熊本市には14年住んでいた。

最初は夫以外に知り合いがいなくて、とても淋しかった。 

子どもが出来、友人も増えていって、今ではかけがえの無い友達が熊本にはたくさんいる。

だから熊本の震災の時は、心が痛んだ。





ずっとお見舞いに行きたかった益城町の皆乗寺に、今日やっと足を運んだ。

皆乗寺は友達の粟津さんのお寺で、うちと同じ女の子が2人いて、娘達が小さい頃からお世話になってた。


{41489F5E-F925-4819-85EF-8FD72F16FFD1}

門の上部が波打ってる。




当時うちは熊本市内に住んでて、娘2人を車に乗せて、空港線のまっすぐな道をドライブして粟津さんちに遊びに行ってたのが懐かしい。

お寺で大晦日に鐘つきをさせてもらったり、留学生を呼んでインターナショナルパーティをさせてもらったなぁ〜。

思い出の鐘つき堂は、石垣が壊れたので、危険という事で撤去されていた。

立派なお堂は、内側をワイヤーで引っ張って、傾くのを防いでいる状態。
だけど江戸時代に建てられた建物は、悲鳴をあげながらもしゃんと持ち堪えていた。

{4A67A721-7ED6-4A9C-8176-1185873FB20C}

{9560F5B1-034A-4D5F-B936-5A48622D067E}


{5585BBE6-7F35-4C74-953D-3EC4421AC3FA}

江戸時代の組み木細工は、激しい揺れを分散するので、建物は倒壊を免れたとのこと。
日本の伝統の技術は素晴らしい!

{F20A2F79-0A67-408B-B82D-103D8058CD73}

彫り細工の一部が脱落したものが置いてある。
とても二百年前のものとは思えない、しっかりした造りである。


粟津さんが、修理と保存に向けて動き始めているという話を聞かせてくれた。
前の住職がお寺の記録をきちんと取っていた事で、
まるでファミリーヒストリーに出てきそうなお寺の歴史が、浮かび上がってきたんだそう。


粟津さんご夫婦も、自分たちも紙とネット上で、寺の再生の記録を残す事にしたという。

お寺の再興を祈っています。
お堂が再興された時に、きっとまた来ます。





久しぶりに芦屋にやってきた。



アトリエ玻璃でアシスタントをしてくれてるアッコちゃんのお母様がやってる「四季彩 輪」で、美味しい野菜たっぷりのランチをいただいた。

その後、アッコちゃんのCon Fu でやってる洋服展を覗いた。

そして砂像展に行った。






実は、私は直前まで茶道展に行くと思ってた。



姉から電話で、「芦屋の砂像展の招待券を貰ったから、行かない?」と言われた時。

頭の中で、

芦屋→芦屋釜→お茶🍵→茶道展

となったんだびっくり



ああ勘違いチーン




気を取り直して


{9A1828E1-4F04-4BA5-B633-71344041D2ED}

お天気も良く


{D7494CC7-795F-4910-B0C2-BE1010AA2CAA}

テーマが祭で



{6444AE67-AE21-4C74-9FCA-E1B71A46161D}

 
素晴らしい砂像たち。


{B990E66F-2923-465A-A64F-5A9CAD547CFF}



勘違いしてたけど、のんびり過ごせて気分転換出来た





この砂像展が始まった頃、砂像は海辺に造られてた。
大きな砂像と、砂浜と、海と、潮騒を思い出す。


今回は海のそばにもかかわらず、海が見えないのがちょと残念。うーん🤔この感覚は少し前にも経験したぞ。


そうだ!

