静岡学園 対 青森山田 

 勇敢な静岡学園(静学)に軍配が上がった、という感じがするものの、最後まで、後半47分くらいまで、どうなるか分からない試合だった。王者の風格を漂わせながら、シュートまでの道筋を決して焦らず、しかし素早く組み立てる青森山田のサッカーが、実力で劣ったとは言えない。勝負は時の運だった。

 選手たちの圧倒的な気迫が凄まじく、観戦しながら「オレは最近ここまで頑張れているだろうか」「こんなに気合いを入れて何かに取り組んでいるだろうか」と、自分を重ねてしまい「すごいな」「オレも負けたくないな」と思ったら、涙が止まらなくなった。

静学の強み

 静学の強みは、ほとんど全ての選手が自由にドリブルできてゴール前でも仕掛けられる技術の高さと勇気。ペナルティエリア付近であれば数的劣位など関係なく、どんどん攻めていく。パスを出す選手も

「ほら、行ってこい。セカンドボールはオレらが拾うから」

という感じで躊躇がない。守る方からすると、数的優位を保ってても迫ってくるので、アタマもカラダも一瞬も休めない。だいぶ持久力が削られるはず。セットプレイで3点目を奪われたのは、持久力の残り少なさからくる集中力の低下が一因ではないか。とめどなく走り回った後のセットプレイでは心拍数が落ち着かず、集中しづらい。まして、対応しなければならなかったのは視界を動かさなければならないアタマ越えのボール。視界を動かしている間、カラダは動かしづらい。

「オマエが点を取るボールだよ」

声が聞こえてくるような精度の高いキックも見事だった。

王者の風格漂う青森山田

 10人の遊軍が勇猛果敢に攻める静学に対し、青森山田のサッカーは伝統的と表しても良いようなスタイル。できるだけ敵陣に近い位置で相手の攻撃を遮断し、フィールドプレイヤー10人が滑らかに連動して相手陣内にスペースを作ったらフリーになった選手へパス。ペナルティエリアまでの到達は目を疑うほど素早く、パスミスがほとんどない、極めて高い水準だ。Jリーグのユースチームも含めた高校生世代の強豪を集めて戦う「高円宮杯U-18サッカープレミアリーグ」で優勝した力。一言で「王者」だ。

 ただ、プレイのスピードに目やカラダがついていければ、青森山田のサッカーが理論的なだけに、守りやすかったかもしれない。静学は基本的にどんどん相手をサイドに追いやり、ゴールから遠ざけた。青森山田が展開するサッカーについていくのはそもそもが至難の業。それでも、静学が立て続けに得点したのは、青森山田のサッカーに少しずつ慣れていった証ではないかと感じる。青森山田が終盤に魅せた超ロングスローのように、試合中盤から終盤にかけて静学の意表を突く攻撃が少なかったのかもしれない。

 青森山田はコーナーキックを含むセットプレイの精度や集中力の水準で最後まで静学をわずかに上回っていたので、〝時の運〟がいかに気まぐれか分かる。それぞれのセットプレイでボールに当たる足やヘディングの場所があと何ミリか違えば、結果も違っただろう。惜しい場面は何度もあった。一方、静学は味方と息が合わないなど、セットプレイの水準で青森山田をやや下回っていたにもかかわらず、極上のフリーキックで3点目を得た。勝利の女神ほど、いつ微笑むか分からない女性はいないだろう。

 双方に共通していたのは守備対応の早さ/速さ。速い攻撃のために守備を徹底する。パターン化しにくい攻撃で襲いかかる静学と、王道のサッカーであっという間にゴール前へ迫る青森山田。両チームが繰り広げた応酬合戦は、双方の守備の水準が拮抗していた事実の証明だ。試合を中継した日テレが観客の声として紹介した中で、誰かが言っていたように、「いつまでも観ていたい試合」だった。

