花巻『多田等観展』へ行く【後編】
さて予定外のトンデモ講義を(勝手に)受講しているうちにことのほか時間を費やしてしまい、本当はお昼に遠野物語で知られる遠野まで遠征して名物のジンギスカンでも食べようと思っていたのだが、時間が無くなってしまったのでお隣の『宮沢賢治記念館』の敷地に建つ『山猫軒』で妥協して花巻名物の一つティントゥクひっつみを食べることにする。
通常、観光地とか文化施設併設のレストランって高くて美味しくないお店がほとんどなのでまず寄ることはないんだけど、事前情報で山猫軒はけっこう美味いらしいという情報を入手していたので賭けに出てみた。結論、本当だ、けっこう美味いぞ。
食後は『宮沢賢治記念館』に軽く寄る。
(なにせ博物館の拝観料+200円で見られるので^^;)
ここは賢治が生前収拾した(或いは興味を示した)ものがなんの一貫性もなく陳列されているので、なんだか目が回るのだが、一方、そんな展示コーナーとは別に、ここに併設されている喫茶店は一面ガラス張りで森の中に突き出したような造りになっていて開放感があり、コーヒーも美味しい。強いて言えばイスが若干低めな為、座る時に一瞬ドリフのようになるので着座は慎重におこなったほうがいい。
(余計なインフォメーションでした。どうもスミマセンでした。)
コーヒーを飲みながらさて時間が中途半端になってしまったけどこの後どーする?という相談をしていたところ、
「せっかくここまで来たから光徳寺いってみません?」
という意見が出て全会一致で可決。
そう遠くないようだし、さっそく向かうことにする。
光徳寺とは多田等観の末弟の鎌倉義蔵氏が養子入りして住職を務めていた寺で、空襲が激しくなりチベットからの請来品を花巻に疎開させた場所というのはまさにこのお寺のことを指す。
戦後、地元の篤志家が資金を出してくれ、境内に『蔵脩館』と言う名の蔵を建てて、その他の文献資料もここへ移転保管されていたらしい。
看板に付け足したように「収蔵物は市へ寄付したので閉館いたしました」と書いてあるのだが、あきらめの悪い我々はどこかにチベットの痕跡が残ってやしないかと境内をウロウロしていると本堂の脇に「参拝者入口」という看板を発見!
そりゃあ仏教徒としてお寺さんに来たかぎりは本堂の仏様を拝ませて頂くのが礼儀ってもんだよね、すくなくてもチベットではそうだよね、と力ずくでポジティブに解釈し、本堂へ上がらせてもらうことにする。
もちろんいくら参拝者入口と書いてあってもずけずけと上がりこむわけには行かないので、何度もお声をかけてみたのだが、どなたもいらっしゃらないようなので、ではそーっと拝ませてもらいましょうとコソコソっと闖入。
玄関を上がったところに漫画『多田等観』(1000円)というポスターを発見し、
すげーー!!すげーー!!買いてーー!!
と早くもテンションが上がる。
不審者には違いは無いが、真面目な動機で闖入しているので一応ご本尊を参拝させてもらっていると、突然ご住職と思しき方が仏様へのお供え物を回収しにやってきたので、(うわ…怒られるかも・冷汗)と内心ドキドキしながら、小声で、
「…あ、すいません、勝手に参拝させてもらってました。。」
と恐る恐る言ってみると、
「どうぞどうぞ~」
と明らかに不審者の我々に対してまるで気にする様子も無く、思い切ってご住職ですか?と伺うと「そうですよ」とおっしゃるので、ここに至るまでの経緯をかいつまんで説明すると、
「そうですか。私は等観の甥です」
とのこと!!
その後、ご住職から色々と等観にまつわるお話を聞かせて頂いた。
幼少のころ等観とこの寺で生活したことがあること、高校在学時、自分の高校に等観が講演に来たことがあること、大学時代のチベット語の恩師も等観の教え子だったこと、等観の三人の娘さんもご健在であることetc…。
蔵脩館の収蔵品については平成6年に花巻市議会で博物館建設の予算が可決したのを機に全て市に寄贈したそうで光徳寺には何一つ残していないそうです。
予断ながら戦火から守る為にチベットからの請来品を花巻に疎開させたはずなのに、その花巻も空襲にあったそうで、光徳寺もあわや罹災するところだったらしい。(実際、隣接するお寺は全焼したそう)
突然の来訪にもかかわらず大変気さくに応じていただいた光徳寺のご住職様、本当にありがとうございましたm(_ _)m
そんな訳で旅の最後に思わぬ巡り会わせがあり、あーやっぱ今年も来てよかったなー、来年もまた来よう!と思いも新に、雨の高速を帰ったのでした。
(おわり)
【参考資料】
「多田等観とチベットと花巻と」展示目録(pdf注意)
「花巻市博物館」(※収蔵資料を探す→分類から探すで多田等観関連資料の一部が閲覧できます。)
http://museum.city.hanamaki.iwate.jp/