新学期になり、材料が出そろってきたので、
風化させない為にもそろそろ、例の問題を取り上げよう。

以前ここでも言及した、清瀬市の私立中学校における、いじめ事件について、
二週連続で「週刊朝日」が大きく取り上げている。

この学校の対応が腐りきっていることの証拠として、
二人目のいじめ被害者・・・この学校には、
いじめではなく既に犯罪の領域に達していた被害者が、二名もいたのである・・・
が、学校から、
「高校に進級させる条件として、警察などに相談しないこと」
という念書を渡されたということが書かれていた。

私立学校においては、入学させることは一種の「契約」なので、
例えば入学時において、親との間で「誓約書」が交わされることは普通にある。

また入学後においても、例えば進級させる条件として、問題ある生徒に対しては
「学校の校則を守り、学業に専念すること」「問題を起こさないこと」
などといった趣旨の誓約書を交わすことはあるかもしれない。
というより、それは学校の自由だ。

しかし、法的に許されるということと、道義的に許されるかということは、別問題である。

「進級の条件として、警察に相談しないこと」

仮にこれを、いじめの被害者に対し誓約させるとすれば、
その前にその「いじめの問題を警察の手を借りなくても学校が完璧に解決しました」
・・・という実績が存在することが絶対条件である。

そうでなければ、道義的に最も許されるべきではない卑劣な、
「隠蔽行為」を超えた「脅迫行為」になってしまう。

いじめ問題に関しては、実は私立学校の方が「腐っている」のかもしれない。



先月号の「WILL」と、今月号の「正論」に、
前開星高校野球部監督で、今年定年退職するまで長年美術教師であった、
野々村直通先生によるいじめ撲滅論が展開されていた。
持論は明快。「教師は悪を憎み善を語れ」
これを実践するにはどうしたら良いのかと言えば、イジメの芽を見つけたら、
加害者が泣いて本心から反省するまで、問答無用で叩き続けたのだという。
これでイジメは即解決だったそうだ。

「相手の痛みが分かる奴はイジメなどしない。奴らは痛みが分かるどころか、本当にイジメが楽しいのだ」

「どんなに人の道を説いても無駄な奴は、もっと強い力でたたきつぶすしかない」

「美しい理屈を語り、聖者のように振る舞う評論家の皆さん、最底辺校のワルの前に一度対峙して見ろ!」



私が前回書いた、「極端な人生にこそ、真実が宿る」を地で行くような、野々村先生の「真実」ではないか。

身を挺して弱い子を守ることが教師のつとめである
 そうしてこそ、はじめて子供達が“強い教師や強い大人”を信頼し、
 懐の中に悩みを持ち込んでくるようになるのである


こんな当たり前の事を、当たり前のようにズバッと言い切ってくれる教育者が、
どこにもいない、悲惨な、日本の教育現場である。



ところで悲惨なのは、教育現場即ち学校だけではなさそうである。

清瀬市私立中学のいじめ・・・というより、肋骨骨折や顔面蹴りは、いじめではなく立派な傷害事件であり暴行事件であるが・・・は、私立中学校が1校しかない為、校名はすぐ特定できる。
別の学校だが、集団いじめを指揮したと言われる、某芸能人の娘の在籍する有名私立校だって、校名は誰もが知っている。

ところがこの校名を挙げて、ニュースや週刊誌で報道済みの事件を書いたブログや掲示板に、
いじめを擁護する者がどこからともなく湧いて来ていることを最近知った。

彼らは、2ちゃんねるのような巨大掲示板には書き込まない。返り討ちに遭うからだろう。
もっと小さな掲示板、教育ブログ、個人ブログ、そんな目立たないところで、いじめを擁護・・・正確に言えばはいじめ非難を批判し、学校を擁護しているのだが、それは結果的に事件を擁護していることと同義であることに気付いていない・・・する書き込みを、繰り返し、執拗に、書き込んでいる。


彼らの主張をじっと見ていると、彼らが怖れているものが分かる。

それは、学校名報道である。

これは、公立学校のいじめ事件にはない現象なので、はっきりと分かる。


一体、どのような人種が、細々と書き込みを繰り返しているのだろうか。
最初は、学校関係者ではないかと考えた。しかし、本当に学校関係者であれば、
もっと上手な書き方になる筈だ。あちこちに見られる書き込みは、
結果的に当該学校に対する世間の不信感をより深める内容になってしまっている。
このような場合、末端の者を使ってこそこそと擁護する書き込みをさせるより、
正面から受け止めて頭を下げるか、
それができなければじっと黙って嵐が過ぎ去るのを待つか、
選択肢はそのどちらかだと言うことは大人なら分かる筈だ。

あるいは・・・
この世の中には、被害者の数以上に、加害者がいる筈だ。
その加害者にも、親がいる筈だ。
全国のいじめ「加害者の親」は、今、どのような気持ちで過ごしているのだろう?
世間の批判を受ける一方で、自分にも言い分があるだろうに、
はけ口を探してはいないだろうか?

・・・とも思ったのだが、やはりそれも違う。
殆どの親は、自分の子供が学校でいじめ加害者に回っていることを、知らないからである。
私のささやかな経験から、そう断言出来る。まぁ、だからこそ、いじめ問題が根深くなってしまっているのだが・・・


多分それは、自分がいじめられた経験もなく、
子供がいじめ問題に関わったことも今後関わることも絶対にないと信じている、
世の中の現象や人の痛みに対して鈍感な、自分には良識があると思い込んでいる、
中途半端な人生を生きているごく普通の「親」なのではないだろうか。
そんな「人のことはどうでもいい」、利己主義の塊のような有象無象の親たちが、
実はマジョリティを形成しているのではないか。
巨大掲示板等で人のことなのに真剣に怒っているネット住人は、
実は少数派なのではないか・・・

それは、いつか大津市の事件が風化した時に、答えが出るだろう。


学校名実名問題については、簡単だ。


加害生徒の個人名はダメだ。それは、まだ心身未熟な青年である以上、
その未熟さに相応する内容の悪行の範囲内である限り、実名を出すべきではない。


では、学校名はどうなのか。



ある遊園地で、遊具が壊れて児童が大怪我をした。
風評被害があるからと、遊園地名を伏せるだろうか?
伏せたら意味がないだろう。暴動ものだ。
遊園地の運営者は、管理責任を問われることを甘受すべき立場にある。
公表し、謝罪し、今後同種事件が起きないよう、対策を徹底するのが普通だ。

企業も同じである。
それは、その企業が、見えない大勢の「消費者」や「クライアント」を相手にしているからである。
危機管理、リスク対策である。
不祥事が起きた時こそ、企業は、その対処如何で「災い転じて福となす」ウルトラCを発揮しうる。

私立学校も同じではないのか?


大人が過ちを潔く認め、潔く頭を下げ、
全力で問題に取り組む姿を見せなくて、何が学校ですか。
隠蔽工作に腐心するような学校に、
誰が我が子を、通わせたいと思うというのだろう?




そして、企業と同様、
学校も、トップの姿勢で決まるものだ。


清瀬市の私立中学では、3年間見て見ぬ振りをする先生もいたが、
「問題をこのまま放置するのは嫌だ」という先生もいたという。
そんな声も、トップ次第で、簡単に消すことができる。


今の日本の教育界に必要なのは、
各学校にたった一人でいいから、トップに「真の教育者」を据えることだろう。


野々村先生、どこの学校でもいいから、校長先生になって下さい。