インド人の親友からもらった写真立て。

読書と英語とひとりごと

Live well,
Love much,
Laugh often.



良く生きて、
たくさん愛して、
たくさん笑おう。


いい教えですね。



異性愛か同性愛かの違いに限らず、
人生のスタイルはいろいろあって、
自分と違うものは、敬遠したり、
時に批判的にもなるけれど。

ちょっと待てよ?と考える。

「ノーマル」な生き方をして、
イライラ不機嫌なマジョリティ。
「アブノーマル」な生き方をして、
ニコニコご機嫌なマイノリティ。

どっちの方が、本人にも社会にも、
健全な生き方かな?
多数派少数派うんぬんより、
誰だって、自分の隣にいる人には、
にっこり笑顔でいてほしいですよね。

難しい理屈は気にせず、
自分は、たくさん愛して、たくさん笑う人生を送りたいし、
他の人にも、たくさん愛して、たくさん笑う人生を送ってもらいたい。

そんなのびのびな解放感が、
成熟した社会の行き着く先と、夢見ています。


友だちと食事をすると、時々起きる会話。

「あれ?左利きだったの?」
「うん。まあね。」
「へえ、知らなかった。」

左利きって、約10人に1人の割合らしいです。
実は社会に結構存在しているマイノリティ。

だから、意外だけれど、そんなに意外でもない。
指摘はされるけど、大した話題にもならず、
淡々と受け流される左利きたち。

この、「淡々と受け流し」感、
社会の寛容性において、
大切なんじゃないかなって、
そんなこと思うんですよ。

利き手の違いが、
揶揄や攻撃の対象にならないと同様に、
恋愛対象の性別の違いも、
もっと涼しい顔で、受け流せぬものだろうか。

利き腕と、恋愛対象を、
同列に論じるなと怒られそうですが。



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Wikipediaの説明を読むと、
そもそもの定義も難しいようですが、
同性愛者の割合って、
どれくらいと思いますか?

同性愛

英米での調査によると、2-13%くらいだそうです。

(+_+)

あれ。。。?実は、10人に1人くらい?
左利き人間と同じくらいの割合?

たとえ、最小値の2%だったとしても、
50人に1人なら、そんなに少ない感じはしない。
イコール、結構多くの人が、
[世間一般」の認識と反応に、
良からぬ気分をさせられている。。。?

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私が左利きなのは、
別に望んだわけでもなく、
こだわっているわけでもなく、
それが正しいと思っているわけでもなく、
たまたまそう生まれついたからってだけ。

そして、自分の意志ではなかったけれど、
実はちょっと嬉しい特異性(*^.^*)

そして、私が異性愛者なのは、
別に望んだわけでもなく、
こだわっているわけでもなく、
それが正しいと思っているわけでもなく、
たまたまそう生まれついたからってだけ。

右利きになるも左利きになるも、
異性愛になるも同性愛になるも、
その結果は、「不思議」であって、
「異常」ではない。

そんなことを考えてます。

利き腕を分ける要因も、
性欲の対象を分ける要因も、
まだ解明されていませんし。

だからこそなおさら、
なんであいつは自分とは違うんだ?
と攻撃するんじゃなくて、
なんで自分はあいつと違うんだろう?
と不思議がる。

異性を愛するも同性を愛するも、
説明つかないことばかりだなあと、
おもしろがる。


私が、同性愛を擁護したいのは、
博愛主義的なご立派な理由からではなく、
自分含めた人間に向けられた、素朴な好奇心からです。



前回、恋愛対象が、人によって、
異性だったり、同性であったりするわけを、
アメリカの研究チームが見つけた、と書きました。

その説明が、以下の記事。

同性愛者が生まれる原因が解明


かいつまんで話すと、こんな内容です。

・母親の胎内でつくられる
「エピマーク」という後世遺伝子の要素(?)により、
男と女のどちらを好きになるか決まる。

多くの場合、
男性は、女性を好きになるエピマーク、
女性は、男性を好きになるエピマーク、
が作られるわけですね。

・「エピマーク」は、1世代限りのモノ。
なんだけど、たまに、親から引き継ぐことがある。

父親の「エピマーク=女性を好きになる」
→娘が引き継いで、女性好きの女性に。

母親の「エピマーク=男性を好きになる」
→息子が引き継いで、男性好きの男性に。

・その他、環境なども原因になる。


うーむ。
正直、わかったような、わからないような。。。(/ω\)

じゃあ、バイセクシャル(両性愛)はどうなるの?
とか疑問が出てきますが、
いずれにせよ、
異性愛者になるも、同性愛者になるも、
「偶然の産物」って感じですね。

私はたまたま、異性愛者になりましたが、
ひょっとして、女性を愛する人生を送ったかもしれないし
「当たり前」と言えないことばかりだからこそ、
人間含めて生き物って、おもしろい(^-^)/



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突然ですが、わたくし、左利きです。
つまり、この右利き優勢社会においては、
マイノリティに属していますが。。。

質問です。

左利きの人は、人口の何%でしょうか?