「この前回転寿司屋に行った時、タブレットで注文するシステムの店で、お寿司はそこそこ美味しかったんだけど、板前さんが寿司を握ってる厨房が見えない。

見えたらもっと美味しく感じたに違いないのに…」



というのと同じであった。


今年も今日でおしまい。

 

2016年も盛りだくさんだった。

この1年を漢字一文字で表すとすれば、「黒」である。

何故かというと、愛犬くろまるの介護、そして彼の旅立ちを見送ったから。

 

 

今年になって夜鳴きが始まり、大好きな散歩にいけなくなった。

身体がだんだん動かなくなり、ずっと鳴いてた。

あんなに走るのが好きだったので、きっと走りたいと泣いてたんだろう。

16年と10ヶ月、長生きしてくれた。

 

落ち込んだときに癒してくれてたくろまるを失って、とても淋しい。

安らかに眠っておくれあしあと

星になって私を見守っておくれ星

 

 

家に居るとくろまるの介護だったが、仕事では講師の仕事が比較的多かった。

英語、ホスピタリティ、接客英語、異文化コミュニケーション、マナーを教えたけど、やればやるだけ自分の未熟さが出てきて、壁にぶつかる。

まだまだだなぁくるくる

 

ガイドで印象的だったのは、ハワイからのゲストたち。

生活をエンジョイしていて、穏やかで、幸せ度数が高い。

好きなことをいつもやること、人と楽しく過ごそうという気持ちが幸せになるポイントのようである。

 

プライベートで旅行を楽しんだ。

八女の農家民宿”大道谷の里”の健介さん、加代さんに会いにいった。

太陽のように明るい加代さん、なんと桑の葉茶で4kgも痩せてた!!

私も飲んでみたけどちっとも痩せない。でもこれは加代さんには内緒にしとこう。

 

高知にガイドが入ったことで興味が高まった四国に行った。

以前から一度見てみたかった仁淀川ブルーを堪能し、モネの庭を訪れたり、鰹のたたきを体験したり。

大歩危小歩危で地元の人しか乗らないバス路線に乗って、山奥をうろうろしたり。

 

そして11月はRoute66の旅へ!

久しぶりのアメリカ、3泊5日は短過ぎた。

このツアーで巡り会った人たちとのご縁は大切にしたい。

 

私の手相には”旅”の相があるらしい。

車、バス、飛行機、JRと移動するときにわくわくするのはこのせいか。

 

来年は人とのご縁を大切にしたい、と思う。

いままで自分を優先して生きてきた。

自分が役に立てることをもう少しやりたい。

 

2017年が良き年でありますようにイヒ

 

 

たくさん笑って過ごしたいなぁ

 

 

 

久しぶりに晴れた2月10日、大好きな画家、モネ展を観に福岡市美術館に行った。

平日の昼前を狙っていったのに、沢山の人で溢れている。さすがモネは人気だ。




なにがすごいって、今回は「印象派」の名前のきっかけとなった、「日の出」が展示されているのだ。
モネがこの絵を描いた日と時間を、天気や太陽の位置から割り出してたのがおもしろかった。

それによると、モネはこの絵をほんの15分くらいで描き上げたらしいのだ。

一瞬の光をキャンバスに描いて、その光を永遠に変えた。


睡蓮の庭を描いた絵の数々は、水や風の音が聞こえてきそうだ。



晩年の絵は衝撃だ。


モネが白内障の手術を受けて、光と動くものしか感知できなかったらしい時期に描いた絵は、モネの内面を表している。

生への執着。
未来へ向かう強い気持ち。
経験から得た筆使い。
形を壊す。
色の実験。

そんな想いがせめぎあってるような晩年の絵は、エネルギーに満ちあふれている。
それを隠そうとしていない。

モネの静かな水面の絵を見慣れた眼には異質に感じるかもしれない。
が、決して理解できないことではない。




館内は混んでて、美術館スタッフの「立ち止まらないでください」という声が見たい気持ちをそぐ。




田辺誠一画伯のイラストがご愛嬌。









早々に美術館を出た。

ヒコーキ雲が青い空を割る。





風間彌生のかぼちゃは、この晴天の下では毒気を抜かれて見える。








美術館を出て、大濠公園から舞鶴公園に抜け、以前よく行ってたお堀端でコーヒーを飲んでると、カモメが近づいてきた。

もし私がエサをやろうとすると受け取れるけど、もし私が攻撃しかけてきたときはすぐに逃げられる、ちょうど良い距離を取るカモメ。
ジョナサン君の生きる知恵に思わず笑いが出る。


