昨晩、スタッフから緊急電話があった。
「テッドさんが大阪プロレスのレフェリング直後、
退場通路で倒れてしまいました。心肺機能が停止して・・・」
まさか・・・。
以前も同じような症状で入院した事があったが
今回は深刻な状況のようだ。
午前2時半頃、奥様から電話が。
「覚悟をするように言われました。」
朝6時半過ぎ、
みちプロスタッフからのメールにより、
大阪プロの皆さんの必死の看病により、
血圧・脈拍が上がり始め、
峠を越えた事を知らされた。
しかし・・・、
昼過ぎの12時47分、
みちプロスタッフからの電話が
「亡くなりました・・・・。」
直後、パートナーのアジアン・クーガーからも同様の電話が・・・。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
私がユニバーサルでデビューしたての駆け出しだった頃、
初対面なのに、優しく接してくれたのがテッドさんだった。
みちプロ創成期には
「お金じゃないよ。マサの夢に賭けたいんだ。」と、
自家用車に身の回り品最小限の物を詰め込んで、
地元名古屋も拠点である東京も捨て去って、
体一つで盛岡まで来てくれた。
涙が出るほど嬉しかった。
言葉では尽くせないほど、お世話になった。
みちプロ2年目の超躍動期の全ての原動力は
テッドさんの頭脳と体力であった。
リング上では
プロレス界では初めてであろう
全試合をたった1人で裁く、
重要なポジションを嫌な顔せず務めてくれて、
リング外では
宣伝部隊長として、
試行錯誤を繰り返していただきながら、
若手の人間教育と並行して
全国各地を走り回って下さった。
誰よりも、働いて下さった。
世紀末のみちプロ選手大量離脱劇の際には
一緒に泣いてくれた。
会社が困難に直面した時も
矢面に立って下さったり、
絶大なるご支援をして下さったりした。
みちプロの歴史はテッドさんの歴史そのものである。
みちプロを離れられて数年、
時々、私の身の振り方について心配して下さって、
お電話をいただいたりしていた。
そして、先週火曜日のK-DOJO後楽園大会の対TAKAみちのく戦、
開場直後にテッドさんが会場に滑り込んだ。
「この一戦、俺が裁かないで誰が裁くの?」
笑顔で断言してくれた。
終了直後には
「『ザ・グレート・サスケ』、まだまだイケルね!!」
とさわやかにおっしゃって・・・・、
すぐに地元名古屋へとんぼ返りされていた。
この業界、強い人ほど頼られてしまい、
また、ついつい頼ってしまう弱い我々がいて、
重圧がアンバランスに各所にしわ寄せされているのかもしれない。
「テッド、俺、バックドロップなんかで負けないよな?
代わりにレフェリー務めて、再試合やらせてくれよ。」
偉大なレスラー、三沢社長が
不世出の名レフェリー、テッドタナベさんを
呼び寄せたのかもしれない・・・・・
そうでなきゃ、
納得出来ないし、
この現実を受け止める事など出来るはずがない・・・・。
未だに信じられないし、信じたくない。
この38時間の出来事が
何かの悪い夢であったら良いのに・・・・・。
http://blog.livedoor.jp/tedkun/

「テッドさんが大阪プロレスのレフェリング直後、
退場通路で倒れてしまいました。心肺機能が停止して・・・」
まさか・・・。
以前も同じような症状で入院した事があったが
今回は深刻な状況のようだ。
午前2時半頃、奥様から電話が。
「覚悟をするように言われました。」
朝6時半過ぎ、
みちプロスタッフからのメールにより、
大阪プロの皆さんの必死の看病により、
血圧・脈拍が上がり始め、
峠を越えた事を知らされた。
しかし・・・、
昼過ぎの12時47分、
みちプロスタッフからの電話が
「亡くなりました・・・・。」
直後、パートナーのアジアン・クーガーからも同様の電話が・・・。
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私がユニバーサルでデビューしたての駆け出しだった頃、
初対面なのに、優しく接してくれたのがテッドさんだった。
みちプロ創成期には
「お金じゃないよ。マサの夢に賭けたいんだ。」と、
自家用車に身の回り品最小限の物を詰め込んで、
地元名古屋も拠点である東京も捨て去って、
体一つで盛岡まで来てくれた。
涙が出るほど嬉しかった。
言葉では尽くせないほど、お世話になった。
みちプロ2年目の超躍動期の全ての原動力は
テッドさんの頭脳と体力であった。
リング上では
プロレス界では初めてであろう
全試合をたった1人で裁く、
重要なポジションを嫌な顔せず務めてくれて、
リング外では
宣伝部隊長として、
試行錯誤を繰り返していただきながら、
若手の人間教育と並行して
全国各地を走り回って下さった。
誰よりも、働いて下さった。
世紀末のみちプロ選手大量離脱劇の際には
一緒に泣いてくれた。
会社が困難に直面した時も
矢面に立って下さったり、
絶大なるご支援をして下さったりした。
みちプロの歴史はテッドさんの歴史そのものである。
みちプロを離れられて数年、
時々、私の身の振り方について心配して下さって、
お電話をいただいたりしていた。
そして、先週火曜日のK-DOJO後楽園大会の対TAKAみちのく戦、
開場直後にテッドさんが会場に滑り込んだ。
「この一戦、俺が裁かないで誰が裁くの?」
笑顔で断言してくれた。
終了直後には
「『ザ・グレート・サスケ』、まだまだイケルね!!」
とさわやかにおっしゃって・・・・、
すぐに地元名古屋へとんぼ返りされていた。
この業界、強い人ほど頼られてしまい、
また、ついつい頼ってしまう弱い我々がいて、
重圧がアンバランスに各所にしわ寄せされているのかもしれない。
「テッド、俺、バックドロップなんかで負けないよな?
代わりにレフェリー務めて、再試合やらせてくれよ。」
偉大なレスラー、三沢社長が
不世出の名レフェリー、テッドタナベさんを
呼び寄せたのかもしれない・・・・・
そうでなきゃ、
納得出来ないし、
この現実を受け止める事など出来るはずがない・・・・。
未だに信じられないし、信じたくない。
この38時間の出来事が
何かの悪い夢であったら良いのに・・・・・。
http://blog.livedoor.jp/tedkun/
