私達は避難した火葬場で情報を集めようと
地区会長さんが持っていたラジオに耳を凝らしました
 
唯一の情本源であったラジオから...
様々な情報を集めようとしましたが
途切れ途切れのアナウンスが聞こえてくるばかりで
ラジオからの情報でさえも
何が本当で何が不確かなのかさえもわかりませんでした
 
未だに 体験しているはずの当時の記憶が
断片的にしか思い出せない部分が多く
時系列が前後しているかもしれませんが
その時 聞こえてきた放送では
 
石巻市内の高校に
多くの生徒と住民が避難している事
 
石巻の南浜方面で火災が起きている事
 
ある浜辺一帯に 多くのご遺体が打ち上げられている事
 
続く津波や余震に対する警戒を呼び掛ける声
 
放送から情報が拾えると思っていた私は
放送の内容の悲惨さに耳を疑い
町ごと津波に呑まれて甚大な被害を受けたはずの
雄勝の情報が一つも入らないことに
大きな不安と苛立ちを抱えていました
 
被災後だいぶ時間が経ってから知ったことですが
当時 放送局側も被災し 
人手が無い中で 精一杯の放送だったそうです
きっと あの大混乱の中で正確な情報を発信しようと
大変な作業をされたのだと思います
 
また 私達が町外へ避難する道々 
周りのあまりにも変わり果てた世界を目にした時
大きな余震や津波が続く大変危険な状況での報道であり
情報自体が集められなかったのだと理解しました
 
これが大都会での災害であった場合
放送施設が甚大な被害を受け 
放送自体ができない可能性と
得た情報が混迷の中でのものだと
知っておく必要があるのではないでしょうか
 
放送局が何か所もあるとしても
無事であった放送局からの
情報が届かない場合も 
その情報の正確さも
充分に考えなければいけません
 
またインターネットが普及した近年
災害時には管理する施設や設備自体が
壊滅する可能性も視野に入れておく必要があります
 
欲しい情報が得られない
伝えたい情報が発信できないことは
普段の便利な生活からは想像しがたいかもしれませんが
 
大きな災害時には 
自分の置かれた被災状況が把握できない
自分や家族の安否を確認し合えない
ということが起きるのです
 
大きな災害であればあるほど
基本的には 家族の避難していると予測される場所へ
歩いて探しに行くことになるはずです
 
雄勝町は石巻からの道路が破壊されましたから
無事だった皆は山道を歩いて行き来しました
夫が無事で隣町にいたと知らせてくれた人も
また歩いて隣町に戻るというので
水にぬれた息子のランドセルから
ノートを出し 一枚引きちぎり たき火で乾かして
私たち家族が無事であるという手紙を書き
夫に渡してもらえるようにとお願いしました
 
快く引き受けてくださった方に
祈る思いで手を合わせました
 
家族の無事を知ること
家族の無事を知らせることが出来ることが
言葉にできない程 身に染みて有難かったのです
 
このように情報が絶たれる可能性も 
災害時の避難行動をご家族と話し合う際に共有し
正しい情報が得られない中でも
必ず避難後 安全に会うことが出来るように
様々な状況下での避難場所や連絡方法を
そして 何よりも命を守る方法を話し合っておきましょう
 
命を守る備えは
家族の何気ない声がけから始まります
その一言を話さずに
皆さんが一生 胸を痛めることがありませんように
 
災害の姿を知っていただくために
皆様のお心に触れる何かがございましたら
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語り部佐藤麻紀