なう ということば | * no place like home *

* no place like home *

~ この世は愛から

どこからともなく新しい言葉が生まれ、
社会に浸透していく

目下流行中の なう

その 放たれた なう には違和感がある
初めて目にしたときからずっと

私はツイッターを利用しないけれど、
普通に、多くの場所で目にすることが多くなった

たくさんの人が使っていて受け入れられているから、
私の感覚がおかしいのだと思う



なうと言った瞬間、1秒前は過去になり、それはもうnowではない

なう という題で上げた記事は、
読み手が同時に経験するか、あるいはもう、
その時に隣にいなければ成立しない
その言葉が伝える意味を消失している
意味を失った言葉が、取り残されたようにただそこに在るだけ

読むのには時間差があって、それは翌日かもしれない

なう という言葉を見ると、
読み手不在だな と感じてしまう
瞬時に情報交換しあうツイッターでしか存在しえないのかもしれない

もう、いっさいがっさい、すべての記事が なう でもいいのだ
すべては いつか その時 now に起こったことだから

でも書くという行為で変換されたき、
そのときの時間軸はそこにはもうない


それがただの記号なのだということはわかる
いまこうしてるよ、という記号として便利だということは
でも、

でも、
この違和感
ツイッター以外の場で広がり過ぎたなうの文字

見た瞬間、私の正確な時計の針を無理やり巻き戻される気がする


書き手のなうを私が共有することはほとんど無理だろう

誰かが なう としたレストランでの食事は、
私が読む頃にはすでにもう終わり、
その人は帰宅していることだろう

どこにももう、その なう は存在しない


今 といううつくしい言葉を無力にしているようで淋しい




‥こんなふうに感じるひと、
どこかにいないかな。。。
(ノ◇≦。)