ー 寛大であれと言うのは結構だと思うのですが、現実の世界において何に寛大であるべきかをよく見きわめる必要があると思います。残虐行為や邪悪な行為に対してはいかなるものでも寛大であってはならないはずです。
「それに、悪とは何かということも見きわめる必要があります。
地上生活の究極の目的は“死”と呼ばれている現象のあとに待ちかまえている次のステージに備えて、内部の霊性を開発することにあります。
開発するほど洞察力が深まります。霊性が開発され進歩するにつれて、自動的に他人へ対して寛大になり憐れみを覚えるようになります。
これは、悪や残忍さや不正に対して寛大であれという意味ではありません。相手は自分より知らないのだという認識から生まれる一種の我慢です。
人間は往々にして自分のしていることの意味が分からずに、まったくの無知から行為に出ていることがあるものです。そこがあなたの我慢のしどころです。
しかし、その我慢は悪を放任し黙認してしまうことではありません。それは我慢ではなく、目の前の現実に目をつむることです。
真の意味の寛大さには洞察力が伴います。そして、いつでも援助の手を差しのべる用意ができていなければなりません。」
シルバーバーチの霊訓(八)