今年を振り返ってみると、
梅雨にバテ、夏バテをこじらせて、
半年位、体がバテバテのまま、回復しませんでした。
もうダメかもしれない・・・・
もう体がもたない・・・・
横になりたい・・・・・
というようなことばかり、思っていました。
持病も、坂道を転げ落ちるように悪化。
ひとさまに、治療をしたりする立場なのに、
ひとさまよりも、元気がない、
こんなんでいいのか!?
と、自問自答する日々。
だけど、こんなんで、やるしかありませんでした。
「元気をあげる」、「元気をもらった」、という言葉、
そして、「邪気をもらう」、「元気を吸い取られる」という言葉、
私は、こういう言葉づかいは、どうも好きではありません。
多分、「元気」は、自分もち。
あげたりもらったりするものではない。
なにかによって、励まされる気持ちになったり、不快にさせられることはあります。
だけど、元気をくれるものを求めてさまよったり、
邪気というものを忌み嫌って避けたりしても、
自分の元気タンクは、増したり減ったりしないものだと思うのです。
仕方ないから、今年は元気が少ないまま、仕事していました。
しかし考えてみると、施術するヒトは、元気ハツラツのほうがいいのだろうか?
ひるがえって、自分が施術を受ける側となったとき、ハツラツなヒトに受けたいだろうか?
「元気をもらえる」ヒトに?
どうも、自分だったらそうでもないのです。
元気のないときに、元気の有り余っているヒトと接するのは、
自分だったら、気後れしてしまうように思います。
そうよ!いいんだいいんだ、元気がないってことが、逆に誰かを励ましたり、
ほっとさせたりことだってあるかもしれない、
そして、それが、誰かの、「元気の自家発電」を起こさせるものになればいい、
と、思いながら、しのいできたこの1年のような気がします。
また、私自身の病気が悪化するにつれ、これはなにをやっても治らないということが、
よくわかってきました。
残念ながら、世の中には、このように、なにをやっても治らない病もあるんだ、と白旗を上げざるを得なくなりました。
初めて鍼灸師となったときには、
自分は、鍼灸で、いろいろな病気が治せるんじゃないか、
という根拠のない自信のようなものがあったことを記憶しています。
しかし、今は、無力感を感じています。
だって、自分自身の病気さえ改善させられないのに。
夏バテすら、どうにもできないのに。
今は、「フィジレボ」として、自分がこれならできる、と思えることをやろう、と
「体の形体を、できるだけその人ならではの美しい形に整えていくこと」、
「動きにくいことろを、動きやすくしていくこと」、
「できるかぎり、楽で快適な体の状態に戻していくこと」、
に、的を絞って、それに向けて全力で活動しています。
今年は、暑さと湿気にやられてバテました。
雨、大嫌いです。
しかし、視力のない方がおっしゃっていました。
雨の日が好きだと。
雨の日には、雨のはね返る音がきこえることによって、これまでわからなかった、さまざまなものの存在を、知ることができる。
世界が広がるのだと。
じゃあ、自分も病を通して、世界が広がっていくんだろうか?
多分、少しずつ、見えなかったいろんなものが見えていくのでしょう。
ただ、元気の自己充電で、できることは、やっていかないと。
これは、日常生活の改革でしょうね。
いま、いろいろと改革しているところです。
来年はバテませんように。