height="293" border="0" />








ずっと来たかったモネ展。
人の多さと喧しさで長居できなかったけど、美術館を出た後もモネの絵が網膜の底に残っている。


いつかじっくり絵を描きたいと思ってる私は、心の中で絵を描く。
美術館の外に咲く紅梅が美しい。思わず心の絵筆をとる。






23日に26回目のTalks on the Planet をして
めがねスタイリストの藤裕美さんのイベントに行った。

その日の夕方から降り始めた雪雪の結晶

積もる寸前に家にたどりついた。

そして25日になった今もまだ降り続いてる。

昨夜ふと明るい外を見ると、満月が雪景色を照らしていて、幻想的。


でもすぐにまた雪になって、音が雪に吸い込まれたみたいに静かだった。

非常勤で英語を教えてる福農専攻科は今日は休校。
明日の純真学園大もたぶん・・・バスが動かないかぎり行けないので、早めに水曜日に振り替えてもらった。

こんな雪に閉じ込められた日は、オレンジピールを作ったり、おからクッキーを作ったり。(久しぶりなので失敗。出来の悪いおやつになってしまった)

下界の雪が溶けても、この辺りはしばらく雪が残る。

すこ~し雪景色に飽きてきて、寒いのも飽きてきて。

クロまるだけが雪を喜び、庭に放すと駆け回ってまるで歌そのものだ。

雪の日のひとりごと雪でした。
沖ノ島・宗像大社関連の通訳のあと、さらに私には試練が待っていた。

軽い、軽~い気持ちで引き受けてた「鞆の浦」のガイドは、フタを開けるとやっぱりICOMOSの会長たちの視察の通訳だったガーン


基本的に下見をしないとガイドは出来ないが、今回は下見をする時間が取れないまま本番を迎えた。

それでも福山市の観光課に連絡して観光資料を取り寄せたり、鞆の浦のことをご存知の知合いに話を聞いて、準備はしていた。


当日の朝、担当の方に挨拶すると、「今日は専門的な話になるので、よろしく。」とのこと。
真っ白になりかける頭の中をグッと踏ん張って、にこやかに「はい」と返事する叫び

もうここまで来たら誰も替わってくれないし、やるしかない(/TДT)/

本番は、NPOの方の街の説明、建物の説明、行政の説明など。。。なんとかこなすことが出来た。

昼食は鞆の街でも老舗の旅館で、名物の鯛飯が出て美味しかったのだが、緊張してたせいか三分の二しか食べられなかった。


ここで書きたいことは、準備さえばっちり出来ていればガイドでも通訳でも出来る、ということ。

今回は、前情報が少なく、現地に行って初めて分かったことが多く、とても緊張した。準備出来れば、こんなに緊張しなくて良かったのに・・・




鞆の浦は、広島県福山市にあり、昔から風光明媚な場所として有名である。

江戸時代の街並みや、港の施設がそのまま残っていて、そういう場所は日本中でここだけである。

広島県は住民の利便性を考えて、埋め立てや橋を新しく架けることを計画している。そうすることで風景が変わってしまう。
それに反対する人たちと、便利な生活を求める人たちで街は2分し、激しく議論が交わされている。

写真は、江戸時代のままの狭い道路。風情はあるが、住民にとっては不便。




実際に、街歩きの途中で、クリニックの前に救急車が停まってるせいで車の交通が止まり、迂回しなければならないと、近所の人が運転手に一人一人声をかけている場面にぶつかった。
良くある事、と皆慣れてるふうではあったが、一日の中でそういうことが頻繁に起こるのは大変だろうと察する。


医王寺から鞆の浦を見渡す。


昔のものが残っているため、この美しい港街は、もしかしたら世界遺産リストに乗るかもしれない。
港として機能するために必要な五点セットが現存する。
1、常夜灯 2、船番所 3、がん木 4、波止め 5、たで場


