暴行・強要:同級生を全裸に、中3男子2人逮捕 滋賀県警
毎日新聞 2012年10月02日 22時06分(最終更新 10月02日 22時46分)

 同級生の服を無理やり脱がせて全裸にしたとして、滋賀県警少年課と彦根署は2日、同県彦根市立中学3年の男子生徒2人(いずれも14歳)を、暴行と強要の容疑で逮捕した。

 逮捕容疑は、2人は同級生数人と共謀し、先月19日、中学の昼休み時間に同級生の男子生徒(15)を空き教室に連れ込み、カッターシャツを無理やり脱がせた。さらにズボンや下着を自分で脱ぐよう要求し、引っ張って脱がせて全裸にしたとされる。2人とも容疑を認めているという。

 県警によると、2人のうち1人がこの様子をカメラ付き携帯電話で数枚撮影。うち少なくとも1枚を、特定グループで画像を共有できる携帯電話のアプリ上に掲載、同級生の男女二十数人が見られる状態にしていたという。

 翌日の午前中、被害を受けた生徒の口数が少なく、元気がない様子だったため、担任が本人から聞き取り、事態が判明した。学校が彦根署に相談し、被害生徒は同月28日、同署に被害届を出した。県警は教室内にいた他の同級生からも事情を聴いている。被害生徒はいじめを受けたことはないと県警に説明しているという。



無理やり全裸、携帯で撮影…中3いじめ2人逮捕
読売新聞 - 10月02日 21:32

 滋賀県彦根市立の中学校で3年男子生徒(15)を無理やり全裸にしたなどとして、県警は2日、同じ学年の男子2人(いずれも14歳)を暴行、強要の両容疑で逮捕した。

 いずれも容疑を認めている。当時、現場にはほかに数人の生徒がいたといい、県警は悪質ないじめとみて関与を調べる。

 発表によると、2人は9月19日午後1時20~40分頃、同校の空き教室に男子生徒を連れ込み、服を脱ぐよう命じ、下着をはぎ取るなどした疑い。うち1人は全裸の生徒を携帯電話のカメラで撮影し、画像を友人約20人に見せたという。

 翌20日、担任教諭が男子生徒の様子がおかしいのに気付き、学校側が聞き取り調査で暴行を確認して県警と市教委に通報した。県警は「いじめが悪質で放置するとエスカレートする可能性がある上、証拠隠滅の恐れもあるので逮捕した」としている。




案の定、あれだけ騒がれても一向に止む気配のない全国のいじめ問題。
いい加減、「いじめ」という名称を廃止して、「犯罪」に置き換えたらどうか。
たとえば上の記事。

 無理やり全裸、携帯で撮影…中3いじめ暴行、強要容疑で2人逮捕

・・・いずれも容疑を認めている。当時、現場にはほかに数人の生徒がいたといい、県警は悪質ないじめ犯罪とみて関与を調べる。




「いじめ」という言葉が存在しなくても無問題、いやむしろ、いじめという言葉が害悪をもたらしているのではないか。
・・・という話は、以前随分と、熱く書いた気がする。
どれだけヒートアップしようとも、犯罪がこの世からなくならないように、いじめもなくならない。
なくならないからって、何も考えずにモグラ叩きだけしていればいいという問題にはならないから、大人は知恵を絞って、どうしたら子供を犯罪者にさせないか、犯罪の被害に遭わないか、考え続けなくてはならない。

いじめと犯罪は殆ど同義だから、犯罪における問題は、いじめという場面においても同じ事が起こりうる。

たとえば、「教育現場に安易に警察を介入させるべきではない。あくまでも教育的指導で解決すべき。罰を与えてもいじめはなくならない。」・・・的な主張が、そろそろ似非教育評論家あたりから出てきても良い頃である。

これ、犯罪における死刑論でも使い古された議論と似ていて、「死刑という刑罰が犯罪の抑止力にならない」ことの証拠として、各国のデータを持ち出して来る。
「警察に言いつけて逮捕してもらっても、いじめはなくならない」ってのと同じだ。

何度でも言いたい。

抑止効果を狙って、罰を与えるのではない。

「犯罪」という名の、あるいは「いじめ」という名の、取り返しの付かない重大な権利侵害に対し、社会が制裁を加えるというのは、成熟した社会システムに於いては当然のことである。
社会が制裁を加えなかった時に生じるもたらされる害悪について、人類は過去に充分過ぎるほど学んでいるのだから、その結果、人間が考え得る最善のシステムとして、「刑罰」という仕組みが選択されているに過ぎない。

「悪いことをしたら、罰を与えられる」

これは、犯罪をなくすため、いじめをなくすための理屈ではない。

そのような認識を国民に叩き込むことで、どれだけ潜在的な犯罪が実現に至らないでいられるのだろう。その数は、計り知れない。
そのような正義が存在すると、国民が信頼しているからこそ、被害者は私的制裁をしないでいられるのだ。そうでなければ、全てのいじめられた子を持つ親は、いじめ加害者宅に殴り込みをかけに行かなくてはならない(実際にそのような事件は起きている)。

当たり前の事を、当たり前のように教える教師がいないから、警察がそれを「身体で」教え込まなきゃならなくなる。

この記事で唯一の救いは、担任が自らの判断で、県警に通報したというくだりだ。自分達の力の限界を感じたら、より強い権力に委ねるという判断はなかなかできないものである。
大抵が、力がないことを認めず抱え込んだり、ごまかしたり、隠蔽する。
それは全て「保身」である。

生徒のこと・・・加害者も含めてである・・・を第一に考えるのではなく、保身、つまり、自分の身のことしか考えない学校関係者がどれだけ多いことか。
清瀬市で複数の生徒から悪質ないじめを受けたと、続々と警察に訴えられた、どこぞの清瀬市の私立中学校がその典型である。
被害者は、犯罪に等しいいじめを受けたことよりもむしろ、教育者を名乗る学校の先生が、生徒のことを一顧だにせず、学校の面子や自分達の身分しか考えないその態度に絶望するのではないか。

とにかく、容疑が固まり、逮捕要件が整ったら、未成年であろうが学校だろうが構わず、
どんどん逮捕すべし、である。

そこにくどくど理屈っぽい理由なんかいらない。

悪いことをしたら捕まるんだ。それだけのこと。



*ニュース検索したら、1年前にも滋賀県で殆ど同じ事件があったことを知った。これよりもっと悪質だった。勿論逮捕されている。大津事件といい、滋賀県は一体どうなってるんだ。「また滋賀県か・・・」が合言葉になっている。滋賀県は、初等教育から家庭教育に至るまで、どこかの過程に大きな問題があるのかもしれない。県民性などとレッテルを貼られる前に、どうにかしないとまずいんじゃないか。