答えは?

8%から15%とのこと。

左利き

つまり、10人に1人くらいの割合。
意外に?多い?少ない?


そしてさらに、質問です。

同性愛の人は、人口の何%でしょうか?


続きはまた次回。
答えを知りたい人は、wikipediaを見てねん(*^ー^)ノ

同性愛



友だちと話していて、
ひょんなことから「同性愛」の話題になる。

「レズビアンって、理解できないわ。
女が女を好きになるなんて。。。ありえない。」

と言う彼女に、反論したくなる。
結局黙っていたけれど。

それと全く同じように、
私たちが男を好きになる感覚を、
レズビアンの人たちは理解できないんだと思うよ。
マジで。

惚れる相手はオトコである、異性愛者のワタクシ。

同性愛をめぐる論議について考察していて、
ふと、不思議に思ったのです。

オンナを好きになる感覚はわからないけれど。。。
そもそもどうして、私はオトコを好きになるんだろう?
なんで、オンナには惚れないのかな?

異性愛こそが、種の保存という生物の大原則に合致しているから。

とかって、本来の動物のあり方から逸脱しきった現代人に、
そんな話をこんな時だけ、引用するのはおかしいし(`×´)


そもそもタブーな日本社会。
オープンだけどあからさまな攻撃もあるアメリカ社会。

根強く残る偏見を見ると、残念に感じます。


思うんですよ。
他人に対する敬意って、
自分自身の神秘性に対する畏敬の念と
イコールじゃないかなって。

自分のスタイルが「基準」で、
「あいつはおかしい。」と
一蹴するのではなくて、
逆に、なぜ私はこうなんだろう?
と、思考を自分に振り向ける。

オンナならオトコを好きになることこそが正解、
でもなんでもなくって、
それをむしろ、不思議だねえと不思議がる。

オトコを好きなる私も不思議。
オンナを好きになるあなたも不思議。
神秘的だからこそ、どんな人も尊い。

恋愛感情って、そもそも、
自分の中のよくわからない部分から
湧いてくるものですよね。
そしてその対象がなんであれ、
その感情自体は純粋にステキなものですから。


というわけで。
なんで、私はオトコばかりを好きになるかな?
ここ数年、時々思い返していたこの疑問。

なんと!
アメリカの研究チームが、その答えを見つけてくれていました(^-^)/



つづく

ネコもシャクシも、Facebookでプロモーション。
の時代ですが、成功するための秘訣って、
なんでしょうね。

2011-2012年に在籍した
UCSD Extensionのマーケティングの授業では、
こう教わりました。


Not a Campaign, a Relationship.
キャンペーンじゃない、関係作りだ。


つまり、情報の更新に熱心なのはよくても、
「新商品がでました!」
「ただいまセールス中です!」
と一方的にがなってしまうと。。。

商魂ばかりが見え見えのタイムラインは、
好きな商品、会社であっても、
敬遠したくなりますよね。


それなら、どんな内容を発信すればいいんでしょ?


最近、ゲーム業界に興味があって、
Xboxなどの大手のソーシャルメディアを
いくつか見ていたわたくし。
その中でいちばん、いいなあと思えたのは、
Nintendoさんの新作ゲーム機"Wii U"のFacebookでした。

Wii U


ゲームを知らない私も、思わずLikeするほどに、
なんだか楽しげで、親近感を覚えさせて。
ソーシャルメディアで重要な、「関係作り」のツボも、
きっとおさえている"Wii U"のFacebook。


なるほど、これは上手だね(°∀°)b
と感心したポイントを、次回ご紹介します。


この記事のタイトルを、「カースト制度再考」としたことを
悔いています。
まるで、「カースト制度最高♡って、讃えているみたい。。。

同音異義語が多い、日本語の厄介な一面ですな(*´Д`)=з


前回、インドのカースト制度について、
インド政府は実はいろいろやっているみたいです、
と書いた話のつづきです。



サンディエゴで知り合い、仲良くなった
インド南部出身のダニー&ヴィニータ夫妻。

ダニーはアメリカの大学で電子工学を学び、
一流企業にエンジニアとして勤務中。
そして奥さんのヴィニータは、
インドの一流大学で機械工学を学んだ才女。
どちらも、親は会社経営、
兄妹もみんなエンジニアという、
裕福でエリートな家庭の出身です。

お金も教養も国際性も。
そんな彼らは、想像した通りというか、
上級カーストの出身だそうです。

ん???