だけど、法律の囲みで築後200年経つ建物の修理を自費でしなければならない住民の負担は大きく、柱が曲がって危険な建物が増えている。


鞆の浦は、今後この矛盾をどう解決していくのだろう。



瀬戸内海は静かで大きく、小さな私のガンバリを優しく包んでくれてるように感じた。





仕事が終わってほっとして、福山駅に着くと、福山城が美しくライトアップされてた。

なんとかやり終えた安堵感と、もっとましな通訳が出来てれば、という反省が入り交じる複雑な気持ちで家路についたのであった・・・



世界遺産関連のガイドを引き受けた。
「宗像・沖ノ島と関連遺産群」という、2017年に世界遺産登録を目指している場所だ。

宗像は、姉が以前アトリエを持っていた場所でよく行っていたし、3年前にガイドの研修でみあれ祭を見学したことがある。
だから、ちょっと詳しく調べれば出来るニコニコと軽い気持ちで引き受けた。

フタを開けてみれば、ICOMOSのシンポジウムが福岡市であり、ツアーではなく視察で、ガイドではなく通訳だった。。

通訳だけすれば良いとのことだったが、主宰の福岡県側から専門家、ICOMOSの会長を始めトップの方たちも専門家で、本当に大変だった。

だけど、沖ノ島、宗像大社関連のことを調べるうちに、こんな素晴らしい場所の通訳ができるのはとても名誉なことだと思うようになった。

宗像大社というのは、沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、宗像の辺津宮の三社を指す。
沖津宮にはたごりひめの神、中津宮にはたぎつひめの神、辺津宮にはいちきしまのひめの神が鎮座している。

そうして三女神の長女が居る沖ノ島は厳しい禁忌で知られる。それは、沖ノ島で見た事、聞いたことは決して話してはならない。沖ノ島から一木一草一石たりとも持ち出してはならない。女人禁制。

こういった禁忌と、玄界灘の孤島であるという場所のせいで、4世紀から9世紀まで500年行なわれていた古代祭祀の跡がそのまま残されている。

この宗像大社と、大島にある遥拝所、祭祀を司った宗像氏の古墳である、新原・奴山古墳群を入れて、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」と呼ぶ。













この仕事に備えて、宗像、大島へ下見に行った。
用語集を作成して、電車やバスの中で専門用語を覚えた。
日本語を見て英語が出るように練習した。

なのに、やっぱり専門家が説明する日本語は難しく、専門家から出てくる質問は難しかった。

反省は多々あるけれど、今は1週間なんとかクレームも無くやれた安堵感でいっぱいだ。

宗像三女神は、私を招いてくれたのかな。
いつかお礼参りに行かなきゃ。

宗像はとても素敵なところ。
大島も、仕事抜きでゆっくり行きたいなぁ





こども英語ガイドプロジェクト 第一弾!

8月4日、飯塚の株式会社麻生の「グローバルイングリッシュ・プログラム」のプレイベントをコーディネートした。

この仕事の依頼があったときに、飯塚の中学生に、飯塚の歴史と価値を五感で感じて欲しいと思った。

ラッキーなことに、麻生初代が長男のために建てた贅沢な日本家屋「大浦荘」を使う事ができるとのこと。
今時の日本の家からは、床の間、縁側、軒、井戸などが消えている。畳の間の無い家も増えているというので、大浦荘を会場として使わせていただけるのはありがたいチャンス!

オックスフォード大の卒業生2名、ケイティとエリザベスがこの後5日間、中学生たちに英語を教える。これに4名のアシスタントとして九大の留学生や、麻生で英語を教えている外国人達が入って、総勢30名で、プレイベントでゲームを楽しむことになった。


考えたキーワードは3つ。
飯塚の歴史を学ぶキーワードは、「シュガーロード、炭坑、大浦荘」





ひとつめのゲームは「スィーツな宝探し」
・・・キーワード、シュガーロードと大浦荘の組合せ。
大浦荘のある場所数カ所に、スィーツと指示書を隠しておき、グループでひとつひとつ探していくゲーム。

もちろん英語しか使っちゃいけないし、オックスフォードの2人やアシスタントの外国人の英語を聞いて理解できなきゃ前に進めない。おとなしい日本の中学生にはチャレンジングなゲームだと思う。





もうひとつは「大浦荘の秘密」

使うキーワードは、大浦荘、炭坑。

あらかじめ大浦荘の特徴がある場所の写真を拡大しておき、それを見せ、どこにあるか当ててもらう。たくさん当てた人の勝ち。その後、その場所に移動して、日本語と英語の言い方を学ばせる。

