マーティン事件
マーティン事件
2007年の春、僕のシータ人生にとって大きな事件が起きました。
その頃は、某外資系の生保会社で、営業本部の全体の企画をしていました。
他の部門の仲間にマーティンというドイツ人がいました。
役職としては同じレベル、仕事を振ることも振られることもないし、指示することもされることもない関係でした。
しかし、日本語が話せないので、日本語が関わってくると僕に仕事を頼んでくる人だったのです。
仲間ですから、最初の頃は引き受けていたのですが、時間のないときに、きょうは無理だよ、と断ったら、彼の上司にそれが伝わり、その上司が僕の上司に伝えて、僕の上司が僕にいってくるという、僕のいちばん嫌いな方法で、プレッシャーをかけてきたのです。
僕は、家に帰る道すがら、マーティンむかつく、マーティン頭くる、マーティン嫌なやつ、と繰り返していました。
そのころは、シータヒーリングの基礎DNAと応用DNAを受けた直後で、思考パターンについて学んでいたところでした。
そのとき、待てよ、この思いはよくないな、と気づいたのです。
どういう理由にせよ、自分のココロがこんな思いに満たされているのは、相手にとっても自分にとってもよくないですよね。
さっそく、家に帰って、シータでチェックをしてみました。
「わたしはマーティンが頭にくる」が潜在意識に入っていました。
「マーティンがわたしに意地悪をする」も潜在意識に入っていました。
これだ、と思い、この思考を変えることにしました。
いまなら、一般化をしたほうが効果があることがわかっているのですが、当時はとにかく、マーティンをなんとかしたかったので、上の二つを引き抜いてから、
「マーティンはわたしに感謝してくれる」
「感謝の印にビールをおごってくれる」
を入れました。
翌日会社にいくと、マーティンがふらふらとこちらに近づいてきて、
「悪かったよ、ヒロ、いつも仕事を押しつけて。感謝しているよ。今夜は僕がビールをおごるから、飲みにいこうよ」
というではありませんか!
きのう思考を変えたら、きょうこんなことになった!
シータは使える、仕事にも使えるんだ!
僕はとても衝撃を受けました。
そして、シータをかたっぱしからいろんなことに使ってみるという毎日が始まったのでした。
2007年の春、僕のシータ人生にとって大きな事件が起きました。
その頃は、某外資系の生保会社で、営業本部の全体の企画をしていました。
他の部門の仲間にマーティンというドイツ人がいました。
役職としては同じレベル、仕事を振ることも振られることもないし、指示することもされることもない関係でした。
しかし、日本語が話せないので、日本語が関わってくると僕に仕事を頼んでくる人だったのです。
仲間ですから、最初の頃は引き受けていたのですが、時間のないときに、きょうは無理だよ、と断ったら、彼の上司にそれが伝わり、その上司が僕の上司に伝えて、僕の上司が僕にいってくるという、僕のいちばん嫌いな方法で、プレッシャーをかけてきたのです。
僕は、家に帰る道すがら、マーティンむかつく、マーティン頭くる、マーティン嫌なやつ、と繰り返していました。
そのころは、シータヒーリングの基礎DNAと応用DNAを受けた直後で、思考パターンについて学んでいたところでした。
そのとき、待てよ、この思いはよくないな、と気づいたのです。
どういう理由にせよ、自分のココロがこんな思いに満たされているのは、相手にとっても自分にとってもよくないですよね。
さっそく、家に帰って、シータでチェックをしてみました。
「わたしはマーティンが頭にくる」が潜在意識に入っていました。
「マーティンがわたしに意地悪をする」も潜在意識に入っていました。
これだ、と思い、この思考を変えることにしました。
いまなら、一般化をしたほうが効果があることがわかっているのですが、当時はとにかく、マーティンをなんとかしたかったので、上の二つを引き抜いてから、
「マーティンはわたしに感謝してくれる」
「感謝の印にビールをおごってくれる」
を入れました。
翌日会社にいくと、マーティンがふらふらとこちらに近づいてきて、
「悪かったよ、ヒロ、いつも仕事を押しつけて。感謝しているよ。今夜は僕がビールをおごるから、飲みにいこうよ」
というではありませんか!
きのう思考を変えたら、きょうこんなことになった!
シータは使える、仕事にも使えるんだ!
僕はとても衝撃を受けました。
そして、シータをかたっぱしからいろんなことに使ってみるという毎日が始まったのでした。