923日、都内某所にてa-haビデオコンサートが開催された。会場に集った30名の当選者はおそらくデビュー当時の80年代からa-haのファンを続けている僕と同年代だと思われる。14:00ほぼ定刻に現a-ha担当ディレクター氏が、ゲストとして来場した当時のa-ha担当ディレクター氏と広報担当女史を紹介し、いよいよビデオコンサートがスタート。




イベント名こそビデオコンサートなのだけれど、映像はLive映像ではなく85年のプロモ初来日時の映像。大阪・京都訪問時の貼りつきレポートに近いもので、当時のディレクター氏曰く「日本の歴史的な名所旧跡である京都観光するよ」とメンバーを半ば騙して連れていったとのこと。なるほど、MortenMagnePaulいずれもカメラ片手にあちこちを撮影している画が多く(3人ともカメラが大好きだそうで、来日するとよく○○カメラに物色に出かけるらしい)、プロモの一環として撮影されているという認識はない様子。素の3人が見られる非常に貴重な映像と言っていい。




カジュアルな佇まいのPaulMagneと比較して、黒のジャケットを羽織ったMortenはビシっと決まっているのだけれど、80年代ということでバリバリの肩パッド入りであるのが時代を感じさせてくれて懐かしい。音楽もファッションもすべてのものがナチュラルという言葉からは程遠い過剰さが80年代だったのだ。そしてその過剰さの中で成功してしまったことが、本来ナチュラルである3人を苦しめていくことになるとは、若き日のこの映像から窺い知ることは難しい。



たくさんの貴重な映像の中で、まさに鳥肌が立つほど感動したのが新幹線での移動シーン。

Paulがギターを取り出し“Hunting high and low”のフレーズをつま弾き始めると、通路を挟んで反対列に座っていたMortenが、あのファルセットで短いアコースティックライブを披露。ああ、今も昔も変わらずMortenは世界屈指のVocalistである。Vocalistとは歌の上手さだけでなく、声質、メロディの表現の仕方、間の使い方、表情、佇まいなどのトータルで評価されるものであって、「Mortenよりも良いVocalistは山ほどいる」などという的外れな反論は積極的に無視することにする。

Mortenは素晴らしい。


後半戦は映像ではなく、参加者が持参したa-haお宝自慢コーナー。みなさんa-haに対して並々ならぬ思い入れがあるのだなと感じられるコーナーではあったけれど、どことなく昔のアイドル的扱いのように感じてしまい、個人的にはちょっと複雑な心境であった。僕はノルウェー企業の日本法人で働いているため、本国ノルウェーの人たちとa-haのことを話す機会が割と良くあるのだけれど、彼らにはa-haをアイドル的に扱う空気が皆無(a-haが好きか嫌いかは置いておき、ノルウェーの音楽史を変えた英雄という空気感が多いだろうか)のように感じるので、やはり日本のa-haを取り巻く環境は他国(特にヨーロッパ)とは違うのだろう。次回こうしたイベントがあれば、ぜひa-haの音楽性や功績をアーティスティックな側面から語る場があると良いような気がする。



最後はかつてa-haがギャッツビーのCM出演時に作成されたというメイキング映像を見てビデオコンサートは無事お開きとあいなった。今回初めて見る映像などを通して改めて思ったことは、彼らの美しい音楽は彼らの人柄によるところが大きいのだなということ。あの優しいメロディも、あの憂いを含んだ旋律も、あの印象的なフレーズも、彼らの音楽の中に絶えず流れているあの透明な空気感も、常に前を向くポジティビティも、すべてはノルウェーの大地で生まれ、育った彼ら3人の人間性/プライドを色濃く反映したものなのだと思う。ノルウェーの大地に降り立ち、ノルウェーの人々と様々な交流をした後だけに、なおさら感慨ひとしおである。




やはり、a-haは世界最高のアーティストであることを改めて実感した。



企画して頂いたディレクターさん、面白い裏話をして頂いたゲストのお二人、そして参加者の皆さん、楽しいイベントをありがとうございました。




公家尊裕(Takahiro Kouke