Three cheers for sweet revenge」から始まった快進撃は「The Black Parade」で人気、セールスともに最高潮を迎えたように見えるMy Chemical Romance(マイケミ)。主人公ペイシェントが死に向かい行く様を黒いパレードに見立てて祝福するという壮大なコンセプトや冒頭の楽曲が“The end”と“Dead!”であることから非常に“死”を意識させるアルバムになっている。既に多くの媒体で語りつくされているところでもあるのでアルバムコンセプトに関してこれ以上触れるのはやめたいのだけれど、改めてマイケミの作品を聴きなおし歌詞を読み返してみたときに感じるものを考えてみたい。


派手なパフォーマンスといい黒装束に白塗りという出で立ちといいアルバムで頻出する“死”ということばといい、そしてそれらが素晴らしいメロディに乗せてリスナーに届いた時のインパクトの強さといい、バッシングされるのにこれ以上の存在はないほど完璧なバンドであった。とりわけ“死”を連想させるようなことばを使った瞬間に体制側の人間が過剰反応する事実は、過去の歴史をさかのぼってみてもオジー・オズボーンしかりマリリン・マンソンしかりルックスが異形であればあるほどその度合いを強くする。バッシングするにはまず見た目が違うこと=別の世界の人間(あるいは化け物)がこちら側の世界(体制側)に対して悪さをしているというイメージ戦略をするために手っ取り早いのだろう。


一昔前にブルース・スプリングスティーンの“Born in the USA”が間違った解釈と間違った使われ方としたことがあったけれど、今回のマイケミに対するイチャモンも同様である。勝ち負けのハッキリした社会環境の中で、“勝ち組/既得権益者”に属する人間がこうした間違いを犯すのは前回も今回も同じところに根があるように感じる。


マイケミの音楽から感じるものとは、圧倒的なまでの“生への執着”であり“死”などでは断じてない。“The end”で歌われる“僕を助けてくれ”という叫びも、“Famous last word”での“生きながらえることに恐怖など感じない”という強がりも、“I’m not ok”での“大丈夫なんかじゃない”という開き直りも、死を選択することを推奨するものなんかでは絶対にないし、弱者を笑いものにして諦めろというメッセージを送るようなものでもない。


同じ弱者の側に属するものとしてのGerald Wayが心から送るメッセージであり、それは自らの経験を通してもっとも心に響くやり方だったのであり、「頑張れ」という大人や勝ち組のことばがいかに無責任で横暴で相手のことを考えようとしていない残酷なことばなのかということをもっともわかった人間が誠意をもって作り上げたコミュニケーションの手段である。


人間はコミュニケーションの取れない相手と相対したときに本能的に恐怖を感じる。だからそれを潰そうとするのだろう。


マイケミをサポートするときに必要なことは彼らをサポートしたり擁護することではない。

彼らがメッセージを送ってくれた対称である僕が君がみんながポジティブに、目の前にあることに全力を尽くすことであり、強い意志をもって生き続けることである。


公家尊裕Takahiro Kouke