そしてまたしても訃報が | やせっぽちのヒロシのブログ

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新年明けてまだ10日だというのに、どうしてこうも訃報が絶えないのでしょう。
今度は私が最も敬愛する男性ソウル・シンガーの一人であったオーティス・クレイが1/8に心臓発作で亡くなったという知らせが入りました。
詳しい記事をこちらにリンクしておきます。
享年73歳、決して早すぎるとは言えないかもしれませんが、今も現役で歌い続けていた人でしたので、あまりの突然の訃報に愕然としてしまいました。

特別な大ヒットがある訳ではなく、一般的な知名度はほとんどないでしょうから、さすがに今日の朝刊の訃報欄にも名前が載る事はありませんでしたが、おそらく熱心な(特に日本の)ソウル・ファンの間では確固たる地位にいた人だったと思います。
1978年の伝説の初来日公演以来、2008年まで何度も日本を訪れ、その都度熱い歌声を届けてくれました。私もおそらく7回くらいは観ていたと思いますが、いつも全力投球でアップからバラードまで魂の込められた歌の数々に魅了されたものでした。
近年、来日こそ無かったものの、それでも新譜は出ていましたし、その精力的な活動ぶりもネットなどを通して伝わってきていましたので、第一報を目にした時には「まさか」と言う感じでしたし、今もまだ信じられないくらいです。

彼の歌声はソウル・ミュージックそのものでした。
おそらく昨夜は多くのファンが彼のレコードやCDを聴きながら追悼していたことと思います。
これまでの彼の活動に敬意と感謝の気持ちを込めて。
私もそんな一人です。
謹んでご冥福をお祈り致します。



余談

一般的な知名度は無いと書きましたが、彼の代表曲のひとつである"Trying To Live My Life Without You"は、1980年にボブ・シーガーがカヴァーして大ヒットさせていますし、おそらくはそれを経由してサザン・オールスターズの桑田圭祐が嘉門雄三名義で出したソロアルバムでも取り上げていましたから、それらのレコードで耳馴染みのある人も多いかと思います。



そのお返しということだったのか、オーティスはその後3度目の来日公演から「いとしのエリー」に英語の歌詞を付けて歌うようになり、それが一時は名物になったものでした。
レイ・チャールズが後年やはり英語(歌詞はオーティスとは別)で歌い話題となりましたが、それよりも遥かに前のことでした。