アメリカには東西に関わらず出張で頻繁に行くのだけれど国土の広さのせいだろうか住んでいる人種の違いからだろうか同じく国とは思えないくらいに違いを感じる。僕の会社はカリフォルニア州でも南側にある。完璧にビジネス専用のソフトウェアを開発販売しているから本来コンシューマ色は極めて薄い会社なのであるけれど、本社(ここだけで1000人近くいるハズなのだけれど)を訪問してもスーツ姿の人を見たことがない。偉い人まで含めてほとんどがTシャツにジーンズ姿だったりする。もっともCEO(一番偉い人)でさえ来日するときまでスーツを持っておらず成田に到着してから顧客訪問時にはスーツが一般的だと言われて慌ててスーツを買いに行くという会社なのだから、それ以外の社員は何をかいわんやである。


僕は毎度ジャケットを着て本社の会議に臨むのだけれど、日本ではビジネスカジュアルと呼ばれるスタイルでも完璧に浮いてしまうのが悩みの種である。シアトル本社の会社(こちらもNasdaq上場企業)で働いていた時にも同じような環境だったから、西海岸の雰囲気とはそういうものなのだろう。


それに引き換えニューヨークはスーツ姿の人が多い。金融の中心ということもあるだろうし気候の違いもあるだろうけれど、少なくともファッションという点での雰囲気としてはドカジュアルの西海岸と紳士が闊歩するロンドンの中間という趣で、いろいろな意味で人種やら文化やらの幅広さが感じられて非常に楽しい。


そこでニューヨーク出身のInterpol(インターポール)の3rdアルバム「Our love to admire」である。海外でのチャートアクションもすこぶる良く、今回の出張で訪れたCDショップでも大プッシュされていたし(数多くの試聴器にセットされていた)多くの人が熱心に聴いていた。しかも他の試聴器と違ってスーツ姿の人が目立っていたように感じたのだけど、それはInterpolの普段着がスーツやジャケット姿だから感じる親近感なのかもしれないし、彼らの作り出すサウンドが醸し出すインテリジェントな雰囲気をそういった層の人たちが好むからなのかもしれないし、いずれにして試聴器という限定された環境でも異質の空間を作り出していて面白かった。




Interpolのサウンドを形容するときによく使われているのか“漆黒”、“冷たい”、“無機質”、“ストイック”というような単語なのだけれど、これは非常に誤解を招く表現であるように感じる。僕がInterpolを初めて聴いたときに感じたのは同じニューヨーク出身の大先輩Tom Verlaine(正確にはニュージャージー出身だと記憶しているけれど)率いるTelevisionの傑作デビューアルバム「Marquee Moon」と同質の肌触りだった。同質の肌触りというのは“空間や間まであるべきものとしてサウンドの中に配置されている”ような音作りであったり、一聴して感じる体温の低さや無機質ぶりも然り、それ以上にアルバムを聴き込んでいったときに感じるバンドやアルバム全体としての“肉感的なフィーリング”である。


つまりInterpolの鳴らすサウンドというのも一聴すれば冷たく無機質でストイックなサウンドながらも、全体として非常に肉感的な有機物としての生命力を感じさせるところにあるのではないか。


たぶん冷たく無機質でストイックなサウンドをコピーすることは容易だしそうした音を発するバンドは数多いのではないかと思う。そうした多くのバンドとInterpolが一線を画しているのは最終的にそれを肉体として有機物として全体を鳴らすということではないかと思う。


聴けば聴くほど違う姿に変わっていくサウンドと一読しただけではこれもハッキリと意味を読み取ることの難しい詞的な表現のリリックは、何か人とは違う奥深い特別なものを聴いているのだと感じたいスーツ族を魅了して止まないのだろう。


Interpolを聴きながら官能のギターと歌声と間(ま)が支配する世界へと溺れていく、精神と肉体でサウンドの髄まで感じ入る、そういう聴き方こそInterpolには相応しいように感じる。


公家尊裕Takahiro Kouke