ネコ13+人2=ちまんちの幸福
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だいず虹の橋を渡りました

我が家のだいず先生が、9月3日に18歳で虹の橋を渡りました。

最期までだいずらしく過ごすことができたと思います。

 

 

 

亡くなる日の朝の写真。 やっぱり辛そうだね…

ごめんねだいず。ママのせいだね。辛い思いさせてごめんね。

 

 

亡くなる数時間前の写真。意識もはっきりしていて おむつはしていたけど

自分でうろうろ 家中を散策していました。

 

もう最後だって分かってたのかな…家中にある猫ベットに全部寝ていって

自分の匂いを付けてたのかもしれない。

「ここは僕のうちだよ」って言ってたのかもしれない。

 

甘えん坊で可愛い子。私の息子。ずっとずっと一緒に居ようね。

また会える日まで すこしだけゆっくりしていてね。

 

 

だいず 大好きだよ、愛してるよ。ママのところに来てくれてありがとう。

おこめさんのこと

 

おこめさん...。
2020年4月25日に保護しました。

だいずの予防接種で病院に行った時に
「車に轢かれた子猫保護して」と
おじさんが病院に入ってきた。

大変だ...と思ってちょっと心配していたら急に大きな声でおじさんが
「オレは金なんか払わない!轢かれた子猫が居るから病院に連れて行けって言われただけだ!
オレが引き取るつもりもない!今すぐ何とかしてくれ!」...と

(꒪ꇴ꒪ (꒪ꇴ꒪ (꒪ꇴ꒪ ;)エエエッ?なにこれ?

と、成り行きを見守っていたんですが
相変わらず受付で押し問答。
猫ちゃんを見たら右手がズルズルで骨が見えてて...

早く治療を...と思いましたが
病院では飼い主の居ない子はみない。と...。

「あの...あの子どうするんですか?」と看護婦さんに聞いたら
「このままだと保健所に...」と。

怪我した猫は即日処分。
期日まで治療しない。と聞いた事がある。

放って置けず...

「あの...。うちのカルテで見て下さい」
と.........。

写真は保護翌日の写真。まだしゃーしゃー言ってた頃。
本当に痛かったと思う(´;ω;`)
おこめさん、この後入院して右手を切除しました。

その辺りのお話は、また今度...✨

 

あーちゃん

あーちゃん、昨日6月1日 午後9時50分ごろ

虹の橋を渡りました。

 

写真は 在りし日の元気なころのあーちゃん

 

去年10月ごろから 体調を崩し ごはんが食べにくくなっていたのですが

風邪の症状などもあり、風邪薬などを処方してもらい 様子見していました。

 

しかし、先のブログで伝えたように 肺炎のような症状が出始め

病院では「鼻が原因では・・・」とのことで 手術をしようと思っていたのですが

タイミングが合わず、あーちゃんの喉の炎症、食道の炎症を先に抑えてから…と

いう方を選択しました。

 

しかし、お薬を飲ませても一向に良くならず…

返って、鼻汁、喉汁?がひどくなっていき…

 

今年、4月には一時、あーちゃん危篤状態になりました。

しかし、そこから奇跡の復活を果たし 少しずつ、ごはんも食べる量が増えて

来ていたのですが、それでも決定打はなくて…

 

5月になって、おこめの膀胱炎で初めてお世話になった

新しい病院に連れていくことに。

 

すると、そこで処方してもらったお薬がとてもあーちゃんに合って

びっくりするほど改善してきていた矢先…でした。

 

私が悪いんです。誤嚥させてしまいました。

あーちゃんが吐きそうになっていたのに、あーちゃんの姿勢を横においてあげる

のが遅くなってしまい、その間に誤嚥してしまったんです…。

 

誤嚥して、その日の夜に亡くなりました。

とても苦しかった、痛かったようです。私のせいです。

 

 

それでも…そんな状態でも 意識朦朧とする中 私に向かって「ママ大好きだよ」って

言ってくれたの。あーちゃん。ちゃんと聞こえました。

 

うちに居る ほかの子達のことも「大好き。みんな仲間だよ」って言ってたのが

聞こえました。

 

悲しすぎて頭おかしくなったのかもですが、それでもいいです。

あーちゃんの思いが伝わったと信じています。

 

お葬式は明日…

また落ち着いたら しっかり色々書いていきます。

ご無沙汰のあげく、こんな報告でごめんなさい。

離婚した経緯-2

手に職もない、ぼんやり生きてきた40歳 女。

無事に離婚したはいいけど、さて、どうやって稼ごうか???

