20091225 |

20091225

日清戦争のあと、露、独、仏による「三国干渉」で日本は遼東半島を清に返還する。ときの陸奥宗光外相に、国民からごうごうと非難がわいた。陸奥はその回想記『蹇蹇録(けんけんろく)』に、次のように書き残した▼「当時何人(なんぴと)を以(もっ)て此(この)局に当たらしむるも亦(また)決して他策なかりしを信ぜむと欲す」。後世に訴え、歴史に呼びかけるような一文である。佐藤栄作元首相も同じ思いだったろうか。沖縄返還交渉をめぐって、当時のニクソン米大統領と交わした「密約」の文書がその遺品の中から見つかった▼密約は、「核抜き本土並み」をうたった返還の裏で、有事の際の核再持ち込みを認めている。国是の「非核三原則」と矛盾する。ホワイトハウスの小部屋で、2人きりで署名をしたそうだ。表に出たら内閣はつぶれていただろう▼密約のいきさつは、首相の密使として米側と交渉した故・若泉敬氏の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文芸春秋)に詳しい。『蹇蹇録』を座右に置いたという氏は、言葉を書名に借用した。やむにやまれぬ後世への呼びかけであろう▼権謀の渦巻く外交を、ビアスの『悪魔の辞典』は「祖国のために嘘(うそ)を言う愛国的行為」だと言う。自国民を欺くことも、国益にかなえば可とされようか▼悲願の沖縄返還のための、ぎりぎりの判断との見方もある。だが、のちに「非核三原則」などが評価されて、佐藤氏がノーベル平和賞を受けたのは、やはり皮肉である。とまれ文書は破棄されず、秘密は広く共有された。歴史の審判を待つ故人の遺志を、そこに見る思いもする。