その他に、中学生たちに英語で考えてきてもらった「飯塚のトリビア、Treu or False game」
各国の歌をアカペラで唄って紹介する。「歌のエクスチェンジ」

など、地元感とグローバル感をたっぷり盛り込んだプレイベントにした。





終わって中学生に感想を尋ねると、宝探しが面白かった、ネイティブと話す機会があって嬉しかった、という感想が多かった。

大学生に英語を教えているが、英語が嫌いな大学生が多い。ならば小、中、高校生のときに日本のことを英語で話せるような、実用的な英語を教えよう。日本のことを知れば、日本人であることに誇りを持つようになる。使える英語を学べて、きっと英語も好きになる。

これが「こども英語ガイドプロジェクト」だ。

飯塚で第一弾をさせていただいて、株式会社麻生には感謝をしている。
私も、英語講師、英語通訳ガイド、ビジネスマナー講師の経験を、このイベントで全て活かすことができたと思っている。





ちなみに、スィーツな宝探しでは飯塚ゆかりのお菓子を沢山用意して、中学生やアシスタントの皆さんに食べてもらった。中学生は、クッキーやゼリーなど洋風なお菓子が好きかと思ったら、意外やひよこが好き、という子が何名かいた。
コレって、いいよなあ・・・ドキドキ
Talks on the Planetについて  
主宰:Planet English & Manner 古川純子




 Talks on the Planetは、月に一度の英語で話す集まりです。毎月異なるスピーカーにスペシャルな物や事を英語で話していただき、質問や意見交換を英語で行ないます。その後の交流会では、美味しい食事を楽しみながら親睦を深めます。(交流会は日本語OK)


 私がTalks on the Planetを始めた目的は、異文化や新しいことを英語で受け取り、自分の考えや意見を英語で述べる場を創ることです。単なる英語の勉強ではなくて、好奇心を満たす「インターナショナルで知的な遊び」を目指しています。

また、交流会でいろんな人と出会い、英語人脈を広げることも目的です。いろんな英語のレベルの方に参加していただいて、英語学習の目標にしていただければ、と思います。




 これまでのスピーカーは、いろんな国の方に来ていただき、様々なトピックスを提供していただきました。日本の伝統文化を極めている方も居て、この方の話に感激した参加者から、別の団体での講演の依頼が相次いでいる、と嬉しい広がりがあっています。




 英語でグローバルな体験をしたい方、ぜひTalk on the Planetにご参加ください。
 場所と日時はスピーカーの都合に合わせるため毎回変わりますが、基本的に月末の週に行います。


★尚、参加費の中からお一人100円を集めて、毎月DARC (Drug Addiction Rehabilitation Center) に寄付しています★


これまでのスピーカーの国籍、名前 とトピックス
1フランス 木下JanaGlobal Career through life opportunity
2アメリカJack BrajcichFocusing on Global Issues and Children
                    Making one minute video
3カナダ    後藤VincentHow have I become Goto?
4アメリカTodd Sappington 博多祇園山笠
5アメリカBrian OchsGoshuin Colections
6バングラデシュJewel HosseinIntroducing Pakistan and how to play cricket
7アメリカMark ThompsonHow to play traditional American games
8ハワイ    Glenn KillionAmerican way of thinking
9スペインMagi Mercade MartinezIntroducing Spein and 「聞くスペイン語」
10アメリカZahid AsarBackground as the first generation in the  
                    family, virtual coin
11ブラジル橋本たみよBrazil, FIFA World Cup, and Art
12イタリアDaniele DiSantoAbout Italian culture, Italian foot ball team
13アメリカMichael KontasJapanese Martial Arts, 柳生新影流
14メキシコZuhara ChapezMexican culture and what Zuhara studies at
                    Kyushu University
15ドミニカ共和国Luis MatosDominica, Fukuoka, Business
16バングラデシュPro.RahmanVolunteer activity of Pro. Rahman
17アメリカQuin AlbeitmanShinto, Music, Performance
18イギリスIsabel JonesLiving in Japan, what’s next?
19ペルー    Gonzalo Miyagusuku CruzadoPeru and Machu Picchu
20日本    松尾葉平What I got from studying abroad
21スイス    Joelle Sambuc BloisSwitzerland and Japan
22タイ    Pin PoosalaIntroducing Thailand and regenerative medicine
23イタリアAntonio MarianiExperience as a backpacker, TEDex Hakata (予定)




