癒しの存在としての看護師とは何か、考えて・・・
正直、あの激務の中でどう患者に癒しを提供できるのだろう。
全国の看護師に業務に癒しをと言ったら、炎上しそうだよね。
だから、概念上の看護師とは、倫理的に患者に寄り添い、擁護者となり、
信頼関係を構築し健康の回復を支援する。としか、簡単に言えない現状があるよね。
看護教育で癒しの存在としての看護師教育できる人がどれくらいいるのだろうか。
教育者の多くは若くして臨床を離れている人が多いとは思うが、癒しを極められてから臨床を離れているのだろうか。
倫理的態度・究極のプレゼンスの実践の経験値がモノを言うだろうしね。
そこが、課題なのかもしれない。
自分自身も業務をさばくことを考えたら、倫理的態度・究極のプレゼンスを保ちながらやりきることができるか疑問である。
ケアリングに関する理論はたくさんある。
たくさんの論文や本を読んで頭で理解したならば
実践だよね。
倫理的態度・究極のプレゼンスを実践しながら業務をさばいた場合、どうなる?
っていう、結果を報告した人はいるのかしら?
認知症患者さんの訴えや帰宅願望、俳諧、転倒転落が癒しで減少したかどうか。
疾患患者さんの入院生活環境・人的環境など満足度が上がったか。
治癒経過が早まったか?
どんな結果をもたらすのだろう。
これからの看護研究でこれを研究する人たちが増えると思う。
この癒しの看護・プレゼンスを看護に求めるのであれば
急性期医療7:1とか慢性期10:1とかでは、看護師は足りません。
世の中を動かして、急性期4:1とか慢性期6:1くらいで看護師の要員が増やしてください。
お願いします。