昨晩、スタッフから緊急電話があった。

「テッドさんが大阪プロレスのレフェリング直後、

退場通路で倒れてしまいました。心肺機能が停止して・・・」

まさか・・・。

以前も同じような症状で入院した事があったが

今回は深刻な状況のようだ。

午前2時半頃、奥様から電話が。

「覚悟をするように言われました。」

朝6時半過ぎ、

みちプロスタッフからのメールにより、

大阪プロの皆さんの必死の看病により、

血圧・脈拍が上がり始め、

峠を越えた事を知らされた。

しかし・・・、

昼過ぎの12時47分、

みちプロスタッフからの電話が

「亡くなりました・・・・。」

直後、パートナーのアジアン・クーガーからも同様の電話が・・・。

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私がユニバーサルでデビューしたての駆け出しだった頃、

初対面なのに、優しく接してくれたのがテッドさんだった。

みちプロ創成期には

「お金じゃないよ。マサの夢に賭けたいんだ。」と、

自家用車に身の回り品最小限の物を詰め込んで、

地元名古屋も拠点である東京も捨て去って、

体一つで盛岡まで来てくれた。

涙が出るほど嬉しかった。

言葉では尽くせないほど、お世話になった。

みちプロ2年目の超躍動期の全ての原動力は

テッドさんの頭脳と体力であった。

リング上では

プロレス界では初めてであろう

全試合をたった1人で裁く、

重要なポジションを嫌な顔せず務めてくれて、

リング外では

宣伝部隊長として、

試行錯誤を繰り返していただきながら、

若手の人間教育と並行して

全国各地を走り回って下さった。

誰よりも、働いて下さった。

世紀末のみちプロ選手大量離脱劇の際には

一緒に泣いてくれた。

会社が困難に直面した時も

矢面に立って下さったり、

絶大なるご支援をして下さったりした。

みちプロの歴史はテッドさんの歴史そのものである。

みちプロを離れられて数年、

時々、私の身の振り方について心配して下さって、

お電話をいただいたりしていた。

そして、先週火曜日のK-DOJO後楽園大会の対TAKAみちのく戦、

開場直後にテッドさんが会場に滑り込んだ。

「この一戦、俺が裁かないで誰が裁くの?」

笑顔で断言してくれた。

終了直後には

「『ザ・グレート・サスケ』、まだまだイケルね!!」

とさわやかにおっしゃって・・・・、

すぐに地元名古屋へとんぼ返りされていた。

この業界、強い人ほど頼られてしまい、

また、ついつい頼ってしまう弱い我々がいて、

重圧がアンバランスに各所にしわ寄せされているのかもしれない。

「テッド、俺、バックドロップなんかで負けないよな?

代わりにレフェリー務めて、再試合やらせてくれよ。」

偉大なレスラー、三沢社長が

不世出の名レフェリー、テッドタナベさんを

呼び寄せたのかもしれない・・・・・

そうでなきゃ、

納得出来ないし、

この現実を受け止める事など出来るはずがない・・・・。

未だに信じられないし、信じたくない。

この38時間の出来事が

何かの悪い夢であったら良いのに・・・・・。

http://blog.livedoor.jp/tedkun/
ザ・グレート・サスケ オフィシャルブログ「THE GREAT SASUKE」by Ameba