オーストラリアからのボーイズスクール36名を広島にガイドしたのは、4月のことだった。このときの仕事はとても印象的だったので、ブログに残そうと思う。


原爆ドームと原爆資料館にあまり時間を取っていない旅程で、せっかく感性の鋭い10代のボーイズをガイドするのに、心に残るようなことを経験して欲しい。何か良い方法はないかしら?



広島と長崎で、ゲストに折り鶴をプレゼントするのはガイドだったら皆してると思う。原爆の犠牲者のために、これからの世界平和を祈りましょう、とゲストに準備した折り鶴を手渡す。



バスの中で、ボーイズ達に貞子さんの折り鶴の話をした。
良かったら貞子さんの「平和の子の像」に折り鶴を皆で捧げませんか?と提案し、折り鶴を皆に配って平和公園に到着。

平和の子の像を目指して折り鶴を捧げようとすると・・・場所が無い。
しまった、ここは千羽鶴なら捧げることが出来るけど、ひとつひとつを捧げる場所が無い。




2日前に下見に行ったとき、平和の子の像の前で日本の中学生たちが歌を唄っていたのを見たのを思い出した。
これだ!

「折り鶴は平和の火に捧げることにして、皆さんで何か唄うのはどうでしょうか?」

ボーイズ達は、うん、とうなずいて何を唄うかちょっと相談していたんだけど、誰からともなく歌い始めて、最後は全員でとても美しいメロディの曲を唄ってくれた。

私はとても感動した。
1人残らずその曲を、歌詞を見ないですぐに唄えるなんて、すごい。
オーストラリアのボーイズ達が唄う、心に響くメロディ。貞子さんにも届いただろうか。


食事のときに、引率の先生にあの曲の題名を教えてもらった。

「10,000 reasons という曲で、学校ではよく唄ってるんです。」




ガイドが終わって次の日、英会話を教えてる大学で、このことを大学生に話した。
そしてオーストラリアの学生が唄ってた 10,000 reasons を聴いてもらった。


また、引率の先生にメールを送った。

「あの日、平和の子の像の前であなたの学生たちが唄ってくれた曲に私は感動しました。
そうしてネットで10,000 reasons を探して聴いて、本当にこの曲が好きになりました。
私は大学で非常勤講師で英語を教えていますが、今回のガイドの経験と、この曲を大学生たちに紹介しました。この曲が、平和を望む気持ちを繋ぐ、シンボルソングになるといいですね。」

すると、先生から返事が。

「Hi Junko,
How exciting to hear from you!
I’m glad you liked the song - it was lovely to hear the boys sing this song so spontaneously.
I also love this song. It reminds us that there are so many good things to thank God for even when we go through difficult times.
We had an absolutely wonderful time in Japan. The boys were very moved by their experiences in the peace park and museum. And they had so much fun in the Samurai castle. thank you for explaining so much detail to us.

I’ll pass on your regards.

純子へ、
あなたから連絡がきて、わくわくしました。
あなたがこの曲を好きになったと知って嬉しいわ。この曲を学生達が、誰からともなく歌い始めたのを聴いたのは、とても素晴らしいことでした。
私もこの曲が好きです。この曲は、神に感謝する理由は沢山あると気づかせてくれるんです。たとえ困難にぶつかってるときでも。
学生たちは平和公園と原爆資料館で経験したことに心を動かされたと思います。それから広島城では楽しい時間を過ごしました。いろいろ詳しく教えてくれてありがとう。
あなたがよろしくと言ってた、と皆に伝えます。」


 
10,000 reasons は Matt Redman というミュージシャンの歌で、worship song のジャンルで欧米ではかなりヒットしてるみたいです。私のお宝リストの一番上にきた!!

http://www.godtube.com/watch/?v=WLPKDWNX