 

お金がないと 猫たちを養えない!←ここが一番重要!!

 

考えたのは、過去にしたことがある職種での仕事探し。

結婚している間も仕事はしていたけど、フルタイムでの仕事ではなく

パートタイム汗

 

これから私が探そうとしているのは フルタイムでのお仕事…

 

フルタイムで働いていたのはもう10年以上前。

タイムラグがあるし、年齢も年齢… 雇ってくれるところ…

なかなかありませんでしたえーん

 

仕事が無いと収入が全くないので 選んでも居られず

派遣に登録して、派遣会社からの紹介で行った会社が…これまたろくなところではなくゲッソリ

登録詐欺というの?とにかく派遣社員を短期的に雇って、その給付金をもらうという手口の会社でした。

※かなり名前の知れた大手通販会社です。悪質!!!!!!!!

 

もちろん私も短期で切られ、1か月でお仕事終了えーん

次の仕事探そう…と思ったけど、どこも条件が合わない…ダウン

(年齢制限は法律で募集要項に書いてないけど、面接に行くと年齢を理由に断られる)

↑もちろんその後すぐにハロワで上記の理由をお伝えします。違反ですよね?って。

 

でも仕事は決まらない。良いところもない…

もう・・・どうしたら・・・ゲッソリ

 

となっていた時に目にした 職業訓練校 の文字。

年齢制限はなく、手に職を目指し、勉強をしながら給付金ももらえるという…びっくりアップ

これだー!手に職だー!!!

 

と。以前から興味があったけど 自分には無理だとあきらめていた

建築の道に進むことに。学校は受験をしないといけないところで

ハードルが高い学校だということで、訓練校受験に向けて丸3か月 本気で高校の勉強しました。

あんなに勉強したの…人生で2回目くらいかもwww

そのくらい、勉強しました。1日17時間以上やってたと思う。ノートも何冊も真っ黒になるまで

勉強しました。(主に数学…弱くてねww)

 

そして受験と面接。

発表は1か月後…。 本当に受験生の気持ちと一緒でした。

発表の瞬間はネットで見ましたが、心臓が口から飛び出るかと思うほど(* ´艸`)緊張していました。

 

結果は 合格 ビックリマークビックリマーク

本当に嬉しかったです。泣きましたw それまでの仕事がない状態の不安なんて忘れて

必死に打ち込んだ勉強。本当に勉強してよかった!!と、心から思いました(笑)

 

学校に通った時間は半年間だけでしたが、本当に内容の濃い半年間でした。

建築の「け」の字もしらない私たちに、先生が一から教えてくださって・・・!

そして卒業生のほぼ100%が建築の道に進みました。

あれから7年。今でも学校の仲間は建築の道で頑張っている人たちばかりです。

そして今でも仲間です爆  笑かけがえのない時間と仲間を得ることができた素晴らしい時間でした。

 

 

そんなこんなで…

現在の私の仕事は建築関係のお仕事についています。いまでも楽しく仕事ができるのは

良い仲間といい先生に会えたからと思っています( *´艸`)

本当に離婚してよかったw ←ここに戻っちゃうw これに尽きる。

 

離婚して裸一貫、やり直す。 そんな気持ちでした。

そして本当にそうしました。

 

大変だったけど、今思えば あの仕事がない状況があってよかった。

あんなに仕事が決まらないのは、人生で初めてのことでした。

もう生きていくの無理じゃないの?とか本気で思いましたが 猫がいるから踏みとどまれた。

猫は私にとって、本当に生きていくすべての目標。宝物なんだと実感しました。

 

