初盆セレナーデ
今日は昨年九月に亡くなった祖母の初盆なので墓参りに行ってきた。
場所は仙台から海沿いを北上すること約1時半、南三陸町(旧志津川町)というリアス式海岸沿いの半農半魚の町にある小さなお寺。そこに祖母は眠っている。
生前、後々のことも考え、仙台へお墓を移す話もあったのだが、
「誰もお参りに来なくていいから志津川のお墓に入れてちょうだい」
という遺言に従い、結局ここに納骨することになった。
本来、この辺りの集落は14日にお参りするのが習慣なのだが、各々のスケジュール調整の結果、一日遅れの墓参りとなってしまった。
が、そのおかげでいつも参拝者でごった返す急斜面の墓場は閑散としており、逆にストレスなくお参りすることができた。
ストレスなく…、
実はここが肝心で、ストレスは何も混雑だけではなく、もう一つ我が一族は大きなストレス(というかアキレス腱)を抱えていた。それは現当主の叔父ヒロアキ が仏も恐れぬワンパク者であることである。。
なにせヤツは祖母が亡くなった時、まだ火葬前の棺に入った祖母の遺体に向かって、
「ねぇ母さん、遺影ってこれでいい(゜Д゜)?」
と、真顔でお尋ねするくらいの核弾頭ミサイルなので、辺りにいる人が少ないにこしたことはない。。
この日もヒロアキは京都から帰省中のいとこの子供(つまり孫)を従え、ワンパクに急斜面の参道を登ってゆく。
お墓に着くとかなり適当に新しい塔婆をさしたり、お墓を洗ったりした後、孫たちの向かって、
「さぁ爺っちとナンマイダーするぞぉ~♪」
と宣言すると、
「ナンマイダーナンマイダー…(-人-)」
(↑本当に三回こう唱えた)
もちろん孫達もならって、
「なんまいだーなんまいだー…(-人-)」
と復唱。。。
また、一族のお墓はほとんどここのお寺にあり、特に縁のある家のお墓も互いにお参りするのが慣しになっているので他家のお墓もお参りしていると、
「お!栄一65歳で死んでんじゃんwやったオレ勝った!」
と意味不明の勝利宣言をあげてみたり等、(あぁ…今日来てよかった、誰も周りにいなくてよかった…)と心の底から本当に思った。。
最後にお経をあげてもらいに本堂に寄ったのだが、このお寺には位牌堂という檀家の位牌を安置しているお堂があり、初盆の位牌だけはこの期間だけ本堂の仏壇脇に移されて供養されるのだが、そこでお線香をあげた際も、こともあろうにロウソクの火をフゥーーッと吹き消しやがったので、脊髄反射的に「いかんやんけ!!」と皆で突っ込むと、
「時代が変わればやり方も変わるさ(゜Д゜)」
と、事も無げに言い放った。。
(今んとこ時代はまだ変っていないような気がするが・・)
とりあえずこの日は無事最小限の粗相で済ませ、いつも寄る「かっちゃんの家」と呼ばれる親戚の家にたどり着いた時のオレの安堵感は筆舌に尽くしがたい。。
拝啓:おばあちゃん、
ボクは今思うのですが、ヒロアキ叔父は終戦の引き揚げ時にそーーっと中国大陸にリリースして残留孤児にしておいた方がよかったのではないでしょうか…?