国際的な水準に並ぶ稀有な試合

 最近観た国際的なサッカーの試合と比べても、あまり類を見ない程の高水準だった。両チームともプレイに迷いがない。出しどころが見つからないのを理由にバックパスを選ぶ場面を見た記憶がない。もしかしたら何度かあったのかもしれないが印象に残っていない。それぞれのチームが全員で、一致団結した戦術に沿い、ゴールへの最短距離を目指していた。チームが実行する戦術を共有する大切さ、選手全員に浸透する深度にこだわる重要性..。チーム作りで重きを置くべきポイントを観客に改めて教えてくれているようだった。

 一致団結したチーム同士の戦いを観ていて、チームを強くするもう1つの要素を思い出した。共有・理解した情報に基づき各選手がグラウンドの上で役割を全うしようとする「強さ」がチームの強さを押し上げるのだ。

 国際的な試合であれば先日、レアルマドリ(レアル)とアトレティコマドリ(アトレティ)が戦った世界最高水準の試合で、フェデリコ・バルベルデがMVPになった。アトレティが作った完璧な決定機を、レッドカードもいとわない反則行為で止め、結果0-0に貢献した21歳の選手だ。審判から退場を告げられ、ロッカールームに下がるバルベルデに、アトレティのシメオネ監督は声をかけたらしい。本人曰く、

「あの状況なら誰でも同じことをした」

と。

 観客の声援渦巻くスタジアムの中、言葉を交わした2人しか知らないやり取りであり、本当はなんと言ったのか正確には分からないが、うなだれながらグラウンドを去ろうとするバルベルデの首元を優しく叩くシメオネの映像は残っている。映像を見れば、シメオネはバルベルデを労ったか、讃えたのが明らか。バルベルデの反則もあり0-0で決着がつかず、PK戦の末にレアルが勝ったのは、時の運だけではないはずだ。ロドリゴのPKを是非見てほしい。あの強気のキックがバルベルデの闘志と無関係と言えるだろうか。報道によると、批判の声が上がっているようだが、勝負を決める仕事をしたバルベルデをMVPにするあたり、ヨーロッパサッカーは成熟している。

 勝負に命をかけるなら、シメオネが残した言葉

「誰でも」

を体現する人物・選手にならなければいけない。言い換えれば、勝利への執念や渇望がなければ、グラウンドに立つ資格はない。「誰でも」には、誰もがなれるわけではないのだ。

〝正々堂々〟と〝時の運〟

 昨日の高校サッカー決勝戦、後半アディショナルタイムに入った46分頃、空中のボールをヘディングで競り合った結果、静学の選手が倒れた。そこへ青森山田の選手が近づき、立ち上がるのを手伝おうとした。しかし静学の選手は接触時か落下時かの痛みで立ち上がれない。おそらく青森山田の選手は時間稼ぎを疑っただろう。残りおよそ2分で勝っている場合、自分たちでも同じ行動に出るかもしれないからだ。

「時間稼ぎはやめてくれ」

と心の中で叫ぶ。と同時に、似て非なる声も聞こえてくる気がした。

「オレたちにはまだ2分ある」

と。

 観客にまで響いた選手の内なる声がこだまするもつかの間、青森山田の選手に引っ張られても立ち上がれない仲間の様子を見て、静学の選手がすぐ止めに入った。即座に主審が仲裁。静学の選手を引っ張って立ち上げようとした青森山田の選手は苦々しい顔を隠さないものの、こじらせず、しかし溢れる闘志は剥き出しにしながら自分が担う位置へ戻った。彼の熱量は幾ばくか計り知れない。

「時間がない、そしてまだ時間はある。自ら無駄にするわけにはいかない..。」

 倒れた青森山田の選手も痛みが消える前に立ち上がり、定位置へ。試合はすぐ再開した。

 ほんの数十秒の出来事に、彼らの水準を示す要素がいくつも詰まっているように見えた。両チームの選手は皆、シメオネが認める「誰でも」の顔をしている。

 チームの強さが拮抗する時、勝敗は、時の運だ。

 全ての「サッカー好き」が、心を震わせるような試合だった。

※日テレの公式サイトでフル動画、ダイジェスト版ともに無料で視聴可能です。

This is my new helmet.

Actually, it's the first one.

photo:01



For what?

Hey, please wait.



iPhoneからの投稿
These are my new gloves.

photo:01



For what?

Wait, please.



iPhoneからの投稿