ここでちょっと質問。

低いカーストの人の境遇って、
どんなイメージをもっていますか?

貧しくて、教育を受けられない。
学歴がなくて、就職できない。
貧困と差別の負の連鎖が、
連綿と子孫に引き継がれていく。。。

のでしょうか?


ヴィニータの説明です。


「下級カーストは、貧しい家庭が多くて、
子どもは十分に勉強できなくなるから、
学校の成績もどうしても低くなってしまう。
そんな現状を配慮して、入学試験では
下級カーストのための割当があるんだよ。
だから彼らは、上級カーストの子どもより低い点数で、
良い大学に入学できるんだ。」

「下級カーストに属していても、
努力して豊かになる人もいる。
私の友だちも、何人かは下級カーストだけれど、
上級カーストの私の親よりずっと金持ちだよ。
でも、私が上級カーストである以上は、
彼女たちより高い点数をとらないと、不合格とされてしまう。」

「上級カーストでも、貧しい家庭は貧しい。
だから、奇妙なことも起きるんだ。
親が貧しくて十分に勉強できなくても、
上級カーストだからと、合格点を厳しくされて、
良い大学に入れなくなる。
公務員になるのも、
下級カーストのための割当があって、
上級カーストだから就職できない、ということが起きる。
つまり、『貧しい上級カースト』は、
お金がない、学歴もない、仕事もない、
という、何重苦にもなるんだよね。」


おお。。。Σ(・ω・ノ)ノ!
これ、ちょっと、意外な話でないですか?


インドにはカースト制度があり、
差別として批判を受けながらも、
社会に深く根付いているために
現在に至るまで続いています。

チャンチャン!

そんな教科書の説明からは、とても想像つかなかった、
「逆差別」というか、現代インド社会の不公平なお話。

この優遇措置に関してはむしろ
「被害者」のヴィニータは、どう思ってるんでしょう?


「私自身は特に不満ではないよ。
いろんな家庭があるけれど、やっぱり、
下級カーストは貧しい場合が多いから、
優遇措置は必要ではあると思う。」


心が広いですなヾ( ´ー`)


「地域や個人によっては、下級カーストが
ひどく差別されることももちろんある。
カースト制度自体をやめればいいとも言えるけれど、
インド社会の基盤になってしまっているから、
誰も声に出してはいいたがらないんだよね。」

としめくくった彼女。


今日もたくさん学ばせていただきました。
ヴィニータちゃん、ありがとう。
ペコリ。m(..)m


カースト制度なんて、そんなひどい差別が
いつまでも続いているなんて、信じられないー。(`×´)

そんな程度の認識だった、自分の視野の狭さに恥じ入る、
貴重な機会となりました。




バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ。
うーむ。なつかしい。。。(*´Д`)=з

日曜夜。
wikipediaを検索して、うなるわたくし。

この4つの言葉、覚えたことありますよね?
そう、インドのカースト制度の、各階層の名称です。

カースト

5,000年以上の歴史を持つというカースト制度。

有無を言わせず人を分類し、
職業の自由も、結婚の自由も、
まるであったものじゃない。。。

こんな理不尽が、まかり通っていなんて。
下層カーストに生まれた人が可哀想。。。(´・ω・`)

そんなやるせなさを覚えた中学時代から10数年。
インド人の友だちから、カースト制度にまつわるおもしろい話を聞きました。

へえ、そんな現状があったとは。
インド政府も、実は結構がんばっていたのね。Σ(・ω・ノ)ノ!


つづく





前回の記事で、
「"Happy New Year!" と挨拶するのは、
12月31日と、1月1日になった瞬間で、
それ以降は特に使わない。」
とルームメイトに教わった話を書きましたが、
これ、少し補足が必要でした。

1月1日は、元旦にも関わらず、
お店など普通の挨拶。
クリスマスはどこ行っても、
Merry Christmas! とか Happy Holidays!って、
みんなウキウキ挨拶してきたのに。

"Happy New Year!"って、本当に、
日付が変わった瞬間までの挨拶なんだね。
と感心したのですが。。。

1月4日とかになっても、たまに
"Happy New Year!"と挨拶されて、少し面食らう。
あれ?
実は結構まだ使える?