また、その学校では のちに私の伴侶となる男性とも出会うことができました爆  笑

彼もまた、建築系のお仕事を頑張っています。キラキラ

 

 

という訳で、今の私は 新しいパートナーを得て 猫たちにも囲まれ

前進している人生の途中あしあと そんなところです。

 

仕事も生活も、なんとかうまく行き始めた・・・

そんな時、連絡が入ります。元夫から。(猫のことだけは連絡取るという約束でラインだけ開けてました)

 

「俺、ガンになってしまってん。どうもあかんらしいわ。

 俺死んだら、猫のこと頼める?」

 

と。。。

 

えええええええええええええええええええええええええええ!?ガン!?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・思うところは色々ありました。

気持ちはもう全くないけど、情はある。10年も一緒に居た人だし。

余命宣告もされたというし、会いに来て欲しいと言ってる…どうする?

 

 

結果は私は元夫が生きている間に逢いに行きませんでした。

それがけじめだと思ったから。

私の性格では引き摺られるのは分かってるから、会いに行きませんでした。

もう私の人生と彼の人生は別々なのだから…。

 

でも猫だけは別。ちゃんと面倒を見ると約束しました。

そして約束通り、彼が亡くなった日に猫たちを引き取りに 前の家に行きました。

 

亡くなった元夫の顔を見たら いろいろな思いはあったけど

出てきた言葉は「頑張ったね。偉かったなぁ。お疲れ様」でした。

 

離婚しているのに、亡くなったことを伝えてくれた元夫の弟には

本当に感謝しています。最期の看取りも世話も全部してくれたらしい。

良い弟もってよかったね。と伝えたい。

 

…と。まぁ色々ありました。

 

という訳で、今、我が家の猫たちは

 

・だいず

・寧々

・ちゃい

・ごま美

・あずき

・おこめ

 

となっております。

 

長々、私の話に付き合ってもらって ありがとうございました<(_ _)>

次回からは本題の猫の話題に戻りますっ!! よろしくお願いします。

離婚した経緯

ねこの記事と違うので、興味ない方もいらっしゃると思います💦

そういう方は飛ばしてくださいごめんねえーん

 

 

前の旦那さんと離婚した経緯について 書いておきたいと思います。

結果としては円満(?)に離婚しております。お話合いでの離婚です。

 

結婚当初から、いろいろと価値観の相違というか…育ってきた環境が違い過ぎて

お互いに理解できず、歩み寄れず、心無い言葉で傷つけあったのが根本だと思います。

 

元々、元旦那さん(仮にC氏と呼びます)は 男尊女卑というか…

女性を見下す面が強くあったように思いますが、結婚してからはどんどん顕著になっていきました。

自分の支配下に置きたい。というよりも、たぶん、所有物のような感覚なのかもしれません。

 

でも、C氏のお家ではみんなそうなので C氏からすれば

育ってきた環境でみんなそうしてるから

自分も同じようにしただけ。

 

なんだと思います。

 

結婚当初、働いて欲しくないと言われていて

家のことをするように言われていたのですが、月に10万円の生活費を渡され

その中でやりくりするように言われました。

 

住む場所はC氏の実家なので、特に10万円でも問題はありませんでした。

贅沢などしないし、なんなら貯金もしていたのですが…

 

あるとき、毎月のお金から貯蓄してる。という話をしたところ

(リフォームしたいと言っていたので、その足しになればと思って貯めてると伝えた)

 

「今、いくらあるねん!!!だせや!!!!!その金!!!!!!!

