。その子から恨まれても仕方ないと思っていたが、その後学校ですれ違った際、その子は私の顔を見てぺこん、と頭を下げた。あれは嬉しかった。


何れにしても、いじめは、法律や自治体等によるセーフティネットの設置や教員の教育などによって何とかなるものではないと、いい加減気付いて欲しい。ましてや子どもに対する教育など、百害はないが一利もない。
罰則がないなら、その罰を与える事ができるのは、保護者だけだ。だけど、その保護者が、いじめを認識できないのならば・・・その子が自分でやり過ごすことを選択しているのだ。親にとってこんなに悲しい事はない。

いじめは「自衛」するしかない。自衛の最大の効果を与える手段こそが、自ら相手方に罰を下すことだ。ここでの「罰」は、規範的な意味での「罰」ではない。誰もが自分達こそが正義だと思い込んでいるから、自分が裁判官になったつもりで、「罰」を与える事を意味するのではない。自衛策としての「罰」だ。相手方にとって一番嫌なことを「罰」として与えるのだ。

その者がされて一番嫌な事は何かを、考えろ。考えて考えて考え抜く。例えば「家に落書きをする」などという手段は、気持ちは非常に理解できるが、自らが法に触れる事をしては逆効果だ。冷静に、賢く、自衛手段を考えよう。