別の友だちに、
「"Happy New Year!"って挨拶は、いつまで使えるの?」と聞くと、
「1月中は使ってOKだよ。」とのこと。

「年明けて初めて会う友だちとかね。
ただ、1月も半ば過ぎる頃には、
みんな新年なんて感覚忘れてしまうけど。」


1月1日になった瞬間まで、と断言する友もいれば、
1月中は全然OKよー。という大らか系な友もあり。

個人的な解釈ですが、結論としては、
1月以降は、言っても良し、言わなくても良し。
クリスマスの時に既に、
"Merry Christmas and a Happy New Year!"
と、新年の挨拶を済ませている感もありますしね。

日本の年末年始という感覚からほど遠く、
普通に仕事に行くアメリカ人。
英語の先生をしているルームメイトも、
1月1日から授業に行っていました。

アメリカの年末年始は、むしろ、
クリスマス休暇が明けて、
現実に戻らなければいけない、
ちょっと気が重い時期でもあるようです。


クリスマスを過ぎると、お店などで、
"Happy New Year!"とよく言われて、
なんだか戸惑う。


まだ12月中だけど、もう、「新年おめでとう!」?
日本の「明けましておめでとう!」みたいに。
年明けてから使うものと思っていたなあ。。。(´・ω・`)

こういうとき、ルームメイトがアメリカ人だと
ありがたいもの。
リビングで、TVのNew Year's Eve番組を
鑑賞中のD氏とM氏に聞いてみる。


「ねえ、Happy New Year!って、いつ使う言葉なの?」

「12月31日と、1月1日になったその瞬間だね。」

「じゃあ、1月1日以降は?」

「Happy New Year!とは言わないね。」

「でも、年末年始の休みが終わって
久しぶりに会う人には、なんて言えばいいの?」

「Hi, how are you? って言えばいいさ。」

「それだけ?そんなあっさりなの?」

「アジア圏とは違うからね。新年が来る頃には、
アメリカ人は、クリスマスが終わったばかりで
くたびれている。年明けの瞬間を祝ったら、
みんなすぐ日常に戻るんだよ。」


考えてみれば、
Merry Christmas and a Happy New Year!
と、まとめられることも多いですよね。
プレゼントだ、ごちそうだ、家族の集いだ、と
クリスマスを盛大に祝ったばかりのアメリカ人には、
New Year's Dayは副次的なものみたいです。

ちなみに、Happy New Year, を辞書で調べると、
「良いお年をお迎えください」とも
「明けましておめでとうございます」とも
ありますが、具体的な使われ方は、
その文化に浸らないとわからないものですね。


というわけで、これを書いている時点で、
まだアメリカは年は明けていませんが、



Happy New Year!

アメリカ人は「ピーチ」で、
アジア人は「ココナッツ」

それぞれの社会の
人づきあいのスタイルを
形容したメタファー。

詳しく知りたくなったので、
ネットで調べてみました。

The Free Libraryというサイトの、
Culture Shock Managementという記事には、
次のような内容が述べられています。

Culture Shock Management

※かなり大雑把な要約です!


ピーチとココナッツ理論は
あるアメリカ人心理学者の
提唱に端を発し、
異文化トレーニングの場で
よく言及される。

果物の外側の層は
「パブリックスペース」、
内側の層は
「プライベートスペース」
を示している。

ココナッツモデルは、
ヨーロッパと
アジア圏の
人々が該当する。

外側の「近所、同僚、知人」と

内側の「家族、友人」の
境目が明確であり、
外側の人間は姓で、
内側の人間は名前で呼ぶ。

内側の層
は分厚く、
その中に入った人との関係は、
長期的なものになる。

ピーチモデル
英語圏と、
国を自由に移る
人々が該当する。

「友だち」と、外側の層の

「友だちでない人」との
明確な区別がない。

自分のことをオープンにするし、

気楽に幅広い人とつきあう。

ココナッツモデルとは対照的に、
内側の層は小さく、

親密な関係を生涯保てるのは、
家族など一握りのグループに限られる。
他の親しい人間関係は、
必ずしも長期的にはならない。



「フレンドリー」なアメリカ人は、
実は心を開こうとしない人たち?
仲良しこよしの関係を
長く続けるのは苦手?

なんて解釈すると、
見方が変わって、おもしろいですね。

感情とは、
総量が決まっている
「消耗品」みたいな
ものかもしれません。

「好意的行為」を
「薄利多売」するのがアメリカなら、
「プレミアム販売」するのが日本。

どちらも一長一短。

せっかちで、寂しがりやな私は、
友好的行為がこまめに配給される、
ピーチ型社会が、やっぱり好きです^^