 俺の金や!!!!!返せ!!!!!!!!!!!」

 

と。突然の激昂・・・(;・∀・)

 

ちょっと落ちついて話そう。私が勝手に使うために

残してるわけじゃない。二人の将来のお金でしょ?と言うも聞かず

暴れだして…

 

結局、力づくで通帳と印鑑を持っていかれ、勝手に解約されました。

その中に入っていたお金はどこに行ったか分かりません。

(そんなに大きな金額ではなかったけど、30万円くらいは溜まってたと思います)

 

この事件以降、毎月のお金が10万円から6万円に格下げされました。

それまでも、実は、猫のご飯とかおもちゃ、ハウスなどは 私が仕事をしていた

時代に貯めた貯金から切り崩して買っていました。

 

でも、6万円に格下げされて、貯金をするなと言われ(見えないお金があるのが怖いのかと思って

見えるところに通帳を置いておくから、貯金したいと伝えたのですが

それもNGとされました。)

お昼に近所のお友達から誘われてお昼に行くことも禁止され(俺の金だから)

ここにずっとこうしてたら、気が狂うわ。と…。

 

ケンカ覚悟で仕事をしたい。と伝えて働くことに。

案の定

 

「妻が働くなんて、俺が無能の証やんけ!!!ケンカうっとんのか!」

 

と怒鳴られましたが、こっちもブチギレまして

結局、半ば強引に仕事を勝手に決めてきました。

 

外にでたら少しは気が晴れました。

気持ちの切り替えができるだけで、だいぶ、楽になりました。

 

でもそのあと、結局、私の収入をアテにしてリフォームの話を

推し進め、家の全面リフォームを行いました。

 

お金が無いから無理だと言っても

「俺がなんとかする」 の一点張り。今いくら持ってるのか?と聞いても

「うるさいっ!黙っとれ!!」と・・・。

 

 

そしてバカ高い金利の場所でしか、結局ローンが組めず(年齢と土地の価値が殆ど無かったため)

15年ローンを組むことになりました。

 

支払いが始まって3か月したころ

「仕事辞めたい」と…。

 

前々から、職場の文句が凄くて ストレスがたまっているのは

見ていても分かりました。

確かに、今の職場より良いところがあるなら 転職もありかな?と。

年齢的にも、次の転職が最後くらいにしないと、この後が厳しくなるし、転職したいなら

今かもしれないな。。。ということで私もOKしました。

 

ただし、次の仕事決めてから今の仕事辞めてね。と伝えたところ

「そんな不義理はできない!」と…

 

意味が分からないんです。本当に。

次の仕事決まらなかったら、ローンとか支払い(C氏の車改造のローンがあることがリフォーム時に発覚)が

あるから無職でOKなのは3か月が限度。と伝えたところ

 

「バイトでもなんでもしながら探すがな!!!!文句いうな!!!!!!!」

 

と。

 

蓋を開けてみたら 結局、その後1年無職。

そのあと、仕事決まるも3か月で辞めて次の仕事へ… そしてそこに入ったとたんに

体の調子が悪い。と…。 短期ですが入退院を繰り返すようになりました。

 

それでも仕事場はありがたいことに、クビになることもなく

続けさせてもらっていたのですが、体の治療で1か月長期で入院して

しっかり治す方がいい。と言われてしまい、仕方ないので休職させてもらい入院することに…

 

C氏の体調不良は ごはんが食べられないことによる体調不良でした。

10代の頃に上顎のガンになって、たくさん放射線をあてて治療したのが原因で

20代後半になってから、口が空きにくくなったんです。

 

そのリハビリをしよう。と言ったのですが 本人がやる気なく…

ずっとダラダラと30代後半まで来てしまいました。

そのあおりがついに40歳手前で出てきて、誤嚥をするようになったんです。

 

ご飯がのどを通らず、気管に入ってしまい、肺を傷つけて肺炎を起こす。

そのことが原因で体調不良を起こしていました。

 

ある日、肺の動脈までカテーテルを通して検査するということで

朝から処置をして検査に向かいました。昼前に戻ってきたときに

とても機嫌が悪い顔をしていたので、なんかあったな…と。

 

看護婦さんから「処置ができなくて(動脈の手前の血管が細くて)相当痛い思いされてしまったんです💦」と

聞いて「そうでしたか、ありがとうございます(;´Д`)」と伝えたら

 

