企業の安全責任

 北海道大雪山系のトムラウシ山でツアー登山客ら八人が遭難、死亡した事故から十六日で丸三年を迎えた。

 事故直後に被害者の川角夏江さん=当時(68)=の遺族を取材した。残された二人の息子はツアーを企画した旅行会社の安全対策の不備に怒りをぶつけた。北海道警が業務上過失致死容疑での立件を目指しているが、難航している。

 ツアー会社から昨年末、死亡した被害者宛てに旅行のパンフレットが届いたという。事故の記憶は薄まり、教訓が生かされぬまま。ユッケ食中毒や高速ツアーバス事故…。内容は違えど、その後も次々と企業の安全対策不備によって多くの命が奪われている。残念でならない。 (山田祐一郎)


アミューズトラベルについてもう少し調べてみたら、酷い話が出てきた。

今年の7月16日は、トムラウシ山遭難事故から3年目にあたるのだが、相変わらず杜撰な企業体質というものに、警鐘が鳴らされる新聞記事があったのだ。
上記は7月22日の中日新聞のコラム。この、「ツアー会社(アミューズトラベル)から、亡くなった被害者宛にパンフレットが届いた」という話である。
ちなみに、上のコラムには載っていないが、この、亡くなった方に送られたパンフレットは中国四川省のハイキングツアーパンフだったそうである。
ここまでくると、呆れを通り越して、なにやら今回の事故の予兆めいた因果を感じて、寒気がしてくる。

夏に、ルーマニアのブカレストで、女子大生が殺害される痛ましい事件があった。
コーディネートしたのは、アイセックというNPO法人。
殺害発覚後、深夜に空港に到着したり移動しなければならないスケジュール、空港に出迎えのメンバーが来なかったという不手際等々、アイセックの対応のまずさをネットで指摘され、バッシングされると、代表理事(というより某大学教授だ)がツイッターで「ここがこらえどころ」などとつぶやいて炎上・・・等々、目も当てられない事態だった。
これも、アミューズトラベルの例と似ているのだが、その半年前にもブカレストへ学生が派遣された際、全く同じように「深夜」「空港で出迎えなし」という不手際があり、ただこの時は男子学生だったということもあり、難を逃れたのであったが、後から思えば非常に危険だったと指摘されていた(事件後間もなく、この男子学生のブログは削除されている)。

アミューズトラベルの、トムラウシ山遭難事故と、今回の万里の長城遭難事故、
そしてアイセックジャパンのルーマニア女子大生殺害事件、
被害者に責任がある・・・自己責任・・・という声があるそうだが、それは少し違う。
責任があるのだとしたら、その旅行会社を選んでしまった責任、アイセックを信用してしまった責任、それだけだ。
そして被害者は、自らの死という結果を以て充分過ぎるほどの責任を被っている。だから、追及されるべき責任は、被害者にはもう、ない。

問題は、会社に責任があるかないか・いかなる責任があったのか、ではないか。

シンドラーエレベーターの6年前の事故が未だ公判整理前手続中で、審理に入っていないのは、業務上過失致死罪の立件、裁判の難しさにある。
私はこの記事を、「いじめと犯罪」のカテゴリに入れたが、業務上過失致死傷罪というのは、一応刑法典においては「犯罪」だからである。
ただ、その「犯罪」であるが、過失犯というのは本質的に「故意犯」とは違うので、立証すべき事柄も異なり、非常に難しいのだ。
例えば、過失犯においては、こんなことをしていれば死傷に至るのではないかという「予見可能性」がなければならないし、死傷の結果を回避すべき「結果回避義務」がなければならない。
更には、手を尽くしても結果を回避する可能性がなかったと認められれば、結果回避可能性がなかったとして、犯罪は成立しないことになる。
自動車事故など類型的に危険な業務は、運転しているというその行為だけで既に危険を背負っているようなものだから、これら要件は簡単に認められるのだが、「旅行の主催」になると、まずは「予見可能性」の時点で立証出来そうもなく、従って立件もされないということになる。
エレベーターは認められても良さそうなのだが・・・今の担当弁護人が余程優秀なのか。
ただ、先日の金沢の事故は、流石に言い訳が立たないだろう。裁判になれば有罪の可能性が極めて高いと思われる。

いずれにしても、私がいつも考えるのは、法的責任と、道義的責任は違うと言うこと、
そして今回はそのどちらとも言えない、企業としての生命線、言わば「社会的責任」に大きく反しているような気がするのだ。
それは上のコラムにある「安全責任」と殆ど同義である。
やはりどう言い逃れしようとも、対価を受けて提供する企業のサービス、利便性の裏には、「ツアー会社の組んだ行程で命を落とすことはないだろう」「このエレベーターで身体を挟まれる事はないだろう」という信頼が大前提として存在するのであり、この信頼を裏切った事の責任が、企業にはある筈なのだ。

そして繰り返しになるが、重大な事故を起こす会社というのは、必ず前科若しくは予兆があるのだ。それはもう、恐ろしいほど明白に。
前科や予兆を軽視してはならない。安易に信頼してはならない。
最終的にその責任は、自分の身に降りかかるのだから。