「ありがとうじゃねえんだよ!!!!!!!!こっちは痛いっつってんのに

 辞めやしねぇ!!!!!!!!あのヤブ医者が~~~~~~~~!」

 

と大騒ぎ。場が凍ってしまったので笑い話に転換しようと、私が笑いながら

「そうか、それは痛かったら辛いよね!でも先生が悪いわけじゃないし

 処置できなかったのは仕方ないよね。また次の方法考えよう~?」と声を掛けたら

 

「お前は黙っとけや!!お前に何がわかるねん!!!!!!!」

と、ゴミ箱を頭に投げつけられ…

 

ゴミ箱が頭にぽこんと当たった時に なにかが切れた音がw

あれ、本当に音するんですね。ぷつん。ってwww

 

ああ…もうダメだなぁ…  って。そう思いました。

 

ここに書いたのはもちろん、一部抜粋です。まだまだまだまだ…

こう思うに至ったことは沢山ありました。

 

でも、あれがきっかけでした。

 

 

そして1か月入院で 家にC氏が居ないことで 私の頭が正しい判断を

出せるようになっていたことが一番大きな前進だったと思います。

 

C氏が入院してくれた1か月。実は本当に心が楽でした。

ゆっくり眠ることができたし、朝起きてから夜寝るまで 心が乱されないで

1日過ごせる日があるということが、本当にありがたくて幸せでした。

 

それでも 離婚しようとは思っていなかったんです。

あの時まで。

 

ゴミ箱ぽこんまでwww

 

 

そのあと、離婚の話をして 最終的には義理の弟(C氏の弟)が手助けしてくれて

私と離婚してくれました。

 

 

離婚にあたって、子供たちは半々で。私にべったり子は私が連れていくことに。

本当は私にべったりだけど、C氏についてる子と仲良しだから…と言う理由で

連れていけなかった子も居ます。

 

ううん。全員連れて行きたかった。みんな一緒にさせてあげたかった。

人間の勝手で、猫たちにも寂しい思いをさせてしまいました。

 

 

今でもC氏に言われたことで、私が忘れられないことがあります。

 

「仕事しなくなったのは、お前がなんとかしたからや。

 あのとき、泣きながら’お願い、働いて’とでも言えば、俺は働いた。

 でもあの時、おまえは笑顔で’私が何とかするから安心して’と言った。

 そしてほんとに何とかしてきた。

 

 そのことで、俺は自分の存在意義が分からなくなった。

 俺よりお前の方が凄い。稼ぎもお前の方が多かった。

 お前を女として見ることができなくなったのは、そのころからだ」

 

 

と言われました。

 

辛いことがあって 仕事辞めたくて…そんな気持ちは私も分かるし。

夫婦なんだから、どちらかがしんどい時は 支えてあげなきゃ!と思ったのですが

それがダメだった。と。(笑)

 

本心は不安で不安で仕方なかったのに…

毎月、支払いできるかどうか 本当に不安で…

C氏に黙って 母からお金を借りてどうにかしたこともあったのに…

 

 

今となっては全部、昔のこと。終わったことなので

もう、恨みっこなし。ですが、あの頃の私…抱きしめてあげたい。

「よくやったねー!!!すごいよ!偉いよ!!よっ!女は強いね!」って笑顔で

背中バンバン叩いて、一緒に飲み明かしたいw

 

 

まぁ。そんなことがあって 女40歳。離婚しました。 
手に職らしい職もなく、資格も団体資格程度しかもっていな私のサバイバルが

始まったわけですが…

 

すっごくサバイバルというには、幸せがあふれる時間でしたwwww

離婚できてよかった!嬉しい!私は自由だ!私の好きに時間も、食事も、お金も使える!

なんてステキなのっ!!!!!!!!!

 

という時間でしかなかったww

 

 

まぁ。そんなこんなで離婚して 猫と暮らす独身おばさんとなりました。

 

 

長々読んでくださってありがとうございます。

実は、まだちょっと続きます💦すみません💦

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